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【台東区】吾妻橋

2023年12月29日。師走も押し迫っている頃。妻子は実家に帰省したので、夜、浅草に釣りに出かけました。結果的にはなにも釣れませんでしたが、もののついでで吾妻橋で東京時層地図を開いてみました。

写真が綺麗。普段からメガネをつけておらず、夕暮れになると暗くて見えなくなるので、撮った写真がこんなに鮮明だとは驚くばかりです。

メガネにすると老眼で手元が見えなくなるので、取ったり外したりと面倒なんですよね。メガネ新しいの作ろうかな。

吾妻橋とアサヒビールビル


現代の地図 2023年

現在地は吾妻橋のたもと。
北には浅草の浅草寺があり、東にはアサヒビールを象徴するモニュメントのあるビル。
浅草寺は行ってみたい場所ですが今回は行っていませんのでまた改めて。

明治初期 1880年頃

〇 浅草寺の象徴、雷門がない。

江戸時代に火災で度々焼失し
明治から太平洋戦争後までは、様々な形で仮説の雷門が建てられ、現在の雷門ができたのが1960年。

いわゆる仲見世商店街もこの時期は形成されていないようです。

これは明治にはいってからの廃仏毀釈により、浅草寺の所領が没収。
仲見世も取り払いされてしまった影響のようです。


〇 明治初期のこの地図、吾妻橋は大川橋という名称。
江戸時代の1774年 10代将軍徳川家治の時代に橋が架けられ当初は大川橋と呼ばれ(隅田川は大川と呼ばれていた)
その後、諸説ありながら吾妻橋となります。

諸説とは

東にあるからアズマ橋とか、慶賀としてのアズマとか、向島の吾嬬神社に通じる道だからアヅマとか

吾妻という文字の語源は

ヤマトタケルの妻オトタチバナヒメが海神の怒りを鎮めるために入水し、ヤマトタケルが沈みゆくオトタチバナに向かって、アズマハヤ!!(吾妻者耶!!わが妻や!)と叫んだことによるものだそうです。

ネットにあった興味深い考察では吾妻橋は自殺の名所だったために、ヤマトタケルの故事になぞらえて吾妻橋と名称がついたのではないかという考察もありました。例えば江戸時代に不倫関係の挙句に飛び降りが連発して、みんな叫びまくったということか。うーむこわい。

〇 大川橋の南にある池のようなものは江戸時代の地図をみると
寄合 巨勢十左衛門 五千石
巨勢(こせ)氏は紀伊徳川家属の旗本 ネットで検索すると徳川吉宗を支えた旗本の一族らしいです。真贋さだかではないですが徳川吉宗の生母がこの巨勢一族から出ているとか。

〇 この時代でも地図からわかる人口密度の高さ。浅草は当時の東京のメインストリームだったことがわかります。


明治後期 1910年頃

〇 橋の東には麦酒会社という表記があり、この時代すでにアサヒビールの前身が陣取っています。(江戸時代は越前福井藩 松平越前守 32万石)

〇 浅草寺の新生仲見世としてレンガ造りの仲見世商店街が出来上がっています。
〇 明治20年 1887年 隅田川発の鉄橋に再架橋。

わりと小さめで箱のような形の橋。面白い構造ですね。

〇 国会図書館デジタルで資料をあたりますと、吾妻橋は繁華街浅草のランドマークだったようで吾妻橋を登場させている物語は多いです。とにかく吾妻橋がバンバン登場。

牛山鶴堂、坪内雄蔵、愛柳散史、上田捨吉、三木愛花、宇田川文海
名前を知りませんでしたが、吾妻橋を調べるにあたって名前を知ることができました。坪内雄蔵は坪内逍遥か。

140年前の名前も知らぬ小説家の名前を見ていると、底知れぬ自己顕示欲を持っているのならば、記事は無料で著作権もないほうが、広く長く人に知られることになるのではないかと感じました。



大正時代関東大震災前 1920年頃

〇 青物河岸 青物といえば京橋大根市場青物市場が連想されますが、ここにも市場が。関東大震災後にこういったところどころに散らばった市場が終結してできたのが築地市場のようです。

〇 Wikipediaによるとこの時代に鉄道と車道と人道の3本が通る橋になるようなのですが、地図では確認できませんでした。

昭和初期戦前 1935年頃

〇 吾妻橋を鉄道が通っています。関東大震災で橋板が焼け落ちてしまったので、昭和6年に架け替え。

〇 駒形橋ができています。昭和2年完成。関東大震災後の復興計画でできたものです。防災という観点からすると橋が多いのは避難経路も確保できるので重要なのでしょう。

〇 浅草の墨田公園はこのころから造られ始めたようです。こちらもまた関東大震災後の復興計画。

戦後高度成長前夜 1955年頃

〇 戦後も吾妻橋を電車が走っていたようです。都電吾妻橋線は1972年に廃線。

〇 この時代も川沿いに遊歩道などはなく、河川の流出を防ぐ堤防のみがあったとおもわれます。現在ある隅田川テラスの価値は非常に高いと思います。ゲームでシムシティに似た街づくりのゲームをやっていますが、住宅密集地の河川があれば必ず遊歩道は作りたいところ。


バブル期 1990年代

〇 現在は隅田川テラスとなっている現在地ですが、この当時はそうなっていないようです。隅田川テラスとは昭和60年から隅田川両岸のほぼ全域を総延長46・9kmを遊歩道などの親水施設化するもの。
いままで川と堤防とで断絶していた状態だったものを水に親しめる施設にしているのですから、素晴らしい施設なのですが、市民の利用率は高くないとのこと。
理由は、他の河川などで断続性がない、市街地からの視認性がない、ホームレスが住み着いているなどという理由のようです。
ホームレスが住んでいるのは相生橋でしかみたことがないです。

都内でこんないい場所なかなかないですね。
もし私が若くて交際相手を探している状態であれば、隅田川テラス散歩はデートコースにぜひとも入れたい場所。においもいいんですよ。磯臭いというか生活排水臭いというか独特の匂いでクセになります。嫌な人は嫌かも。
あと人が居ないのもよい。
おそらく消費につながらないし、外国人観光客には知れ渡っていないんでしょうね。
しかしベリーナイスビューです。

吾妻橋と浅草方面

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