読書感想文(31)サマセット・モーム作、金原瑞人訳『月と六ペンス』

はじめに

こんにちは。笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。
一ヶ月ぶりの読書感想文です。五月に読んだ分は結局書くのを諦めました。アウトプットは大切なので、今月からはまたきちんと書いていきます。

今回読んだ『月と六ペンス』は、まずタイトルになんとなく惹かれました。初めて「月と六ペンス」を知ったのは実は本ではなく、京都にあるカフェでした。素敵な名前だな、行ってみたいなと思っていると、本屋で同じ名前の作品を見つけて驚きました。それからいつかこの本を読んで、このカフェに行こうと決めました。やっと読むことができたので、近いうちに行ってみようと思っています。

感想

随分前から買って手元にあったこの作品を今読むことにしたのは、この作品が情熱的なストーリーだと思ったからです。新潮文庫の裏表紙には、次のように紹介されています。

ある天才画家の情熱の生涯を描き、正気と狂気が混在する人間の本質に迫る、歴史的大ベストセラーの新訳。

私は何かに取り憑かれたように、一つの物に深く執着するような人に憧れます。自分の人生について考える今、自分にとって生きる意味とは何なのか、という問いに対するヒントを求めて、この作品を読むことを決めました。情熱的な画家に感化されることを求めていたのだと思います。

しかし実際に読んでみると、全く期待とは異なる感想を持ちました。単刀直入に言えば、天才画家ストリックランドにシンパシーを持つことができませんでした。一方で、人生を賭けるものを見つけ、執着し、貫き通すというのはこういうことなのだろうとも思いました。少なくとも今の私に、全てを捨ててまでも成し遂げたい事はありません。よって私は凡人の立場からこの作品を読むことになりました。

凡人の立場というと、作中のストルーヴェがいます。この作品で初めに印象に残ったのはまさにこの凡人を思い知らされる場面でした。画家としての才能が無いことを自覚するストルーヴェと、芸術に疎い一般人の妻・ブランチとの会話です。

「お前はどうしてそんな風に考えるかなあ。世界でもっとも貴重なものである美が、散歩の途中でふと拾う浜辺の石ころと同じようなものだと思うかい?美とは、芸術家が世界の混沌から魂を傷だらけにして作り出す素晴らしいなにか、常人がみたこともないなにかなんだ。それもそうして生み出された美は万人にわかるものじゃない。美を理解するには、芸術家と同じように魂を傷つけ、世界の混沌をみつめなくてはならない。たとえるなら、美とは芸術家が鑑賞者に聴かせる歌のようなものだ。その歌を心で聴くには、知識と感受性と想像力がなくてはならない」
「それなら、なぜわたしはあなたの絵をいつも美しいと思うの?はじめてみたときから、ずっとそうよ」
ストルーヴェの唇がわずかに震えた。
「愛しい人、きみはもう寝なさい。僕は散歩ついでに客人を送ってくる」

一つ言えることは、そのものを深く理解していなければ、自分に才能が無いことすら見抜けないという事です。何かに熱中することで初めて壁の高さを知るということは、他の物事でもよくあることなのではないでしょうか。


(以下、ネタバレを含みます)


また、これもストリックランドとは異なる凡人としての感想ですが、恋愛についても多く印象に残ることがありました。

ブランチの行動は理解できなくもない。ただ、ストリックランドの肉体に魅了されたのだ。きっと、ストルーヴェを本当に愛したことなどなかったにちがいない。夫への愛にみえたのは、じつは、与えてもらう愛情や快適さに対する反応に過ぎなかったのだろう。ほとんどの女が、それを愛だと思い込む。
(中略)
愛に似た感情は、庇護されていることの満足感や、財産を管理していることの誇り、夫に欲される喜び、居場所があることの嬉しさによって生まれる。そんな感情を女が愛と呼ぶのは、精神を重んじるところから生まれる虚栄だ。そうした偽の愛情は、真の情熱の前では実にもろい。

このような話は他にも何かあったような気がしますが、今は思い出せません。現代では肉欲を満たすためだけの関係を蔑視する風潮があるように思われますが、肉欲と恋愛は切っても切り離せない関係があります。

女は自分を傷つけた男なら許せる。だが、自分のために犠牲を払った男は決して許せない。

これについては、ここだけ取り出すと反感を覚える人も多そうですが、考える余地は大いにありそうです。

もう一つ、ストリックランドと同じように、世間的に「人生を棒に振った」ように思われているエイブラハムについて、語り手の「わたし」 の考えが印象に残りました。

エイブラハムは本当に人生を棒に振ったのだろうか。彼は本当にしたいことをしたのだ。住み心地のいい所で暮らし、心の平静を得た。それが人生を棒に振ることだろうか。成功とは、立派な外科医になって年に一万ポンド稼ぎ、美しい女と結婚することだろうか。成功の意味はひとつではない。人生になにを求めるか、社会になにを求めるか、個人としてなにを求めるかで変わってくる。

これは近年色んなところで言われていることです。自分自身の一度きりの人生をどのように生きたいのか。型にはまった正解ではなく、納得解を自分で創り上げる時代です。それを百年以上前に著しているということには驚きますが、今だからこそそのようなテーマがより浮かんでくるのかもしれません。
余談ですが、今アニメを放送している「僕のヒーローアカデミア」のエンディングテーマ、peggiesの「足跡」にも「用意された正解当てるための僕じゃない」という歌詞があります。やはりそういう時代なのだなあと思います。

最後に、細々とした感想も残しておきます。ストリックランドはやはりコミュニティに属する人としては尊敬できないのですが、「わたし」との会話は切れが良くて面白く感じました。このことは訳者あとがきでも触れられています。
切り返しのような会話って好きなんですよね。私は和歌の特に面白い点の一つが切り返しにあると思います。前提を踏まえた上で予想の斜め上をいくこと。昔から結構憧れがあります。
また、ストリックランドの晩年の話は、正直どのように解釈すれば良いのかわかりませんでした。何故晩年を他人から聞いた話としたのか、晩年を描くことで何を伝えたいのか。一読者としては単純にお話の続きが読めて良かったのですが、それで終わってしまっていいのかと思ってしまいます。特に家族の在り方については、初めの家族やブランチとの関係と比較して何か読み取れそうですが、あまり整理できていません。今わからないことを考えすぎても仕方ないので、いつか読み返した時に何かわかればいいなと思っておきます。

おわりに

久しぶりに小説を読みましたが、面白かったです。先月はほとんど小説を読めなかったので、今月はたくさん読むつもりです。
今のところ、ホームズ残り5冊を読み切りたいと思っています。その他、スタンダール『赤と黒』やオースティン『分別と多感』も気になっています。海外文学ばかり挙げましたが、日本文学も読みたい本が結構あります。また、文学史も勉強したいなと思っています。
やりたいことはたくさんありますが、一つずつゆっくりやっていこうと思います。

というわけで、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。


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