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『地面師たち』観たよ

2017年に起こった実際の地面師詐欺事件をモデルにした新庄耕の小説を原作にしたネットフリックスドラマ。配信から一か月経ってるのでいろいろ感想は出てるし評判もいいので今さらという感じもするけど私はこのドラマを見て「詐欺で騙されるか騙されないかの境界」みたいなことに思いを馳せた。

というのも、このドラマは豊川悦司演じる大物地面師ハリソン山中を中心に展開し、ハリソンはドラマ冒頭から広大な土地で狩りをしているなどなんかすごそうな人物として描かれる。そんなハリソンが弟子の綾野剛に映画の話をする。「『ダイ・ハード』で本当に魅力的なのは悪役の方」「ラストの悪役が落下するシーンは事前に決めたタイミングより早く落としたので役者の表情は演技ではなく本当にびっくりしているからリアル」
その瞬間、私は気づいた。こいつ、普通のひとだ、と。これがカエル化現象か……私は初めてのカエル化現象に感動した。
いや別に映画の感想なんか自由だしいい感想悪い感想なんかありはしないのだけれど、重要なのはめちゃくちゃ「すごい」地面師だと思って接していたひとがあまりにも普通のことを言い出したというそのギャップで、「あっこの人も人間なんだ……」とふと我に返る瞬間がある、ということだ。

その視点で見ると、実はこのドラマは「詐欺に騙される心理」というものが随所に隠れていることに気づく。
たとえば、詐欺事件を描くドラマという性質上、このドラマには被害者が出てくる。詐欺事件の被害者なんか基本的にかわいそうすぎるわけだが、このドラマはケイパーもの(犯罪者が主役になって犯罪の成立を楽しむもの)でもあるので被害者に同情しない構造が必要になる。なので、このドラマは詐欺被害にあった後の被害者、まだ詐欺被害に気づいていない一番調子に乗っている段階で若い女性と調子乗りセックスをさせる。見ている方は、「こんな調子乗りセックスをする奴なら痛い目に遭うのは当然」となってあんまり同情しなくて済む、という寸法だ。だが落ち着いて考えてみてほしい。調子乗りセックスをしようがしまいが詐欺の被害者は詐欺の被害者だ。その事実は揺るがないし、誰だって詐欺の被害に遭ってはいけない。たとえば他のケイパーものなら「詐欺被害者が実は弱者を搾取している」とかしてエクスキューズするけど被害者たちは自分の仕事をしただけだ。まあ、不動産デベロッパーの仕事の内容に対する感情がある人は結構多いと思うけどそれは置いといて……つまりここには論理を超えた力が作用し、一見無関係な二つのものを繋げて意味を見出す、一種の物語が生まれているのである。

その視点で見ると、ドラマの中の登場人物も、その人工的な(そして現実には即さない)論理に絡めとられているのがわかる。まず、ハリソン率いる地面師詐欺グループは「なんかハリソンすごいらしい」という幻想のもと彼に付き従っているわけだし、私も危うくハリソンのハッタリに騙されるところだった。『ダイ・ハード』見ててよかった~。
石洋ハウスの面々もそうだろう。彼らはバリバリ第一線で働いて活躍するスーパーサラリーマンという物語に自分を当てはめていて、100億円の取引を成功させるビジョン以外のものは信じられなくなっている。だから、「アイツ地主じゃないですよ」という真実の怪文書が来ても平気で無視する。こいつら怪しいぞい?と自分で思う瞬間があっても全部無視する。山本耕史の部下たちは積極的に騙されに行く山本耕史という物語を信じているので手も足も出ない。どう考えても「ん?これおかしくない?」みたいに詐欺に気づくチャンスはあったけど、その物語にどっぷりつかっているうちはその違和感を平気で無視できる。実際に、積水ハウスをだます前に別の不動産会社で地面師詐欺を仕掛けていた際に失敗した理由は、「雑談の中で地権者とされる女性が地方の桜を懐かしいと話したが、その地権者は東京生まれ東京育ちなので懐かしいと思うわきゃない」という会話をして、おかしいと気づけたからだという。
違和感を無視する一方で、騙されている人はなんかよくわからんハッタリを信じる。さっきの映画の話もそうだし、いい大学出ているとかこんなすごい仕事をしたとかそういう話だ。不動産デベロッパーというか昔ながらの一流上場企業では、そういう話がある種の通行手形として流通している。しかし、そんな通行手形はパスポートや免許証なんかよりもずっと偽造しやすいのだ。正気の状態なら簡単に「んなわきゃない」と気づけることも、物語に絡めとられている人は気づけない。調子乗りセックスをしている人が当然、不幸な目に遭うように、がむしゃらに働いている自分は大きい仕事を成功させられるに決まっているからだ。

面白いなと私が思うのは、ドラマや映画は、その「無関係なものを因果として理解させる」という詐欺のロジックによって成立している、というところだ。そして詐欺師は物語の力を利用する。物語というものがひとの欲望に合わせて形を変えるものだと知っているから。
まあこういう話をすると、「フィクションを楽しんでる人は詐欺には遭わない」とか言い出す人も出てくるけど、んなわきゃない。フィクションを楽しんでるから詐欺に遭わない自分、というのも架空の物語だ。けれど、「あっ、この人も人間なんだ……(こいつに全ベットするのはやめよう)」と思う瞬間があればラッキーだよね。


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