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本質がある方向

が、自分の場合、やっぱりロマンチックな方向にあるんだろうと思った。じゃなかったら、そもそも冷笑的な価値観や、中途半端に開き直った敗北主義的なリアリスト等の空気に触れたときに心が乾いてしまう不快感も感じないだろうと思った。これらに対する嫌悪は正直、陳腐なロマンティシズムに対する嫌悪感よりも遥かに大きい。私の全てになってくれる人を心の底から切望しつつ、それはないと分かっている感じ。そもそも切望してる時点でアホみたいなロマンティストだと思う。自分みたいなロマンティストと出会いたいと思う。そして、自分みたいに冷笑や敗北主義に墜ちてしまわないように支え合える誰か、そんな人を求めていて。それが出来ていた。そんな美しい人に少し前から拒絶されている。だからロマンティストとしてのウケと冷笑的なウケが入り交じって爆笑するしかなくなっている。
ただナルシストなのでそういう自分も好きだ。
本当に愛せる他人は、欲しいけど。
表層消費しか、し合えないのは悲しい。もう、そういうのは、御免だ、と思ってるけど、そういうことばかり考える自分の浅はかさに憂鬱になる。
だからこそ美しい心の鏡が必要。セーラームーンみたいになっちゃうけど。見た目や社会的立場や属性、経歴なんてクソほどどうでも良い(と思いたい)、どんな景色をみてるか、見えてるか、その美しさに触れたい、その美しさを共有したい、その美しさを作りたい、そういうことが出来るような相手を求めてる。これが「絵になるような恋がしてみたくて」の本当の意味だ。
甘い恋なんて、誰とでも定額なんだ正直。表層のバイブスさえ合えば。
でもそんなことばかりやってると、心が乾く。美しい光景+快楽が欲しい、他力本願になってるから見つかりにくいのかもしれないから、まずは自分からかなぁ。

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