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塩尻市「塩尻東座」2021年昭和への旅

店名 塩尻東座2
場所 長野県塩尻市大門4-4-8
ジャンル 映画館
バリアフリー △ 入口に段差あり
駐車場 あり


もともとおっちょこちょいでハマりやすい性格だから、ちょっとしたことで気にいるとあれこれと手を出しはするが、盛大に飽きっぽい性格でもあるのですぐに放り出してしまう。といってもゴルフやるでもない、酒を飲むでもない、女性にのめり込むでもない。したがって面白味はないがローコストで済んでいるから許してもらえてもいる。


なんだかんだいろいろやってはきたが、もっとも夢中になったのは映画であろう。映画しか娯楽のなかった世代の両親を持つから当たり前といえばこの上ない。ただ私の場合だいぶ趣味が偏っているところがあって、1940年代から50年代後半にかけての洋画、すなわち黄金時代の作品を好むのだ。

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これは明らかに父親の影響下にある
4年ほど前に亡くなった父は決して堅物ではなかったが朝日新聞大好き、新左翼インテリゲンツィアを気取りたかった人だから、先にあげた40〜50年代の名作が好きだったし、とくに昔のフランス映画に目がなかった。

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要はド真面目な映画が好きだったのだ。なぜそうなったのかは違う話題となるので言わないが、娯楽映画が好きなくせにスラップスティックは嫌い、SFは嫌い、ヌーベルヴァーグ嫌い、ニューシネマ嫌い。そんな父親を持ったし、彼から生まれてきた私がドドドド真面目にならないわけがない。もちろん真面目な文芸映画以外認めるわけもない。


そんな真面目堅物人間の私だが、ここ数年でだいぶ趣味が変わってきた。年齢的に図々しくなり、親から受け継いだ規範よりも好奇心を優先したくなった、という事が正答であろう。だから以前であれば忌避していたホラー映画や、「くっだらない」と片づけていたアイドル映画なども率先してふれるようになってしまった。

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…となにを長々語っているかといえば、じつは本日およそ40年ぶりにピンク映画を観てきたからなのだ。それこそほんの少し前までは「大変くっだらない」と無視していたジャンルだが、この際だからしっかり向き合ってみよう、ということでお邪魔した次第だ。

長野県塩尻市という場所は通り過ぎることはあっても立ち寄ることはほとんどない。ましてや駅前や市街地といったところに足を踏み入れることも、今日なほぼ初体験だ。さほど大きな範囲ではないが、飲食店は多いしお洒落な建物もあったりと、なかなか興味深い地でもある。しかし、私の用事がある場所はこれほどよいところにあるわけもない。


「塩尻東座」

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Google mapによれば、塩尻駅から車で5分、歩いて15分とあるから、中心部からそこそこ離れた、決して便がよいとはいえない立地にある映画館である。


古い建築計画だから、明らかに駐車場を想定していない。自動車は脇の細い通路をくぐり抜けるようにして裏に回らねばならぬ。

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敷地は2方向の道路に面しており、駅前に通ずる広い動画側にエントランスらしき箇所が見受けられるが、現在は使われていないようだ。外壁を見渡すと2階の角に「名画 東座」の看板があり左手には
「1号館上映中 東宝映画 松竹映画 特選洋画」
そして右手には
「2号館上映中 エクセス映画 新東宝映画 大蔵映画」
と小さく掲げられている。小さな劇場なのに2スクリーン制であるらしい珍しいつくりだ。

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珍しいつくりはよいのだがちょっと待てよ。2号館の新東宝映画とか大蔵映画ってもしかして?と思った方はよほどの映画ファンかよほどの物好きであろう。そうだその通り。この小屋は長野県内に唯一残された、ピンク映画上映館なのだ。


一般的にはポルノ映画、男女のあれがなにしてこーなった。といういわゆるエッチな作品にカテゴライズされるが、ピンク映画というのは東宝、東映、松竹、にっかつなど大手の会社の製作(していた時代もあったのです)ではなく中小・零細会社が作り上げた作品を指す。


