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なぜこれほどまで巨大なビルが立っているのだろうか。理由を知りたかった。

東京時層地図・新宿オペラシティ編

アプリの東京時層地図で新宿オペラシティ近辺を回ってみました。寺跡だったり、武家屋敷だったり、土地に歴史ありですね。

・オペラシティ概要

オペラシティはこの周辺地域である初台、幡ヶ谷、参宮橋方面から見て1番目立つ建物だ。(参宮橋はドコモタワーが目立つかも)

都庁(243m)海抜37m
新宿パークタワー(235m)海抜40m
オペラシティ(222m)海抜40m

高さで言えば東京都庁や新宿パークタワーには及ばないが、不思議と高く見える。

ウィキペディアによると徳川秀忠の乳母の「初台局」が住んでいたからとの記載もある。徳川家にゆかりのある土地のようだ。

その初台の象徴でもあるオペラシティを見てみよう。

京王線の初台駅の通りを南下すると下り坂になる。そこからの写真。

写真を見るたびに毎度思うのだが、実物はこんなもんじゃない。
同じ場所でも実際にみるとデカさが確実に3倍くらいあるのに、写真だとショボい。
写真が写しているのは真実なのか。人間は見たいものしか見ないからそう見えるのだろうか。

墓標のようだと評する人も少なくない。
墓標、墓石。言われるとそんな気もしてしまうのだが…

下の画像はオペラシティの中。青い丸が私がいるところ。
西は新国立劇場。東には表記されていないがNTT東日本の本社ビルが建っている。
さらにNTT東日本の本社ビルは奇妙な作りになっている。それは後ほど。

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初台駅の真上を通っているのが甲州街道。
北から南に通っているのが山手通り。
上を斜めに横切る道路は水道道路で、かつては淀橋浄水場(のちの都庁一体)につながる水路だった。


オペラシティ内の広場、一階からの写真。
吹き抜けになっており、巨人が空を見上げて直立している。歌う巨人というらしい。
音楽が演奏されていてオペラシティの名前にふさわしい文化芸術的空間といった趣き。

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・バブル期のオペラシティは淀橋電話局

バブル期(昭和59年~平成2年)(1984~1990年)

僕のいるところは淀橋電話局のまん真ん中だ。

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現在もオペラシティ内にNTTの社食があるというのはこの時代の名残なのか。
記号のホームベース型に「I」が書かれているのは倉庫を表している。
電話局の西側の建物は何だろう。高度成長期前夜の画像ではっきりする。



・オペラシティは昭和35年までは長楽寺というお寺だった。

高度成長期前夜(昭和30~35年)(1955~1960年)

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そして東側は現NTT本社があるが当時は前身である電電公社の倉庫。
西側は東京工業試験場で国立の研究所だったようだ。煙突が見える。
この場所はバブル期には廃墟になっており、映画などでロケ地として使われたとの記載がウィキペディアにあった。

ウィキペディアにもオペラシティのホームページにも記載がないのが、僕がいる青印にある長楽寺だ。

もともとあった長楽寺は現在は東京日野市にある。
日野市のホームページによると長楽寺は1620年に角筈村(この場所)に建立され、1800年代に最盛期を迎え弟子100名余り、その後空襲で焼失したために昭和35年に日野市に移転したとある。
300年以上続いた歴史ある寺院のまさに移転前の最後の姿ということになる。

オペラシティはお寺の跡に建ってるの?!となるかもしれないが、お寺は元来、地域のコミュニティ、寄り合い、人びとの心の拠り所、寺子屋などの学びの場として機能していた。時代は変わっても人の集まる場所となっている。

・オペラシティの横に戦国武将の井伊邸を発見

昭和戦前期 (昭和3 - 11年)(1928 - 1936年)
この時代の重要施設は白ヌキと改描があることは都庁編で学んだ。
地図もこの時代は雑な作りだが、この地図で目をひく所は山手通りがまだ開通していないことと、現NTT東日本本社にある井伊邸だろう。

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井伊氏は徳川四天王の井伊直政を初めに代々徳川幕府の重鎮であったが、大老になった井伊直弼が桜田門外の変で暗殺されたあとは、井伊家は幕府に冷遇され最終的には官軍側についた。

下屋敷が代々木にあったとあるが、140年前の地図にはここになんの記載もないので、下屋敷とは別にこの土地を明治政府に与えられたのではないかと推測。最後まで幕府方であれば、この土地もないだろう。

井伊邸の右、213と記載されている近辺に通路のようなものが見える。

驚くなかれ、ここは平成の世もあとひと月足らず(※平成31年3月作成)となった現代でも存在している。それがこれだ。

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ちょうどこれがその通路に当たる。井伊邸が戦後残っていない所をみると、長楽寺と同じく焼けてしまったのだろう。
この通路を進んでいくと、左手にはNTTの低層ビルと高層ビルの間に挟まれる形で庭のような丸い空間がある。
ちょうど井伊邸の屋敷がある辺りだ。
高いフェンスで囲まれてはいるが、扉は二ヶ所解放されている。現状で誰でも入れるようになっている。
公園のような、でも立ち入ってはいけないような。
しかし立ち入れないのなら扉が二ヶ所も開いているわけはなし、人も誰もいない。
とにかく不思議な作りである。

・関東大震災前


関東大震災前。1917-28(大正6-昭和3)年

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井伊邸の右隣のそのまた隣に福羽邸という記載がある。
福羽逸人が住んでいたと推測している。彼はなにをした人かというと新宿御苑の設計者である。
ウィキペディアによると養父は津和野(島根県近辺)藩の福羽美静。
藩の家老で幕末には藩の意見を長州藩寄りにしたとある。

福羽美静と言う人はこのあたり一帯の有力者だったらしく、代々木八幡神社に記念の碑を立てている。説明書きがこちら。
明治34年(1901年)に代々木八幡神社の拝殿の改築された際に記念碑が作られたようだ。

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・1906-09(明治39-42)年

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長楽寺の横に野津邸というのがある
薩摩藩の武士にして陸軍元帥、野津道貫の屋敷と推測する。
画像からは見切れているが野津邸の西側には小笠原邸がある。
こちらは肥前藩藩主の系統の小笠原家と推測。やはり薩長土肥側の大邸宅が多い。
この明治のご時世はやはり薩長関係者が何をするにも圧倒的に有利だったのだろう。
政権を握っているのだから当然か。


・1876-84(明治9-17)年


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140年前はこのあたりは畑、茶畑、竹林。
今でこそ都会だが、当時は郊外文字通りの田舎だった。
都庁編でもそうだが、このあたり茶畑が非常に多い。
日本人はこの時代はそんなにお茶を飲んでいたのだろうか。
地図の説明では茶及び桑畑との記載がある。
明治期には国策で絹が輸出の主力だった。桑畑ってこの時代一般的だったんだなぁ

オペラシティ=長楽寺
NTT=井伊邸

なかなか興味深い地図の旅になった。

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1975年生まれ。東京時層地図を使って東京巡りをしています。
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