旧東海銀行の遺産輝く~狂歌入東海道五拾三次展のかくれた魅力
貨幣・浮世絵ミュージアム(名古屋市中区錦3丁目)で、「狂歌入東海道 江戸の遊び心」展が始まりました。7月31日までの会期中、歌川広重の描いた東海道五拾三次シリーズのなかで、「狂歌入東海道」全56点を2期に分けて展示します。入場無料です。
場所は名古屋の繁華街・広小路沿いの旧東海銀行跡地に2021年11月に完成した三菱UFJ銀行名古屋ビル1階。コレクションは、東海銀行の創立20周年事業として1961年(昭和36年)に当時の東海銀行本店に開設した貨幣展示室(のちの貨幣資料館)が源流です。貨幣資料は国内外で1万5000点、浮世絵版画は1800点を所蔵しています。
note表紙に使っているチラシの絵は、歌川広重の「狂歌入東海道五拾三次 藤枝」の部分です。狂歌は清室真寿美の作。
口なしの 色をばよそに かしましく あきなう妹(いも)が 瀬戸の染飯(そめいい)
愛知県の三河の池鯉鮒(今の知立)の絵に付けられた狂歌は狂歌亭真似言の作。
春風に 池の氷の とけそめて 刎出(とびで)る鯉や鮒も花なる
尾張の宮宿(今の名古屋・熱田)の狂歌は松の屋満俊の作。
わたつみを 守れる神の みやの松 なみぢゆたかに こぎかえるみゆ
「狂歌入東海道」は、広重の代表作「保永版東海道」のあと、版元の佐野屋喜兵衛から刊行されました。出発点の日本橋、終点の京・三条大橋、内裏の図が加えられて56枚揃となっています。
狂歌は江戸時代に流行し、洒落や風刺を利かせた短歌です。東海道の絵に合わせて、宿場名や名勝、名物が詠われていて、旅の気分を盛り上げてくれています。
浮世絵のコーナーは写真撮影ができません。家に戻ってから、1984年に東海銀行が出版した英語版東海道五拾三次の図録「Hiroshige The Fifty-Three Stages of The Tokaido」を久々に開いています。それぞれの宿場が、保永版など三つの版元の異なる絵柄で紹介されていて見ごたえがあります。狂歌入東海道の存在を知ったことで、浮世絵の見方が広がった気がします。
私が新聞記者として金融証券を担当していた1989年以降は、銀行合併が本格化したときでした。1990年に三井銀行と太陽神戸銀行が対等合併し、名古屋でも取材に追われました。
東海銀行は2002年に三和銀行と合併してUFJ銀行となり、さらに東京三菱銀行(当時)と合併しました。私はそのつど、コレクションの行方を気にかけていたのですが、関連会社のビルや東海銀行支店などに移設されて無料公開が続けられていました。いまも貨幣資料は常設で展示されていて、こちらも見ごたえがあります。
東海銀行は地元で愛され、優れた人材を企業にも送り出していました。いまもお付き合いしている東海銀行OBを拝見していると、気骨ある「バンカー」の雰囲気を感じることができます。
東海銀行の功績は貨幣資料と浮世絵だけではありません。江戸時代の建造物で、名古屋市内に残る県指定文化財「暮雨巷」(ぼうこう)は、俳人の久村暁台(1732~92)が居宅としていました。庭も見事で、私は「東海銀行の迎賓館」と呼んでいました。東京三菱銀行(当時)と合併するときに売りに出されなくてよかったとホッとしたことを覚えています。
東海銀行の名前は消えても、文化財が当地に残ったことが誇りです。行名の由来は、東海地方というだけではありません。当時の日本銀行副総裁の津島寿一氏から「寿比南山 福如東海」の揮ごうを贈られたことも関係しています。古来、中国の慶福の言葉は、貴重な文化財として生きています。
(2022年5月21日)