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濁点(4)

 さあ私の出番だ。今日もうまく盗れたらいいな。端役の騒動が大きければ大きいほど、他の客への注意は無くなってゆく。この、店側の無防備の時間に慣れすぎたせいか、あまり緊張しなくなっていたけれど、警戒を緩めたわけじゃない。動きは最小に、慎重さを欠くことなく、「買い物」という動作の自然な流れの中に「盗る」という不自然を混ぜる。私はマイバッグへひとつ突っ込んだ。誰も、見てはいない。店内の陳腐なBGMが、私へのファンファーレの代わりとなった。

 盗ったもの以外の精算を終えて退店する間際、店の前で万引き常習者はふんぞり返っていた。

 あんた、向いてないよ。そう言ってやりたかった。

 袋を自転車かごに載せ、カバンをハンドルにぶら下げ、自転車にまたがる。この時から私の解放感は次第に大きくなってゆく。スーパーから離れれば離れるほどに。

 よし、よし、よし! 顔を綻ばせながら呟き続けた。

 けれども、家について自転車のスタンドを立て、ドアの前に立つと母の顔がいつも浮かぶ。その瞬間から、解放感は罪悪と自己嫌悪の感情へと様変わりしてしまう。焦燥感にも襲われ、呼吸もやや荒ぶった。

 鬱陶しい。なにもかもが鬱陶しい。

 リビングのテレビの前で直立していている母がこちらをじっと見る。

「お帰り」と短く言った。

 私は反射的に「黙れ!」や「うるさい!」などと怒鳴りつけた。母はまたか、という顔でため息をつく。そうしながらも私との間にソファとローテーブルをはさみ、距離はしっかりと取っている。襲われないために。

 テーブルの上に買い物袋もマイバッグも放り出したまま、自分の部屋へ逃げ込んだ。ベッドの上で壁にもたれ、ヘッドボードの上に転がったままのコンパスを取り、針を左腕に刺した。顔を歪め、歯を食いしばる。嗚咽がなんども込みあげて、それでも声は聞かれたくなくて、激しくなる呼吸で倒れてしまいそうにもなって。でも、殺したのは痛みや漏れる声のほうじゃない。痛みには慣れもする。殺したのは、私の心のほうだ。心の声だ。

 傷口がじんわりと熱い。血はあふれ続ける。無限の井戸みたいだ。次第に恍惚が私を迎えてくれた。重みをもったティッシュはゴミ箱に重なって沈む。私は少しずつ落ち着きを取り戻していった。

 気休めていどに傷口を軟膏で埋め、絆創膏を貼り、しばらくしてリビングへゆく。

「もう大丈夫なの?」と母は心配そうにしてくれる。

「うん、大丈夫。ごめんね、ご飯の支度するね」

「そう。よかった」

 よかった? よかっただって? なにがよかったんだ。

 こうなったのは、ぜんぶお前のせいだろ。

 テレビではちょうど天気予報が流れていた。笑っている予報士の顔が腹立たしい。

「明日、金沢はどうなの?」と気になって聞く。

「ううん、全国的に晴れみたいよ」

「そう、よかった」

 左腕が少し痺れている。深く刺しすぎたのかもしれない。ときどきそうなるけれど、家事はいつもどおりこなせた。

 米を研ぎ、白く濁った水で潮の満ち引きを真似る。するうち舟が足りない気がして、淡い花びらをひとひら浮かべてみたくなった。出口はひとつ。海の果てを落ちゆく姿はきっと美しい。

「そうだ。ねえ母さん、キッチンスツールがあったら楽だと思わない?」と前から考えていたことを思い出す。

「キッチン、なに?」

「えっと、座りながら料理できるイスみたいなやつ」

「ふうん、良さそうね。最近は腰も痛くなってきてるから、あると助かるかも」

「じゃあこんど母さん用に買っとくね」

「あなた、座らないの?」

 余計な疑念を抱かせるのは望ましくない。だから「疲れたらもちろん座るわよ」と返事した。

「そう、そうよね」

 母はゆっくりと二度ほど頷き、自分を納得させているようだった。

 料理をほぼ終えて、夕飯は品数が少し多めだからか母が手伝いに来た。テレビはつけたままだ。食器の選択は母に任せ、私は茶碗に枝豆ご飯を盛る。枝豆が鮮やかな緑色だからか、芋虫のように見える。だとするなら、白米は蜂の子かしら。熱々のご飯と枝豆をさっとつまみ、口に放り込む。よかった。ちゃんとご飯だ。

「いつもありがとうね」と母が言う。

 当たり前のことだよ。さあ、食べましょう。


      2


 また仕事を休むつもりか。人間の出来損ないめ。

 なぜ私はこんなやつと暮らし続けているのだろう。なぜ生活を助けてもらっているのだろう。すべて老いのせいだ。あまりに嘆かわしい。結婚もせず、人並みに孫の顔すら見せようともしない、親不孝者の粗大ごみ。出来損ないの作る孫などいまさらどうでよかったが、せめて毎日きちんと働いて家の外へ出て行ってほしい。顔を見せるな。父さんの遺産にすがる浅ましい娘。私の年金は一円たりともやりはしない。

 なぜ人は子育てに失敗するのだろう。子のそもそもの性質のせいなのか、親の遺伝のせいなのか、それとも環境のせいか。私はいつからか娘が怖くなっていた。なにを考えているのかもわからない、なにをしでかすかもわからない。失敗作はなるべく穏便につぶす必要がある。それが親の責任というものだ。まだ遅くはない。

 赤ん坊から人間になってゆくにつれ、欠陥は目立ち始める。よくよく見れば罅(ひび)だらけの泥人形だった。塾にも入れた。ピアノも習わせた。体力をつけさせるために水泳にも行かせた。ちゃんとできたよと感想だけは一人前で、その実すべてにおいて能力もやる気もない落ちこぼれ。なにかもが無駄だった。

「お昼、なに食べたい? あと晩御飯と」

 なぜ朝のうちから晩御飯を聞くのか、お前の腹の中などお見通しだ。馬鹿にするな。

「そうねえ、そうめんがいいわねえ。でも夜はなんでもいいわよ」

 私がこうして穏やかに返すのは私の身を守るためだ。そしてこいつを苛つかせるためでもある。

 ちゃんと働いてくれていれば、家事は私がぜんぶできるというのに。居場所を奪われてたまるか。けれども、昔にやったような工作は見透かされる。娘はなにもかも知ったうえで受け入れて、そうして私をあざ笑っていたに違いなかった。


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