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【中央区】日本橋

日本橋を自転車で通りすがりに東京時層地図を開いてみました。

写真は撮っていないので改めて訪問する予定ではあります。

現代の地図

現在地は日本橋の北側です。

国道1号線は日本橋が起点。

このあたりの歴史は江戸時代初期から続き商人の三井家は徳川幕府と協力体制を築いて地位を高めていったとか。

近隣の三越三井家と三井家が作った越後屋の文字をとったもの。

このあたりのいきさつは調べてわかって驚きです。

江戸時代から続く財閥、三井家というわけか。

近隣のコレド室町も三井だし、日本橋は三井のお膝元なんですね。

財閥というのは三菱のように明治維新を境に勃興したものだとおもっていたのでこれは発見でした。

日本の3大財閥の本拠地はというと

住友:大阪
三井:日本橋
三菱:丸の内

他の財閥にも興味をもって調べてみましたが、なるほど日本の経済は財閥系が動かしているのだなと勉強になりました。

明治初期 1880年頃

現在地の少し北西の大きな建物、今の三井美術館のあたる建物あたりに三井銀行があります。

運河も入り込み、運河を使った物流だったことがわかります。

この時代の日本橋はこちら 三井住友トラスト不動産のHPより拝借 

ここで三井か!日本橋お膝元だもんなぁとニンマリ。

https://smtrc.jp/town-archives/city/nihombashi/index.html


なるほど、アーティゾン美術館の展覧会でみた、現代美術家、山口晃さんの復元すべき日本橋というのはこの橋のことを言っているんですね。
長さは短くなっていますが同じものが江戸東京博物館にあるようです。

明治6年に橋は西洋風の木橋に架け替えられているので、地図の橋はそちらの橋かもしれません。

他には

○ 地図アプリの大江戸今昔巡りによると江戸時代末期はこの三井銀行の区画あたりには

越後屋、佐々木印店、名主 樽屋藤左衛門

とあります。

樽屋藤左衛門は町年寄としてこの地を支配していましたが、明治維新とともに徐々に消滅。

対面には竹原屋、京屋もありますが今はない所をみると、明治維新の時代の流れで消えていってしまったのかなと。

その裏手には伊勢屋がありこれが今の「にんべん」

組織の存続って個人の生き死にとあまり関係ないから存続させるのは大変ですね。いやだやめるっていっても死ぬわけじゃないし。


明治末期 1905年頃

三井銀行の西に日本銀行が出来ています。
1896年 明治29年 竣工。

この土地には江戸時代には金座(貨幣の鋳造などを取り仕切る)御金改役 後藤吉五郎の屋敷がありましたが、明治維新後に追い出されてしまったようです。時代の流れ。

この場所は江戸時代からお金にまつわっている土地なんですね。

○ そういえば子供がもっと小さい頃に日本銀行の建物の外側だけ行きました。

2019年8月24日 日本銀行東門 もう4年も前・・・


○ 1911年 明治44年に日本橋は現在ある橋に架け替えられますが、この当時はまだ西洋風木製橋のようです。それでも路面電車が走っているようです。

日本橋は架け替えられてから110年以上経っている。もう日本橋は木製橋じゃなくて今の日本橋でいいと思います 笑。

○ 日本橋のところに魚河岸がある表記があります。

魚河岸といえば築地(いまは豊洲)ですが、この時代は江戸時代から日本橋が魚河岸。ここから魚を都内に供給していたのですね。

私は以前は魚は骨があって面倒くさくて食べるのが嫌いでしたが、魚釣りを始めて釣った魚を食べるようになってきているので、魚が好きになりました。ですので魚河岸ときくと「ああ、三枚におろしたい」とよだれがでます。

大正時代 関東大震災前 1920年頃

○ 1911年 明治44年に日本橋は現在ある橋に架け替えられます

○ 日本橋から南下した場所に白木屋があります。江戸三大呉服店の一つで戦後、東急グループに買収、1999年に閉店。336年の歴史に幕。

○ 日本橋の南に村井銀行。関東大震災で焼失。昭和恐慌で破産。村井邸の門柱は日比谷高校の門として使われています。

昭和初期戦前 1935年頃

○ 関東大震災後、魚河岸は築地へ移転。反対も多く移転には10年以上の年月を要したのだとか。いまの築地場外市場もどうなるんでしょうか。

○ 関東大震災後の都市計画は凄まじいですね。あっというまに昭和通りが出来上がりました。関東大震災1923年 昭和通り開通1927年

昭和通りの開通に合わせて江戸橋も移転しているようです。

○ 北東にあった中之橋の運河は埋め立て 

○ 昭和10年に三越本館ができます。三越は三井と越後屋の名前を合わせたもの。


戦後高度成長期前夜 1955年頃

○ 日本橋の南側の白木屋と高島屋がその範囲を広げたように見えます。
戦後の高度成長期前夜で勢いのある時代でしょうか。

高島屋の本拠地は大阪、昭和8年に日本橋に出店。

○ この当時は首都高が通っていないようです。首都高の開通は1962年。

バブル期1990年代

○ 高度成長期前夜から首都高ができ、路面電車が撤去され現在のような形になりました。

○ 老舗デパートの数々をみて、そういえばお笑い芸人の人で伊勢丹の紙袋のガラのジャケットを着ていた人居たなと思い、もしかすると高島屋が大阪から東京に進出したときのようになぞらえているのかな、それならアツいなと思ったのですが、伊勢丹は神田でした。

○ 三越とか高島屋に入ると場違い感がすごくて汗かいちゃうんですよね。田舎者の性というか・・・場違い感にたじろいじゃうのが納得できる歴史をもった場所、日本橋は江戸時代から続く市民経済の中心ともいえる場所でした。

日本橋近辺はじっくり歩き回ってみたいです。

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