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【次のパンデミック計画/批判的人種理論/グリム童話】マールブルグ①


”プロイセンゲート”より。ナチスドイツとプロイセン帝国の行政の中心地であった”マールブルグ”という地名に焦点を当て、主に↓の内容を掘り下げてくれています🐸🍿

・コロナの次はマールブルグウィルス!?

・マルクス主義の拠点マールブルグ大学

・グリム童話の参考資料はマールブルグ図書館にあった。



マールブルグウィルス


2021年、世界保健機関(WHO)は"マールブルグウイルス"について警告を発しました。

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世界保健機関(WHO)のテドロス・アダノム・ゲブレイェスス事務局長は、ギニアでマールブルグウイルスが検出された後、150人の接触者と4人のハイリスク接触者が特定されたと発表した。


気になったのはマールブルグという名前です。なぜドイツの古い町の名前"マーグルブルグ"をウイルスにつけているのでしょうか。

実は”マールブルグ”には、プロイセンに繋がる奇妙な偶然がたくさんあるのです。


WHO事務局長/マルクス主義者 テドロス

まず、2020-21年のパンデミック時のWHOで最も興味深いのは、その事務局長テドロスである。

中国共産党の影響を受けているテドロスは医師ではなく、ティグラヤ人民解放戦線(TPLF)というグローバル・テロリズム・データベースに登録されているマルクス主義政党のメンバーなのです


【WHO長官テドロスの衝撃的な事実】

中国は、テドロス氏が医師としての訓練を受けていないにもかかわらず、2017年にWHOの指導者になることを支持したと伝えられている。

テドロス氏はエチオピアの中国への借金を手助けした。その中にはテドロス外相が在任していた2012年から2016年の間に130億ドル以上が含まれていると言われている。

3月中旬にヒル紙が掲載した社説は、こう指摘している。

テドロス氏の母国であるエチオピアは、アフリカに影響を与える中国の一帯一路構想の鍵となったため、今や東アフリカの『小さな中国』と呼ばれるようになったが、我々は中国とそのつながりに注目している。実際、中国はエチオピアに多額の投資を行っている。】


テドロスのつぶやき⇓

WHO と #中国 は、長く生産的なパートナーシップを築いてきました。WHOは2000人以上の中国人ヘルスワーカーの海外研修を支援したことを誇りに思います。中国が「一帯一路」構想を通じて他国の保健システムを強化してくれていることに感謝します。】


テドロスのダンス⇓


彼が地元のバーで活躍することを祈りますが、テドロスへの関心はそこではなく、”マールブルグ”を紐解く上で重要なポイントになる”彼のマルクス主義者、テロリストとしての過去”にあります。


次のパンデミックはマールブルグウィルス

ビル・ゲイツのGAVI研究所( 2021年4月22日 )によると、マールブルグウイルスは人類を襲う次のパンデミックとなる可能性があり、このウイルスに感染すると、90%の確率で発熱、悪寒、嘔吐を起こし、あらゆる開口部から出血し、死に至るとのことです。

1967年8月、ドイツのマールブルグとフランクフルト、そしてベオグラード(当時ユーゴスラビア)で、高熱、悪寒、筋肉痛、嘔吐といった感染症の症状が集団で出始めた。患者は数日間にわたって悪化し、針の刺し傷など全身の開口部から出血するようになった。合計で31人が死亡した。


このウイルスは、1967年に研究員が感染したアフリカミドリザルの組織に触れたことにより、31人が死亡しています。注目すべきは、このウイルスが最初に発見されたのはこの記事の中心になっている”ドイツのマールブルグ”です。


三十年戦争で壊滅したマールブルグ

マールブルクのは多くの戦争に見舞われ、最も有名なのは30年戦争(1618-1648)で、マールブルクとその周辺地域は人口の66%以上を失いました。WW1やWW2を凌ぐ犠牲を出していたのです。


