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8,【豊島区】東京時層地図・池袋北口近辺編

明治期の池袋に池は見当たらず、西口に1910年は師範学校あり。

今回は池袋北口の奥まったある場所から。


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文明開化時 1876-84(明治9~17年)

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池袋というと名前の通り池があるようなイメージだが、この明治13年の地図を見たところ池はない。

かろうじて田んぼがあるのが見えるが、ここはのちの川越街道と山手通りの交差点近くなので、このあたりが池だったということになるのだろう。

地図で見るとこの時代、現在の山手通りに沿って要町から下板橋駅付近までは広大な田んぼとなっている。

そこが池袋の由来である。と勝手に断定してしまおう。

明治末期 1906-09(明治39~42年)

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駅ができた。でもこの時代の中心部は駅ではなく、僕のいる辺りだったことがわかる。

現在の平和通りが当時の池袋のメインストリートだ。

時代と共に町の中心部は移動する。

このあたりは水害の心配もすくなく、比較的に平らな土地で住むには良さそうな場所だ。

池袋の駅前に尋常師範学校ができた。

この場所は今の西口公園にあたる。1910年代の師範学校が1990年代の不良の溜まり場というのはなんとも皮肉。

関東大震災前 1917-28(大正6~昭和3年)

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尋常師範学校→豊島師範学校となる。

豊島師範学校とはなんぞやと思って調べてみると、のちの学芸大学となる学校のようだ。

師範学校の南に成蹊学園の文字がある。

今の成蹊大学の始まりの地だったようだ。

大学のある新興都市。それがこの時代の池袋だ。


昭和戦前期 1928-1936(昭和3~11年)

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ウィキペディアによると池袋は戦後爆発的に発展し、池袋発展以前は大塚の方が栄えていたとある。

が、すでに戦前のこの時期でも密集状態だ。成蹊学園は移転し、鉄道局教習所となった。


高度成長期前夜 1955-1960(昭和30~35年)

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戦後、池袋が爆発的に発展したとされる時代だ。

このあたりの細かい土地の感じ。戦後の混乱期に権利関係でごちゃごちゃになった土地を愚連隊が跋扈する荒れた池袋を勝手に想像。


バブル期 1984-1990(昭和59年~平成2年)

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師範通りという道路ができた。これは川越街道につながる。

私が上京してきたときに主な行動場所は池袋だったので、20 年以上前を思い出してなんだか苦しい。これが青春の思い出というのだろうか。

池袋は明治初期には畑で、明治後期に線路が通り、大正時代には大学もできた新興の都市、戦後には荒れて、現在は文化芸術推しの街になりつつある。

何がどういう風に変わっていくかは全く想像もできないものだと改めて感じた。


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