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処女じゃなくても大丈夫

 自宅から歩いて二十分ほどにある雑木林は私が子どもの頃からトカゲ山と呼ばれていて、そこに野生のユニコーンが迷い込んだと近くに住む母から連絡があった。特定外来生物のユニコーンが都会の住宅密集地に現れたと地元は騒然となっているようだが、警戒心の強いユニコーンはうまいこと隠れてしまい、SNSにもユニコーンの姿をとらえた写真や映像はほとんど出回っていない。
 私はどうにかユニコーンを見たくなって、いてもたってもいられず近所にあるホームセンターに足を運んだ。径の違う塩ビパイプをいくつもカートに載せ、レジに通してからサービスカウンターに行ってパイプを縦半分に切断してもらう。雨樋のような形になった塩ビパイプを組み合わせ、私は自宅で簡易なアーマーを作った。
 ユニコーンに関する情報をインターネットでできる限り集めるが、その角の鋭利なこととユニコーンが凶暴な生き物であること以外はまったく参考にならない。いちおう、ユニコーンを手なずける方法も無数に見つけられたが、腹を突かれて死ぬリスクを冒してまで試してみる気にはならなかった。その意味ではやはり防御力を高める今の対策がもっとも適切だろう。

 夜が更けて「アメトーーク」を映し出し始めたテレビを消して私は家を出る。ユニコーンのいるトカゲ山を目指す道のりは子どもの頃とあまり変わっていなかった。川沿いの遊歩道にはちょぼちょぼと雑草が生え散らかり、運が良ければネズミの死骸に遭遇する。とある夏にネズミの死骸を見つけた同級生はおおはしゃぎして段ボールの中にその死骸を入れ、家の裏手に放置して大変なことになっていた。
 歩きながら、私はトカゲ山でどのように振る舞うかプランを練っていた。トカゲ山は山という名称が申し訳ないくらい単なる丘だが、山頂に当たる場所へ向かうには緩やかだがとにかく長い坂を上らなければならない。トカゲ山をぐるりと取り巻くように整地されたその坂の途中にはところどころわかりにくい脇道があって、そのうちのひとつを私は秘密基地のように運用していた。頂上付近に位置する脇道の奥には広い空間と、しみ出した地下水のたまりと椅子代わりにできる切り株があり、私はその場所を独占したくて入り口を周到にカモフラージュして、他の人が入れないようにした。ユニコーンの話題が出て、その姿が見つからないと聞いたときに私はピンときた。ユニコーンはきっとあそこにいる。

