母親なんて大したもんじゃない
「子供にとって母親の存在は絶対的。子供は母親の愛無しでは自立して生きていくことができません」
というTweetが飛んできた。三歳児神話とか、母性愛神話みたいなものが根強いのはわかってる。いつもなら
「そういう人いるよね〜」
とやり過ごす案件。でもなんだか気になるので
つらつらと。
学生の頃、母子家庭で育った友人と父子家庭で育った友人が不幸自慢をして馬鹿笑いしているのを隣で見ていたことがある。
「だから俺らはひねくれている」
そう言って笑っていた。
#そのうち1人は今私の夫
#たしかにひねくれている
#でも人生楽しそうよ
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ひとが成長していく過程で愛情は不可欠です。でも、それは父親からの愛情でも良いし、祖父母からの愛情でも良いはずです。もっと言えば、全くの他人からの愛情だって全然構わないと私は思います。虐待を続ける親の歪んだ愛情のそばにいるより、そこから救い出してくれた赤の他人の愛情のほうがその子には大きな救いになり、希望になり、生きる力になるでしょう。
「母親の愛に勝るものはない」なんて母親を過信しすぎです。そんなに追い込まないでほしい。そりゃぁ、無償の愛を我が子に捧げたいとは思うけれど、そんなの無理です。にんげんだもの。
#自分も大事
#どんなに愛情深く育てたって、ダメになる時はダメになる、のもまた真実
#やり直せばいい
母性愛を最上とする考え方は、我が子を愛する父親(もしくは祖父母、その子に関わる大人たち)を貶めるばかりか、当の母親をとことん追い詰める気がします。時に母親が我が子を突き放しても、
「それならこっちが(受け止めるよ)」
と誰かが待ち構えてくれていたら、母親にとってこんなに心強いことはないし、そうあるべきじゃないかしら?
私自身の話。子育て中、我が子のわがままが過ぎたり、人を傷つけたり、学校から連絡が来たりと何か問題が起こるたび
『わたしの育て方がまずかったかしら?』
と自問自答していた時期がありました。
「なんであんな風になっちゃったかなぁ、、、私のせいなのかなぁ」
と半ば泣きそうになりながら夫に愚痴ると
「お前は何様だ?」
と冷たい一言。要するに、子どもは私(親)の力だけで成長してきたわけじゃない、と彼は言いたいのです。どんだけ影響力があると思ってんだ?とばっさり。
子どもは子ども自身で成長する力を持っている。それを親がすべてコントロール出来ると思うなよ、というのが彼の持論。良いとは言えない家庭環境で育った彼ならではの視点。
#親がなんぼのもんじゃい!みたいなところがある
ひとはいつからでも変われるし、成長できる。その可能性を信じない言葉が「母親の愛は絶対」説であったり「三歳児神話」だったりするのでは?
子どもはたくさんの人との関わりの中で育っていきます。親が教えてあげられなかったことを、友人から学ぶ場合もあります。愛情が少し足りなかったら、成人してから誰かからもらえばいい。
#母親がすべてを背負い込まなくてもいい
世のお母さん達は素晴らしいと思います。そんなに頑張らなくてもいいよ、と思う時も。そして大した母親ではなくとも、それなりに(?)子どもは育つものです。
#現在我が家では、世間の厳しさがいろんな事を子どもに教えてくれている
冒頭のTweetも多分お母さん達へのエールのつもりだったのでしょう。ほんのちょっとのボタンの掛け違いだったかな。
長らく子どもに関わる仕事をしてきて、最近はお母さんを支えようと奮闘するお父さんが増えてきているのを感じます。
そんな話もまた今度。
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