被災地に石油運んだ「DD51形」引退~震災10年に思う(下)
DD51形ディーゼル機関車は、3月13日のダイヤ改正で定期運用から姿を消すことになりました。貨物列車を牽引するディーゼル機関車として、旧国鉄時代の1962年に誕生し、現在は日本貨物鉄道(JR貨物)が、愛知県稲沢市の愛知機関区に6両保有しています。車両の老朽化が進んだため、引退となりました。
DD51形の所属した愛知機関区には、2019年6月に行ったことがあります。運転台が中央にある「凸型」の車体が特徴で、どっしりとした風格がありました。運転台には運転席が前後二つあり、内部は意外に広く感じました。色や形から、「毛ガニ」とか「文鎮」と呼ばれることもあったよでうです。
2011年3月11日の東日本大震災のあとは、東北に石油を運ぶ「救世主」でした。なぜなら、非電化路線でも走ることができるディーゼル機関車だったからです。電化された東北の鉄道網が軒並みストップしたなかで、非電化路線の磐越西線(新潟県~福島県)に投入され、被災地へ石油列車を牽引しました。JR貨物東海支社によると、DD51形が磐越西線で稼働したのは、震災直後の3月24日から4月14日まででした。
鉄道貨物で思い出したことがあります。30年前の1991年に「環境への影響が少ない鉄道輸送の見直し機運が高まっている」という記事を書いたことがありました。トヨタ自動車と日本車輌製造、JR貨物東海支社などが鉄道を効率的に活用するため、乗用車2台を積むことができるコンテナ(カーラック)の開発を検討しているという内容でした。ちょうど、トヨタが愛知県の三河一極集中から北海道や九州に工場を分散させていくときです。トヨタ生産方式を進めていた取締役の一人は、「船よりコストはかかるが、輸送時間は短い」と意欲を示していました。
JR貨物の広報担当者に30年の歩みを聞くと、完成車専用のカーラックは検討されたものの、日の目を見なかったそうです。代わりに、企業が名古屋から東北地方へ部品などを運ぶため、JR貨物と1編成(26両)を専用する方式が増えています。また、コロナ禍で通信販売が増え、雑貨類が鉄道貨物で運ばれるケースが目立っているようです。
東海旅客鉄道(JR東海)発足時に社長を務めた須田寛相談役の著書「昭和の鉄道 近代鉄道の基盤づくり」(交通新聞社)を読み返しています。貨車が日本の経済成長を支えてきた歴史がわかります。「30年代(昭和)には国鉄貨物輸送量が国の経済指標の一つともなり、(中略)国内輸送の半分以上のシェアを維持していた」との記述もあります。
その後は高速道路が網の目のように張り巡らされ、車社会が到来し、貨物の輸送量は1964年(昭和39年)をピークに下がっていきます。
国土交通省は近年、輸送手段を鉄道や船に切り替える「モーダルシフト」に対して、補助や優遇税制で企業を支援する動きを強めています。二酸化炭素排出量の削減という地球規模での課題を達成するためです。
DD51形は引退ですが、災害時でも鉄路がつながっていれば、ディーゼル機関車で応援物資を運ぶことができるという実績を残してくれました。南海トラフ巨大地震の発生に備えて、東海道と日本海側とを結ぶ路線の役割も大きくなるでしょう。
動画配信でDD51形が石油を運んでいる往年の勇姿を見ながら考えました。30年前の筆法に倣うなら、「環境と災害対応で鉄道輸送への見直し機運が高まっている」と。
(2021年3月13日)
震災10年に思う(上)「東北に中古機械を送れ!」(2021年3月11日午後2時46分)、(中)「サンマを支えたカタールと希望の烽火」(2021年3月12日)も合わせてお読みいただければうれしいです。
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