三十年戦争は、通常の紛争とは比較にならないほど残酷な物語でした。

【三十年戦争 - ヨーロッパを変えた17世紀の戦争】

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【7. 戦争、飢餓、病気による数百万人の犠牲者
三十年戦争の正確な死者数は明らかにされないだろうが、犠牲者の推定数は驚異的で、20世紀の紛争までこれを超える戦争はなかっただろう。少なくとも800万人が死亡したと考えられており、ドイツのいくつかの地域では50%もの人口減少が見られたという。

例えば、マールブルクでは、4万人いた人口がわずか5千人にまで減少し、その後完全に回復することはなかった。飢饉、病気、集団移住が終末的に重なり、ドイツの多くの地域は何世代にもわたってゴーストタウンと化した。この破壊の結果、多くのドイツ人は関係者に和平を促した。


戦争があまりにひどいので、ヨーロッパの秩序が再編成されました。この戦争は、当時の”グレート・リセット”であり、プロイセンはこの戦争から台頭することになります。

おなじみのパターンです。

【10. ヨーロッパの旧秩序の再編成
三十年戦争の遺産は何だったのでしょうか。ハプスブルク家にとっては、プロイセンなどの勢力が台頭し、神聖ローマ帝国が分権化することを意味した。】


プロイセン行政の中心地


その後、マールブルグはヘッセン選帝侯領の僻地となり、やがて1866年頃、プロイセンがマールブルクを併合し、プロイセン帝国の行政の中心地に選びました。

マールブルグの図書館にはプロイセンにとって重要な文書が数多く所蔵されています。


マールブルグ大学

1549年に設立された大学で、1609年には化学研究の世界的な中心地となり、何世紀にもわたって化学の強い伝統を維持してきました。

マールブルグウィルスという名前には、理由があります。

1967年8月西ドイツ(当時)のマールブルグとフランクフルト、およびユーゴスラビアのベオグラードでポリオワクチン製造および実験用としてウガンダから輸入されたアフリカミドリザルの解剖を行っ たり、腎や血液に接触した研究職員、および片づけを行った人など合わせて25 名に突如熱性疾患が発生し、7名が死亡した。

この大学が有名なのは、ミドリザルをいじくりまわして致命的な病気を発見しただけでなく、マルクス主義の拠点であるからでもあります。


批判的人種理論(Critical Race Theory: CRT)とそのアメリカ全土の学校における破壊的な影響については、ほとんどの人が知っているでしょう。CRTは、フランクフルト学派が信奉するイデオロギーから生まれました。

フランクフルト学派は、ナチスが政権を握った1933年にドイツを脱出し、コロンビア大学に居を構えました。

文化的マルクス主義の誕生:「フランクフルト学派」はいかにして米国を変えたか

https://sagaciousnewsnetwork.net/the-birth-of-cultural-marxism-how-the-frankfurt-school-changed-america/

【アメリカへの進出
1934年、コロンビア大学で生まれ変わり、アメリカ文化に影響を与え始めた。コロンビア大学では、西洋文化を破壊するための道具である「活字」に磨きをかけ、大衆向けの出版物を数多く発行した。その最初のものが「批判的理論」である。

批判的理論とは、意味論で遊んでいるようなものだ。家族、民主主義、慣習法、言論の自由など、西洋文化のあらゆる柱を批判するという単純な理論であった。これらの柱が圧力で崩れることを期待したのだ。

マールブルグ大学は「赤い大学」とも言われていますが、これは信じられないほど暴力的だったボルシェビキの赤色革命を不気味に反映しているのかもしれません


マールブルグについて、他にもおもしろい発見がありました。

おとぎ話のアノン:児童虐待のグリム童話

マールブルグはプロイセン思想の台頭に重要な意味を持ち、プロイセンの行政・教育の中心地となっていました。

マールブルグはグリム兄弟でも有名です。

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プロイセンがマールブルグを行政の中心地にしたのは、マールブルグ大学が過去の出来事や物語、民間伝承など、ドイツ史に関する珍しい史料の宝庫であったからかもしれません。

1805年、兄弟はマールブルグ大学に入学し、ドイツの民俗学への情熱に目覚めました。そして、グリム兄弟は、そのマールブルグ大学の情報をもとに、200以上の「おとぎ話」を書き残したのです。


