『く』 クラッシュギャルズ
空前の女子プロレスブームを2回経験しています。
1回目はビューティーペア。ジャッキー佐藤とマキ上田。
リングの上で紙テープが飛び交う中、ヒラヒラの衣装を着て歌っている。
まだ小さかった私は、かっこいいというか、すごっ。何これ?という印象。
ただ姉と一緒に♪ビュ〜ティビュ〜ティ〜ビュ〜ティペア〜♪とフリつきで真似していたのを覚えている。
そして2回目。クラッシュギャルズです。
ライオネス飛鳥と長与千種。
いつ頃自分がハマったのか忘れてしまったので、ウキペディアで調べると
1984年にクラッシュギャルズ結成。
1985年に解散。
ん?クラッシュって1年だけの活動だったか?
東スポに長与千種の連載があった。こちらの方が詳しい。
1983年 クラッシュギャルズ結成。
1984年 人気爆発 WWWA世界タッグ王者
1985年 クラッシュギャルズ活動休止
1986年 クラッシュ対決
1989年 長与千種引退 ライオネス飛鳥引退
こうしてみると、私が最もハマったのは1984〜1985年。小学5、6年から中1くらいか?意外と子供だったんだな。
そしてクラッシュの活動期間は短かったんだなあ。
あ、あとでクラッシュ2000として再結成して活動してたけど、その時はまあ、はい、置いときます。
初めて女子プロレスを見たのは、鴻池新田のダイエーだったか、スーパーの駐車場。生のクラッシュを見たときは大興奮だったなあ。試合前にリングで歌を歌っている2人に、気づけば紙テープを投げていた。そこから京都や大阪の会場は何度も見に行った。
それまでの女子プロレスって、派手なコスチュームで少しお色気的な要素の強いレスラーが人気だったけど、クラッシュギャルズは、お色気なしの真剣勝負、技のスピード、クオリティとも全然違った。
とにかくかっこいい!
急激に女子プロレスに、クラッシュギャルズに、特にライオネス飛鳥にハマっていった。ちなみに姉は長与千種が好きだった。
なぜライオネス飛鳥が好きだったかというと、きっとイメージカラーが青だったから。赤より青が好きだったから。
本気で全日本女子プロレス(全女)に入りたいなんて思って、走ったり、腕立てしたりしてた時もあったけど、姉に「腕立てしたらまじで腕太くなんで」と言われてあっさりやめた。
今振り返ると、本当にすごい時代だった。
クラッシュギャルズ以外にも、ダンプ松本率いる極悪同盟、JBエンジェルズ、オペロン同盟、大森ゆかり、ジャンボ堀、デビル雅美、そしてジャガー横田とタレント揃いだったし、北斗晶も新人だったなあ。
ん、オペロン同盟?
なんやそれ?ふざけた名前。
実はクラッシュギャルズから女子プロの世界へ入ったけど、一番好きだったのはこのオペロン同盟の永友香奈子。かなちゃんは、小さくて細くて、まあレスラーとしては強くなかったけど、顔がね、かわいかったし、小松美加とのコンビが面白かった。実力よりも人気先行のコンビ。強くないのに人気って珍しいし、勝負の世界ではある意味すごい。
一番印象に残っているのは大阪城ホールでダンプ松本VS長与千種の試合、長与千種の腕にフォークが突き刺さったまま、場外を歩いていて、座席の真横を通ったその衝撃は今でも覚えている。
あれからもう40年近く経とうとしている。
当時の女子プロは結婚することも考えて、25歳定年なんて言われてたけど、今考えると25歳なんてまだまだ若い。
時代とともに女子プロレスも変わっていったなあ。
全女がなくなるんだもんなあ。
いやあ、時が経つのは早い。
部屋の整理をしてたら、クラッシュのカセットが出てきた。
何気に長与千種の『風のチケット』って歌が好きでよく聴いてたな。
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