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哀、喪、エチュード

3月の瞬きの中に、私とんどが静穏の中で過ごしている。リモートでの日々、自宅での献立作り、美食の享受、音楽の響き、そして、訪れるイベントに向けての準備。考えないといけない事柄は多々あれど、先延ばしにしてしまう。ほぼ毎日、連れ合いとの会話している。彼との対話は、私を癒し、かつストレスを感じさせなくて。同棲は従来、私にとって無理と考えていたが、彼とはどうだろうという気持ちも湧いてくる。映画鑑賞も共にしたり、彼としている日常会話が奇跡に感じられて、ときどき感傷に耽る。もし彼が今と変わってしまったら、私はどうなるだろう。その失いたくない現状の消失に対する恐怖は、戦禍や災害にも伴うものだろう。それは健康上においても同様。もし彼が、今の彼ではなくなった場合、私はどのような感情を抱くだろうか。愛情を同じように注ぎ続けられるだろうか。思い悩むけど、人生は続いてゆく。

大切な人を失った悲しみを、半年前に経験し、その後すぐに今の連れ合いと結ばれたことで、その悲しみが薄れた。喪失感の欠落。その事実に対しても哀愁を感じる。自分の感情の落ち着くところは、苦悩ではなく、哀愁や無常観にあるのかもしれない。あまり前に人生は続いていく。
最近、甘えすぎた自分に気づいてるから、三月は少し距離を置き、自分の目標に集中する必要があるかもしれない。喪失に備えるような感覚にもなる。大切な人を失いたくないが、今はもう、その存在によって心が安らぎ、同時に自分自身で立ち向かう勇気も湧いてきている。感謝を忘れず、前進していく。

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