【グリム童話はグリムという人が作った童話だと思っている人も多いかもしれませんが、グリムさんが考えた童話ではありません。グリム兄弟が、「編集」した童話集です。物語を作ったのではなく、編集しただけです。


当時のヨーロッパも、自由な思想家は、王の独裁的な支配を脅かす存在だったので、非常に厳しく扱われていました。

グリム兄弟は政治活動家としても知られており、ドイツは分離された諸侯国ではなく、憲法の下で統一される必要があるという構想を抱いていました。この意見は政治的な急進主義と見なされ、彼らはゲッティンゲン大学を解雇されることになったのです。

兄弟はマールブルク大学で歴史情報(事件、神話、伝説)の宝庫を手にしていました。兄弟が偶然発見した事件を公にすることは間違いなく「首を取られる」ことになります。

この恐ろしい真実を世間に知らせるには、「おとぎ話」しかなかったかもしれません。実際、「グリム兄弟」の初版は、間違いなく子供向けではありませんでした。

【1812年にドイツ語で出版された初版は、おとぎ話の文学史の中でも異彩を放っている。もともとグリム兄弟は、ドイツ民族の民話を保存するための学術的な作品であり、明らかに文献学的な傾向があった。そのタイトルとは裏腹に、この本は子供が単独でアクセスすることを想定していない。


グリム兄弟を深く掘り下げると、児童虐待、感情的・身体的・性的虐待、カニバリズムなど、衝撃的なテーマが見えてきます。

ジャック・ザイプスが翻訳した「現代のグリム童話」として知られるものと原作は、大きく異なるようです。

【ザイプスが説明するように、グリム兄弟のような学者によっておとぎ話が記録されると、最も性的な部分が検閲されるようになったことが問題だ。ザイプスは長年、おとぎ話を本来の姿に戻すことを提唱してきた。グリム童話集の初期版には、暴力、性、タブーの痕跡が残っているのだ。

場合によっては、ストーリーが完全にカットされることもあった。検閲を受けていたのです。

グリム兄弟は改訂、再編集などを繰り返し、彼らの童話は1857年の有名な、明らかに子供向けの第7版に至ったのである。


「白雪姫」「ヘンゼルとグレーテル」「シンデレラ」「カエルの王子様」など、200の物語が書かれたが、どれも現在私たちが知っているものとは全く違うものだったようです。

プロイセンはグリム兄弟が暴露しようとしたことを隠そうとしたのだろうか?

「白雪姫」

1812年に書かれた白雪姫の物語のうちほんの一例ですが、

【白雪姫は7歳の時、母親は猟師に自分の娘の臓器を持ち帰らせて、それを食べることを望んだ。猟師は猪の肺と肝臓を娘の臓器として持ち帰り、母親はそれが娘のものだと信じて塩ゆでにして食べた。】というシーンがあります。

グリム兄弟が、儀式的な児童虐待やカニバリズムのネットワークについて世界に警告しようとしていたという具体的な証拠はないが、悪名高い小児性愛者、ジェフリー・エプスタインやヒラリークリントンとその仲間たちが、白雪姫と奇妙な関連性を持っていたことはわかります。




グリム兄弟は、自分たちが住んでいたドイツの土地の状況を改善することを目的とした二人の男でした。彼らは文学史家として、内々で発掘していた物語を公的に語り始めることにしたのかもしれません

プロイセンのマールブルグという知られざる町から、悪魔崇拝の調査は始まっていたのかもしれません。



『全人類が悪魔支配から脱するためには、結局のところ、先に目覚めた人が 家族/親戚/知人/今日初めて会った人などに “話して伝える” という、地道な作業が必要になります。

何度も何度も大声で、あなたの声を、この世界に響かせてください(エコーチェンバー)。

あなたの声を通して、神からのメッセージが直接伝わります。

"神はあなたが人類を救うと知っていて、あえてこの時代にあなたを選んで地上に使わした" ということを、思い出してください。』

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