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フラタニティ教育とMZDAO

教育実習行って、やっぱ一斉教育って無理があるよねぇ…
って思って悶々としていたら、岡田斗司夫さんの動画に出会いました。

2014年の段階での未来予想がこんな当たるものなのかと驚きが止まらなかったです。「自分も当てはまってるー!!」という驚きと、お墨付きというか、私の考え方も時代の流れ的に変じゃないんだって思えました。ありがとうございます。もう困ったら岡田斗司夫先生に相談っ!😂

切り抜き動画もありました。

動画で話されているレジュメはこちら👇

今日の13時より、東京学芸大学で講演します。 テーマはこれまで語ったことのない「教育」! 当日入場もできるので、近くの人はぜひ聞きに来てね。 講演のレジュメを事前に公開します。 教育講演(14年11月3日(月) 東京学芸大学 教育の定...

Posted by 岡田斗司夫 on Sunday, November 2, 2014

これから教員になる中で漠然と感じていた違和感と、自分含めた社会の変化がすごく的確に言語化されているので、学びをメモnoteします。

超ざっくり要約すると、
教育は社会構造とともに変化してきている。(国民教育→市民教育→??教育)
市民教育が用をなさなくなってきている中で、次はどのような教育になるのか→フラタニティ教育という仮説立て。

という話だと捉えています。

前提として、岡田斗司夫さんは、教育を「子どもを鋳型にはめて、社会に都合のいいように書き換えること」と定義しています。

社会構造の変化と教育の変化

そもそも教育の歴史

今回は割愛。
COTEN RADIOで補足したいところです。


国民教育(戦前)〜画一的な教育〜

産業革命によって、村社会から産業社会へ。

個人の抜け駆けよりも【調和と国民の統一】に価値を置く
貧富の差を作らないかわりに、全体主義的・画一な教育になってしまう

講演レジュメ 岡田斗司夫Facebookより抜粋

市民教育(戦後)〜個性と競争〜

経済成長によって、資本主義社会へ。

戦後の教育であり、現在の主流
全体主義・画一を否定
「個性と競争力」を子供に与える
幸せになる方法を自分で見つけて、競争に勝て
豊かな社会が実現して、誰もが国民教育では納得できなくなって生まれた
誰もが政治に口を出し、誰もが社長になれる世界の教育法
優れた人=社会的に上昇志向がある、という大前提

講演レジュメ 岡田斗司夫Facebookより抜粋

新しい教育(これから)〜つながりと共生〜

経済の停滞(資本主義の限界)と情報革命によって、分散型社会へ。
フラタニティ教育へ。

市民教育が無効化しつつある21世紀
優れた人は、無理な上昇志向を持たない
資源の限界感と経済の停滞、国民数の減少、という「これからの世界」
消費よりも継続(サスティナブル)
勝利や競争よりも、分配や共生
人間関係がすべて

講演レジュメ 岡田斗司夫Facebookより抜粋


フラタニティ教育とオンラインサロンそしてMZDAO

ここからは私がぼんやり考えたことを言語化していきます。

「フラタニティ」
フランス革命の「自由平等博愛」の「博愛」がフラタニティ
日本語に翻訳すると「同胞愛」と訳されるそうだけど、近い言葉だと「友愛」だそうです。

岡田斗司夫の頭が良くなる教育論~東京学芸大学講演より

世代における価値観の違い

世代と書きましたが、年代で区切りたいわけではありません。
思考の世代です。
高齢な方でも新しい考えの方もいるでしょうし、Z世代でも上昇志向でバリバリに稼ぎたい人も全然いるでしょう。
その違いに優劣はないと思っています。ただ時代が変わっていくから、新しい時代に即した生き方の方が生きやすいんじゃない?とは考えています。


資源の限界について私たちはとっくに気付いていて、なおかつ資本主義によって生まれた格差に違和感を持っているのではないでしょうか。

その違和感などもあって、垂直的な縦の上昇志向を目指すのではなく、水平的な横のつながりを増やしていくことを目指すようになっていくけど、その価値観を世代的に理解できない人は全くわからないと思います。

例えば、恋愛。
特定のパートナーがいるのもいいのだけれど、その“特定”によって、他の人との関係性が壊れるのであれば、特定のパートナーはいなくてもいいと考える。

Z世代的な考え方を、前の世代の考え方の人たちは、夢がないとか、ゆとりだとか、さとりだとか、やり遂げる力がないだとか、市民教育から植え付けられた過去の鋳型によってその価値観を判断しますが、もはや鋳型が違う

