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甲子園空色編〇〇〇〇~人生のメダル

 復興五輪で野球が金メダルを獲得しました。1996年のアトランタ五輪のことを思い出しました。
 NTTを担当していたとき、広報部から「うちの社員がアトランタの切符を獲得したよ」と教えられました。愛知・中京高校(現・中京大中京)の野球部出身の投手で、社会人野球で投げていました。森昌彦投手です。
 調べてみると、高校時代の同期にはエースの野中徹博投手(阪急から中日、ヤクルト)、他チームならエースと言われた紀藤真琴投手(広島)がいました。中京高は1983年には甲子園で前評判も高く、水野雄仁投手(巨人)のいる徳島・池田高校と名勝負をみせてくれました。桑田・清原らのいたPL学園が登場した夏でもありました。
 そのときも第三の男は、甲子園でもベンチを温めていました。
 亜細亜大学野球部では4年生にエースの阿波野秀幸投手(近鉄から巨人)がいて、同期には快速球の与田剛投手(中日からロッテ)がいました。ここでも第三の男でした。
 早速、本人からも話を聞き、グランドへも通い、「三十路のエース 五輪マウンド」の記事を五輪開催前に掲載しました。
 五輪日本のチームでは最年長ですが、当時でも146㌔のスピードボールを投げると聞いて驚きました。
 高校時代は「自分にもドラフトの指名がかかる」と待機していたものの、夕方まで待っても指名球団はありませんでした。大学時代は、本人曰く「グランドでひたすら走りこむ陸上部だった」。
 それでも都市対抗野球でチャンスをつかみ、アトランタでは銀メダルを獲得しました。前向きな気持ちと粘り強さが信条でした。
 森さんはいま、岐阜県内の高校野球部のコーチを務め、県大会の上位に顔を出すチームに育てています。野中さんは島根県の高校野球部で、紀藤さんは茨城県の高校野球部でそれぞれ監督を努めています。
 森さんがアトランタで手にした人生のメダル。今度は、高校時代の同期が率いるチームと甲子園で対戦してもらいたいものです。(おわり)
(2021年8月17日)
 〈あと文〉4回にわたる高校野球をテーマにした連載です。1回目は平和を象徴する白球に思う「白色編」。2回目は日航機が緑深き御巣鷹山に墜落した夏のエピソードをまとめた「深緑編」。3回目は甲子園大会で深紅の優勝旗を目指した球児たちの明暗を見つめた「深紅編」。最後の4回目は、球児たちがそれぞれ旅立ち、人生のメダルを目指している「空色編」です。いずれも筆者の取材体験を盛り込んでいます。若きジャーナリストのみなさまの参考になれば幸いです。(表題の色は大辞泉カラーチャート色名より)

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