法規制だけでなくいろいろとうるさい大手と違い、ある程度「ヤッている場面」が写っていさえすればよいので、少々やりたい放題しても黙認された。かつては若松孝二を始めとした多くの才能を育てたが、現在ではビデオやインターネットの普及により作品数は激減、…そう市場そのものが急激に縮小してしまった。観客も作品も少なくなれば全国のそこここにあったピンク映画館も絶滅の途を辿らざるを得ない。われわれの幼少期、あちらこちらに掲示されていた、あのエッチなポスターを見なくなったのもそのためだ。


塩尻東座は残された数少ないピンク映画館なのだ。なぜ残されているのかという点は後述するとして、映画ファンとしては絶滅危惧種敵施設を体験しておかねばならないではないか。ましてや自分の出演作品が上映されるとならば、なにもかも振り切って赴くしかないではないか!…この出演作品云々についで後述とする。

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この劇場は1922年、大正11年の創業であるという。現在は中心地から離れた静かな場所だが、当時はすぐ近くに遊郭があるような娯楽街として活気のある街角だったようだ。「演技座」あるいは「エンギザ」と名づけられていたように、芝居小屋を兼ねた施設で、典型的な地方の娯楽施設であったようだ。看板にあるように、東宝系、松竹系、日活系の上映館であった東座の前には連日長蛇の列ができるほど人が溢れ返らんばかりの状況だったそうだ。

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戦後となり「演技座」を現オーナーの父親が受け継いだが、昭和30年代あたりまでは石原裕次郎、赤城圭一郎、小林明などの始めとする日活アクションもので賑わっていたようだが、高度経済成長とともに庶民の娯楽が多様化し観客が激減する。近在にあり鎬を削りあっていた映画館も閉業した。

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そのまま消えゆくかと危ぶまれていた昭和40年代前半、アイデアマンであった前オーナーの発案で現状に建て替えられた。1階には映画館と食堂、2階には喫茶店と生バンドが演奏できるダンスホールのある「塩尻会館」として生まれ変わった。裏手の看板にある「味処あづま」や先に記した道路側のエントランス跡はこの食堂のことであろう。

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複合施設として生まれ変わりしばらくは勢いを取り戻したが、ダンスブームが去った後はまたジリ貧の状況となり、雀荘などに切り替え営業を続けたが、客足は取り戻せず昭和40年代半ばに改装し、1階を「1号館」として一般映画を、2階を「2号館」として成人映画を上映する形式に生まれ変わり現在に至るというわけだ。


そして2021年7月23日東京五輪開幕の日、塩尻東座の前に立つオヤジふたり。私と今回お誘いをいただいた信州の先輩の50歳コンビは勢いこんで入場することとなる。番組は週替わりの3本立て興行で入場料金は1700円というけっこうな高額だ。いや、これは通常価格ではあるのだが長野市内の映画館で会員価格1100円で観せてもらっている身としては
「おおう、たっけーな」
という気になってくるが、文句を言っても始まらない。


内部に入るとそこは6畳間ほどのスペースとなっている。フォワイエというか客溜めのような性格を持たせているのだが、まぁこれはリフォームの際に「出来ちゃった」空間であろう。外部に掲示されたポスターと違い、妙齢の女性の裸体が晒されたポスターがそこここにある。それにしてもこの安っぽいビニールクロスはどこから見つけてくるんだよ?というくらい安易なつくりがとてもよい。

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古くガタピシと物音が激しい、狭い階段を上がると同程度の狭さの廊下が続き奥のトイレへと繋がっている。

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手前にある古く、建て付けの悪いバッタンバッタンやたらと大きな音を立てるドアを開けるとそこが上映室となっている。50〜60ほどの座席数だが、周囲がゆったり作られているので狭くは感じられない。長野市の今はなきシネマポイントよりずっと大きく感じられる。

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昔からそのままのガッタンガッタンする座席も懐かしすぎて逆に安心感を持つことができる。木造の床は歩くとユサユサ揺れてしまうし、率直なところ古い安普請は否めずなにをどうしたところで覆い隠しようがない。たださほど汚く感じないのはそれなりに手がかけられているからだ。整理整頓、清掃がしっかりなされているのでそこそこ心地よく過ごすことができる。映画ファンなら一度は身を置くべき環境であるのかもしれない。少々約束事に気をつけなければならないが。

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という事で第一弾はこれで了とする。次回は観た作品、そして東座本来の使われ方についてというDEEPな内容となる。よろしければ続けてお読みください。

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