SNSの登場によって、個人が情報を発信できるようになり、趣味嗜好で世界中の人とつながることのできる世代は、つながりを作り、他者に貢献することに重きをおき、コミュニティを作ることが新しい行動様式になっていく。

人間は社会的な動物と太古の昔から言われているくらいなので、コミュニティを作ること自体は何も目新しさはないけれども、インターネットによって物理的な距離の制限がなくなり、つながることが良くも悪くも手軽になりました。

キングコング西野亮廣さんを嫌いな人たち

キングコング西野亮廣さんに代表されるような「オンラインサロン」を「宗教チックだ」と攻撃する人もいますが、おそらく自分に理解できないことが起こっている(時代から取り残されそうな不安を持っている)から、その流れを否定することで自分の正当性を保持しようとしているように思われます。

コミュニティとは同じ思考を持った人たちの集まりとも言えるので、仲間にならなければ、そこから排除されてしまっている疎外感を感じてしまうから仕方のないことでもあります。仲間外れは寂しいですしね。

私は信者的な人の発信を見かけると正直「盲目的で(狂信的で)気持ち悪いなぁ」と思うこともあります。でもそれもコミュニティとして自分と違う世界の人たちだなぁと思うだけ。決して攻撃はしません。何かのきっかけで仲良くなることがあるかもしれませんし。


MZDAOはまさしくフラタニティの世界

かの前澤友作さんが新しいことを始められたので、メンバーとなって活動を見ていると、やはり前澤さんは天才的だなぁと思います。時代の流れを読めることも、そしてそれを実行に起こせることも、多くの人を巻き込むことも。

まさしく、資本主義的な商売の限界を感じているからこそ、MZDAOを主宰し、コミュニティを形成することで、世の中に一石を投じています。

コミュニティとビジネスを掛け合わせると、どうしてもネットワークビジネスを思い浮かべてしまうし、マルチ商法的でいかがわしいと訝ってしまうけれど、MZDAOがその壁を乗り越えていけるのかが非常に興味深いです。

壮大な社会実験でもありますし、これくらいの規模のことを実行できるのは、日本では前澤さんしかいないと思うので、めちゃくちゃ楽しみです。

教育もフラタニティ化していく。

既にオンラインサロンとかDAOに興味を持っている人たちが可視化されているけれど、今後ますます友愛民が増えていく。
「友愛民」って言葉にするとちょっとアヤシイけれど(笑)
やっぱり助け合いをしていく生き方を教育していくようになる。

これまでのような、
全員に同じことを教えるような一斉教育(国民教育)でもなく、
全ての人に個性を伸ばしなさい、その個性で競争して、勝って、豊かになりなさい、というような教育(市民教育)でもなく、

新しい教育は、脱恋愛・脱家族(・脱組織)
どれくらい自分に注目/共感を集めることができるのかという力を与えるのかが新しい教育の形。

岡田斗司夫の頭が良くなる教育論~東京学芸大学講演より

評価経済の中で、自己実現というか、自他ともに評価されうるような人を生み出していくことに教育は変わっていくのでしょうか。

なんで学校に行かなくちゃいけないの?という答えのヒントもこんなところから考えることもできそうかなと思いました。

おわりに

「岡田斗司夫の未来予想ではなく、過去の事象から(歴史を学べば)そうなることがわかる」という旨のことを仰っていて、箕輪さんとの対談でも同様のことをお話しされていました。

歴史を学べば、未来予想はできる。
未来予想ができる
 →不安が減る、失敗する打ち手を回避できる
  →生きやすくなる

収録された授業のオンライン視聴でいいと思う

これだけ頭いい人がいて、話も面白くて勉強になるわけだし
授業はそういう方々に収録とかでお任せしつつ、サポートを現場の先生?コーチ?大人?がすればいいんじゃないのかなぁと思います。

林修先生に代表される東進衛生予備校とか
N高のような通信制高校とか
それも一つの選択肢。というかもっと規模が大きくなると信じている。

教員ブラック問題などニュースになるけれど、
社会構造や時代に合わせた、教育方法に変化していくだろう。

でも岡田斗司夫さんが最初に話されていたように、誰でも子どもだったり生徒だったりしたわけだから、自分の理想とかを口に出したくなるし、なかなかまとまらないんだろうなぁ。

教育は、これからの時代を作る大事なこと故に、手遅れになる前になんとかしたいな。

とか考えてしまう私は教師に向いていないんじゃないかと恐れ慄いております😭

かしこ

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