【目黒区】目黒区民センター周辺
目黒区民センター内にあるプールに行ってきました。
オリンピック関連で住んでいる所のプールが使用中止になっているので、娘と一緒にいくのは久しぶりとなりました。
こちらは周辺地図 目黒川沿いです。
この辺りの目黒川はヤバいです。
色も白、青、緑とその日によって変わる五色沼ならぬ五色川。
僕がイメージする下水垂れ流しの1960年代の風景がそのままあります。いやーこれは子供の頃のどぶ川を思い出す。「どぶ川が大きくなった目黒川」
目黒川がなぜこんなに汚いかというと、東京都内はほぼ汚水と雨水を一緒に処理する合流式下水道を使っていて、雨が多く降ると処理しきれずに汚水がそのまま流れちゃうんだとか。
平成7年に都内は完全に下水が整備されたと調べたことがあったのですが、現実的に汚水は川に流れている(時もある)んですね。
そして下水道は都がもっていて、都の下水道局は雨水と汚水を別々に処理する分流式下水道に変更する予定はなく、区も都からの補助金がないと工事ができない。区もいろいろとやっているみたいですが、下水がそのままながれてきちゃっているんじゃしょうがない。結局はお金なんですね。
現実を無理やり受け入れるとするならば、この2021年に1960年代を感じることができる数少ない場所なのではないでしょうか。とはいえやっぱり臭いですよ。いや、においこそがノスタルジーなんだとか。無理があるかな。
大正時代 関東大震災前
目黒川沿いには田んぼがあり、川も曲がりくねっていました。
整備されるのは関東大震災後の帝都復興計画によってだと思います。
この時期、神田川も整備されていますし、関東大震災後というのは東京都にとって震災被害にあった場所以外でも相当のインパクトがあったことが分かります。
北側に窒素研究所という表記があります。
正式には臨時窒素研究所 臨時窒素研究所報告. 第1号より
ここは国の施設だった東京工業試験所の分室で、硝酸の国産化を研究していたそうです。
東京工業試験所の本館は渋谷区本町にあり、東京オペラシティ編 で取り上げたことがあります。こことつながっていたんだとにんまり。
戦前昭和10年頃の地図
戦時中とあって窒素研究所は工場のマークだけです。
この時期でも現在地である今の区民センターには、住宅等は建てられていないですね。もともと川沿いの荒地だったので宅地に向かなかったのだとおもいます。
(ところが・・・・)
高度成長前夜
三井化学工業 目黒研究所が出来ています。うん、このくらいのころにできたんだな。
(しかしです・・・)
耐火物年鑑. 第4巻(昭和18年) 日本耐火物協会 より
三井化学工業株式会社目黒研究所員 佐藤純夫 氏
戦時中の昭和18年にはすでに三井の目黒研究所はあった。
化学工業研究所ということで、戦時中の地図には記載されなかったということなのだなと思いました。
バブル期
窒素研究所は清掃工場と公園へ、三井化学工業研究所跡地は区民センターへとガラリと変貌。
化学的な工場や研究所が多いのも川沿いの特徴なのではないでしょうか。当時も垂れ流しはしていたでしょうし、この辺りの目黒川の水質がヤバいのもこの100年の伝統ということになります。
やっぱり綺麗な川がいいですね。