「月と六ペンス」に揺さぶられすぎて読破直後に書きなぐった感想文

※ネタバレ大いにあり


2019/12/23
サマセット・モーム「月と六ペンス」読了

 面白すぎた。文章が重いところが多少あり最初はちょっとずつ読み進めたが、ときおりががっと油を足された滑車のごとく物語が動く動く。その中心にいるのが、作中一寡黙で口下手な男だというのもたまらない。ストリックランドという男は、こちらへ極端に共感を持ってやってきたかと思えば、その鼻っ柱を捕まえて思いっきり頭突きをしてくるような人物だった。つまるところ最高にスパイスの効いた、文字読みと空想家とってのごちそうである。彼のスイッチは、どこにあるか絶対にわからない。彼にとって世界とは、自分を囲う箱庭ではなく、テレビの画面に収まったゲームスクリーンなのだ。肉体と魂がかけ離れていて、ゆらゆらと浮いた魂が行くべきところへ従って体もついていく。肉体は主ではなく、ソウルの奴隷なのだ。
 十数年寄り添った妻を簡単に捨てた。才能を認めてくれ、健気なまでに尽くし命さえ救ってくれた友人の妻を奪い、なおかつ自殺へ追い込む。こう書けば、本当に最低な人物であると思うのだが、そうさせないのは彼に罪悪感がひとかけらもないからだ。そして、人間にありがちな「自身のひとつまみの破壊衝動によって、若干の操作とひとびとの撹乱を自覚的に行う」という、悲劇のスイッチの仕組みがどこにも入っていない。ストリックランドはいつだって、そんな状況を招くタネを自分から撒いてはいないのである。だから、誰も本当に深くまでは責められないし、本人も他人のようにまるで感傷に浸らない。それが徹底的すぎるから、深いところまで怒りの牙をしのばせることができない。なぜなら、そこに頚動脈がないとわかってしまうからである。誰人も、彼の心臓を狙うことはできないのだ。(これはまさしく劇中でわたしが痛感している場面がある。あまつさえ、ストリックランドはそれを鋭く指摘してくる。なんていやなやつなんだ)
 叩けば出てくる軽口と、身の回りで起きる悲惨な出来事の数々が、彼を悪役に引き立てるが、その身を切り開くとそこには人間の原初ともいうべき欲求と探求が顔を覗かせて白く輝いている。
 だから結局のところ、彼は悪人でも善人でもない。いっそ、神に近いのだと思う。人間にとっての善悪のバランスなど気にすることなく、気軽に放射されるエネルギーの数々。それは嵐や雷、地震といった自然災害に似ている。実際、何度も彼のつかめなさ、かんばしさにクラクラしてしまった。
 物語の要所要所でストリックランドを憎みつつも、結局楽しんでしまっている僕は、一人称のわたしと同じだ。
 嫌な予感をにおわせながらも、決して自分の主義に逆らわずに、安易な暴力にも走らない周りを彩る人物達も素敵だ。きっと、マカンドルーがもっとスポットライトを浴びていたら、この小説は三文ピカレスクになっていたに違いない。
 そしてなんといっても、最後のシーンである。
 ストリックランドが、その不可解な人物像の解答とも言える作品を自宅の壁に描きだし、妻のアタの手で燃やしてしまう。
 まさしく、美しき形式の、見事な幕引きではないか。
 モームという人の持つ、独特のユーモアと本質を的確にほじくりだすその文章にずっと感心をしていたのだが、そういうものは得てして形式を顧みない。もしくは、美しい造形の妄想に取りつかれながら、その手から金の卵を生み出すことができない。痒いところの90%は引っ掻いてくれるがそこまでで、残りの部分が面積に反比例してより強く疼き出す。そんなような作品を作ってしまいがちだ。
 だがどうだろう。恐ろしい。
 物語としてのひとつの究極がここにある。
 人物、構成、文章力、全てに文句がない。
 これは今後、僕の教科書となる作品であろう。
 熱に当てられたまま、感想を書いた。もっと書きたいことがあるのだけど、興奮でおかしくなってしまいそうなので今日はこのくらいで留めておく。
 描くというのは、本当に不可思議で、傷つく行為だ。

ポチッとしていただけたら泣いて喜びます。ヤッターッ!