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『か』 看護師になる

「看護師だけには絶対なったらあかん」

看護師だった母親がよく口にしていた言葉。

両親とも看護師。
30年以上前だと、男性の看護師は珍しく、父親が看護師ということが少し自慢だった。
小さい頃、両親とも夜勤で姉と2人で過ごす夜は、お風呂に入るのもトイレに行くのも怖くて、机の上にお菓子、ジュース、お気に入りのおもちゃなどを、ほとんどそこから動かなくて良いようにセッティングして、壁に背中をしっかりとくっつけ、テレビをひたすら見ていた。
高校生くらいになると、もうその日はハッピーデイで、お風呂だっていつ入っても良いし、ポテトチップスをご飯前に1袋食べても良いし、夜更かししても怒られないし、親の目がないことの自由さが嬉しかった。

母親が言った「絶対になったらあかん」理由は夜勤があるからだった。自分身体もキツいし、子どもにも寂しい思いをさせるから。
まあ意外と子どもは喜んでたんやけど。
素直に母親の言葉を守り、なりたい職業の中に看護師は1ミリも含まれないまま、学生時代を過ごし就職した。

イベントやホテルの照明会社。
夜勤がある仕事はあかんと言われて育ったはずなのに、「26時終わりって何それ?」「今日泊まりになったから、コンビニで下着買ってき」「明日は始発で集合」「1ヶ月地方泊まり」とか。
看護師を選ばなかった娘の職業はなかなかハードなもので、母親からよく「なんで終わり時間が分からへんの?そんな仕事ある?1週間休みないとかおかしい、残業しすぎやろ」と怒られたなあ。
娘にしてはめちゃくちゃ楽しい仕事だった。

そんな私が結婚して仕事をやめ、専業主婦を10年ほどした後、
そろそろ働かねば家計もやばいなあ、でも子どもも小さいしなあというときに、
求人チラシにいつも出ていた「ヘルパーさん」。週1日から3時間でもOKなんて言葉に、「これやん!ちょっとだけ働いて、家計の足しになったら良いな」

「それやったら看護師になったらいいやん」
相談した両親の言葉。

え?

絶対なったらあかんって言うてなかった?

「准看護師は2年で資格取れるで、給料もヘルパーさんよりいいし」

そんな両親の言葉もあり、36歳で看護学校に通うことに。
家の近くに学校があったのも今思うとラッキーだった。
一つネックだったのは制服...
この年でブラウスにスカートの制服着るのは...
家と学校が近いのはメリットでもあったんだけど、逆にスーパーなんかで知り合いに遭遇しやすいというデメリットも。
最初のうちは着替えてたけど、慣れてくると普通に制服で子どものサッカー見に行ったりしてたなあ。周りの方が反応に困るけど、関西のおばちゃんたちはいい感じでいじってくれた。

お金も欲しかったのは事実だけど、もう一つ、看護師になろうと思ったのは、
「看護師不足」で東南アジアから看護師を目指して留学生が来ているって、ニュースを見て、少子化が進んで高齢者が多くなっていく中、自分にも何かできるんじゃないかと思ったのも理由。もうすでに在宅でお世話をして行こう的な流れになっていたから、自分の親も含めて、私が役に立てれば...なんて。

准看護学校の2年間は本当に高校時代に戻ったようで、授業中は大人しいのに、イベント事になると、先頭に立って出し物を考えたり、アホなことばっかりして大笑いしてた。ちゃんと先生にも怒られて、完全に15、16歳に戻ってた。

看護学校の最大のイベント、実習を乗り越えた時、このまま就職するのは怖いなあと正直思ったのと、友達がみんな進学コース(准看護師が行く2年制の看護学校)に行くと言うので、私も進学コースへ進んだ。
結局36歳から4年間、実年齢から20年ほど若返った生活をしていたものだから、今でも気持ち的に20年若い感覚になっていて、自分がもうすぐ50歳になると言う自覚が全くない。36歳の自分が一番大人だった。

看護実習は今思い出しても、嫌だったの一言。
もちろん嬉しかったこともあったけど、それは忘れないように覚えておこうと努力しないと出てこないレベル。嫌だったことは忘れたくても忘れられないレベル。
大人になって泣くことってあんまりないけど、実習では泣いたなあ。

記録が書けなくて、もう自分は底辺の底辺の人間だなんて思ったこともあったし、その日発表しないといけない関連図を「全然関連してへんやん!」って夜中の3時に全部消してしまって、冷静になったときに涙出たこともあった。洗髪した患者さんから「気持ち悪い」って言われて凹んだり、「あっち行って」って言われたこともあったなあ。
そんなことがあったから余計に患者さんからの「ありがとう」って一言がめちゃくちゃうれしく感じるねんな。
実習はしんどいけど、後から振り返ると、嫌な態度だった看護師も、自分のことを思って怒ってくれたんかな...なんて思えるかい!

そして40歳で看護師になった。
療養病棟からスタートして、内科小児科、リハビリ病棟。
私の中では、コードブルーのようなバリバリの急性期やオペ室で働きたいなんて夢もあったんだけど、気づけば...慢性期に回復期。これはもう仕方ない。おそらく私に合ってるということだろう。だた早いうちに経験値は積んでおきたかったなと言うのは本音。経験しないと分からないからなあ、何事も。

まあ経験値は全然ないんだけど、実習指導者という立場をいただいて、学生と関わることも多い。コロナの前は。
学生には一つでも成功体験を経験して欲しいというのが私のポリシー。←大げさ
記録がちゃんと書けなくても、関連図が関連してなくても、毎日笑顔で患者さんのところに行けたら、それでいいと思っている。←私は。

絶対になったらあかんと言われた看護師になって丸8年。
ちょっと家計の足しになれば...なんて思っていたはずなのに、夜勤もバンバンやってフルで働いてる。
40歳で看護師になる人なんているのかなあと思ったけど、意外にもそんな人生を歩む人は少なくなかった。
あの時、背中を押してくれた両親(特に父親)、支えてくれた旦那や子どもにも感謝している。
ただ絶対になったらあかんと言われてなかったら、もっと早くになっていたかもやけど。

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