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古畑で一番好きなエピソードは「哀しき完全犯罪」

古畑はときどきTverで配信される。FODに入っていない私はそのたびに古畑を見て「な、何なんだこの面白いドラマは」とおののく。「三谷幸喜かあ~~凄い脚本家がいるんだな~~~」としらじらしく独り言を言う。
昔のドラマなのでいろいろ気になる点はあるがやはり面白い。まず犯人の殺意が高くていい。古畑の犯人は計画犯罪が少ないと言うが、それでも現代の刑事ドラマに比べると殺意がしっかりしている。探偵と犯人の対決が見どころになる倒叙ミステリドラマだからこその魅力だろう。しかしなんで犯人はこんなに銃を持っているんだ。バブルの時はそんなに売ってたのか、銃。
面白いエピソードはいろいろあるけれど、個人的に気に入っているのは田中美佐子が犯人を演じた「哀しき完全犯罪」。見返していたら、名作と呼ばれる作品がなぜ名作なのかをあらためて感じることができてちょっと感動した。名作は時代を超える。しかしそれは、普遍的な価値がとかそういう話ではない。時代を超えたら、変わった価値観によって新たな魅力が付与される、そういうことがあるのだ。

「哀しき完全犯罪」の犯人はとにかく大雑把で器用ではない女流棋士だ。あまり器用ではないというのは彼女の棋士としての仕事にも影響を与えているらしく、夫の小日向文世はそんな彼女に対して、「お前は何もできないんだから外で仕事なんかしないでおとなしくしてろ」と咎める。彼女の仕事に対しても、「いい仕事してるわけじゃない、バカにされてるんだ」と否定的だ。夫は妻とは対照的に非常に几帳面で、彼女の家事に対してこまごまとダメ出しをする。会食の予定を勝手に入れて、彼女の仕事を無理やりキャンセルさせたりもする。今でいうモラハラ気質で、現代の視聴者が見ると「うわモラハラ」と一瞬で判断できる。このディテールがまず素晴らしい。
で、我慢ならなくなってしまった妻は夫を撲殺。古畑はあっという間に彼女の犯行だと見破り、観念した犯人は古畑と一緒に出頭する……。といういつも通りの結末なのだけど、最後の最後、田中美佐子が古畑と出頭するシーンがたまらなく素晴らしい。夫に抑圧され続けてきた妻は、夫からも、夫を殺したことを隠していた罪悪感からも、すべての抑圧から解放され、軽やかともいえる態度で出掛ける準備をする。準備をする間、彼女の一番大事なもの、ケーブルテレビの囲碁番組の解説ビデオを彼女は流している。番組内の彼女の進行やしゃべりは控えめに言ってもひどいもので、視聴者はここで、残酷な抑圧者に見えていた夫の言っていたことの方が正しかったのだと気づかされる。準備を終え、古畑のところへ再び姿を見せた彼女は、チークの色は濃く、場違いなほど華やかで滑稽にさえ見える純白のワンピースを身にまとっている。そんな彼女の手を取り、古畑は最後の花道とばかりに優雅に彼女をエスコートする。

時代性もあって、『古畑任三郎』に登場する女性への眼差しには常にどこか冷ややかなものが垣間見える。小堺一機が犯人役のエピソード「矛盾だらけの死体」でいちばんかわいそうな議員の浮気相手の女性なんか、ほぼいないみたいな扱いされてるし。一方で、中森明菜や鈴木保奈美といった印象的な女性犯人は、意志は強いけど出しゃばったりうるさいことを言わない、ある種の理想化されたキャラクターになっている。そういった先入観というか、女性のステレオタイプがあるからこそ、桃井かおりや沢口靖子といった逸脱した犯人の印象もひときわ際立ってもいる。

この田中美佐子のエピソードのラストシーンは色々な解釈ができると思うけど、たぶん放送当時は「夫は正しかった、妻はおろかであった」という眼差しがあったんだろうなと私は感じてしまう。古畑の「原因は、何だったんですか?」というセリフも思わせぶりだ。田中美佐子の殺人に対して、「周りが見えずに本当のことを言ってくれていた小日向文世を殺しちゃうなんてばかだなあ」と。小日向文世の田中美佐子に対するモラハラに対しても、「まあこれくらい周りのこと見えてない女性に対してはこうもなるよね、妥当」みたいな雰囲気も感じる。
でも2024年の今にこのエピソードを見ると、前述した滑稽さとか愚かさとかも含めて、田中美佐子演じる女流棋士の一連の物語には、「自分のスタイルを抑圧されながら、それでも貫き通した女性」という力強いメッセージも見出せる。田中美佐子の誇らしげな表情も、その田中美佐子の想いを汲んで共に歩く古畑の微笑も、自分らしさを取り戻した田中美佐子を祝福しているように見える。もちろん人を殺してはいけないという大前提はあるけれど――このエピソードの犯人は、大雑把で不器用だ。でも、それを恥じることなんてない。大雑把で不器用だからこそ、堂々と胸を張るのだ。

普遍的な感動とか時代を超えた名作とかみんな簡単に口にするけど、実際はどんな作品もその時代性と強い関係を持っている。どう頑張っても、古くなるものは古くなる。古畑任三郎だってそれは同じだ。けれどこのエピソードでは同じシーンでも30年の時を隔てた今だからこそ全く違った見え方ができるようになっている。それを可能にするのは、田中美佐子の的外れだが説得力のある自己分析をあますところなくセリフで表現する、脚本家としての底力だ。「哀しき完全犯罪」では、名作の持つ強度をまざまざと実感させられた。


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