 トカゲ山の周辺にはやはりちらちらと人の姿が見えた。野生のユニコーンは確かに珍しいけれど、ユニコーンの凶暴性は広く知られているために、野次馬の数は想像していたよりも少ない。目撃証言も最初の一報以来途絶えているから、もうユニコーンは別の場所へと言ってしまったのであろうという判断が広がっているのかもしれなかった。私はユニコーンを見に来たわけじゃないですよ感を演出する優雅な足取りで、トカゲ山の坂道をゆっくりと歩き始めた。手にはクソでかのゴミ袋を持っているのでどの程度カムフラージュできているかはわからない。頂上近くまでのぼると、私はこちらを見ている人が周りにいないことを確かめてから秘密基地の入口へと足を踏み入れる。獣道ですらない、歩くのにも難儀する下生えを踏みつけ踏みつけ、ホームセンターで買ったものを詰め込んだごみ袋から取り出した塩ビアーマーを身につけながら、私は開けた場所へとたどり着く。
 そこにはやはり、ユニコーンがいた。地下水がしみ出して湿った水たまりに顔を突っ込み、不器用に水をすすっている。
 ピンク色のたてがみとプラチナのようなつやつやの毛並みを想像していたのだが、実際のユニコーンは全然違った。野良のユニコーンだけあってその馬体は一度泥まみれになったかのようにまだらの薄茶色で、顔の両側についた大きな真っ黒の瞳だけが異様な輝きを放っている。見知らぬ人に追い回されて過大なストレスを感じているのだろう、うっすらと体表には汗の塩がシマウマのように浮き、壊れた換気扇のような異様な鼻音が木々の向こうに吸い込まれていく。下生えを踏んでがさがさという音を立てた私に、ユニコーンは目ざとく視線を向けた。長いまつ毛に泥と目やにが乗っている。恐怖で私の足はすくむ。しかし同時に、私は俄然やる気を感じていた。
 動いたのはユニコーンの方が早かった。一歩目の前脚で地面がえぐれるほど蹴り、瞬きする間もなくユニコーンは私の目の前に迫る。私は体を横にして、かろうじてユニコーンの角を避けた。胸当てにしていた塩ビパイプの厚み一センチほどもある表面はえぐれて、下に着ていたTシャツがあらわになる。
「やべえ!」
 ユニコーンの角はその周囲に特殊な力場をまとっているらしく、角の側面に直接は触れていないはずの塩ビパイプが、角の表面に吸い込まれてしまうような形で消失した。私はばたばたばたとみっともないバックステップでユニコーンから慌てて距離をとる。
 処女じゃなくてよかった、と私は歓喜に震える。ユニコーンがおとなしくこうべを垂れて私の膝に寄り添う幻想を抱くのは、危険であるし何よりもつまらない。こちらが処女であろうとユニコーンの気に入らなくて腹部をぶち抜かれる可能性だってある。私は処女ではないので、事前に万全の準備ができた。相手がこちらをぶち殺そうとするシミュレーションを無数に想定できた。それはつまり、こちらも相手をぶち殺すシミュレーションができるということだ。ユニコーンをぶち殺すわけにはいけないけれど、心意気の問題として、すでに相対する覚悟ができている点は大きい。
 ユニコーンが再び私に突進する体勢を整える間に、私は踵を返して走り出した。でこぼこで草木がうっそうと生える雑木林ではユニコーンも全速力で走るのは難しいだろう。鋭利な枝で手足に傷がつくのも構わずに、私は全速力で雑木林の中を走り、舗装された坂道へと飛び出していった。「うわあ!」スマホをもって坂道を行きつ戻りつしていた人たちが、突然姿を現した私に飛び上がるほど驚くのが見えた。「どいて! 危ないですよ!」ユニコーンがすぐ後ろまで迫っていることは気配で分かった。
 私は振り向くこともせず、トカゲ山の下り坂を駆け下りる。蹄の音が徐々に近づいてくる。下り坂で加速しているユニコーンのパカパカという甲高い脚音の間隔は徐々に狭まっていく。やばい。私は走りながら、ゴミ袋の中から必要なものを取り出す。パカパカという音はもう耳の裏側くらいまで近づいてきていた。私は意を決して坂の途中で立ち止まる。振り向く。
 想像よりもユニコーンはずっと近くまで迫ってきていた。汗とか鼻息とか目汁とかそのあたりの体液がユニコーンの体温で溶けて蒸発して霧みたいにユニコーンをとりまく。絵本に描かれているような美しい姿からは程遠いが、絵本に描かれている美しい姿よりも私にはよほど好もしく感じられた。私が処女じゃないからだろうか。私はゴミ袋を放り出し、手にしたものをユニコーンに投げつける。ゴミ捨て場を覆うためのカラス除けの巨大なネットが、ユニコーンの角と、細くしなやかな前脚にからみついた。
 勢いのつきすぎた巨大な体躯はネットの細かい網目に絡まり、バランスを崩す。真っ黒な目に怒りの気配が宿っていることを私は確信する。ユニコーンは、コンクリートの坂道になだれ落ちた。
 カラス除けのネットはユニコーンの角の力場に巻き込まれてずたずたになっていくが、五メートルほどの特大サイズのネットはずたずたになった傍からまた巻き込まれていって、ユニコーンはネットを振り払おうと必死で頭を振る。鋭利な角の先端は輝いてちらりとネットからはみ出て、私は今度はごみ袋からしゃぶしゃぶ用の鍋を取り出してそこにすっぽりとかぶせる。ユニコーンの角の力場は金属を破壊するほどの力はないようで、新品でピカピカの銀色の薄い金属の表面に細かな振動を伝えてくるばかりだ。爽やかな達成感に包まれて、私はごみ袋の底からペットボトルのお茶を取り出しひとくち飲む。
「うわ、すげえ」猛りくるって走っていたユニコーンに怯えていたまわりのひとが、徐々にこちらを取り囲み始める。無遠慮なスマホカメラの視線がユニコーンと私に向けられる。ユニコーン虐待、炎上まで見えた。SNSやってなくてよかった。「鍋、邪魔です」うるせえ、外したらお前死ぬぞ。
 ぶほぉぶほぉとユニコーンは私の体の下で体を揺らす。このままユニコーンの体力が回復したら鍋を外さなくても馬体に吹っ飛ばされて死ぬ。私はネットに巻かれてぐったりとしたユニコーンの上に体重をかけて押さえつけながら、警察に電話した。
「あ、すみません。ユニコーンを捕まえました。保護してください。おとなしくさせているので、処女じゃなくても大丈夫です」


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