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私が小学3年生から出された夏休みの宿題。

皆さん、夏を楽しんでますか〜♪


とある小学校でのイベントを終え、いざ私たちが帰ろうとしたときのこと。

次の授業で音楽室へ急ぐ3年生の群れが去ったあと、誰もいなくなった教室に、下を向いて立ち尽くす一人の少年がいた。

私:「どうしたの?授業に遅れるよ?」

少年:「行きたくない」

私:「なんで?音楽が嫌い?」

少年:「みんなと同じことをするのがイヤ

私:「なるほど~。わかるよ、その気持ち(笑)」

小学生も大変だよなぁ。自分の意志とは関係なく、国語・算数・理科・社会・体育・音楽・図工・生活・道徳・総合学習…?彼らの日々のスケジュールは、すべて大人の都合で決められてるんだから。

私:「今日の私たちの授業も退屈だった?」

少年:「いや、特別だったから楽しいけど」

Y:「どんな出来事だって自分の捉え方次第で、特別なものに出来るんだぞ〜?」

私のビジネスパートナーが少年にそう語りかけるのを横で聞きながら、「それは素敵な考え方ではあるけど、今の彼にどれだけ伝わるだろうか?」…なんて思いつつ、ひとまず少年の手を取った。

私:「とりあえず一緒に音楽室まで行こうか」

石のように動かない少年の身体を私たちは両側から引きずるように、上階の音楽室まで送り届けた。

音楽の先生は特に気に留める様子もなく、「すみませんねぇ~」と一言。いや実際のところ、一人ひとりの児童を気にかける余裕なんて全然ないのだ。それはほんの数時間、怪獣のようにエネルギッシュな3年生35名のカオスのなかで過ごした私には充分に理解できた。

少年:「また絶対に来てよね」

無表情のせいで感情が読み取りにくい少年ではあるが、どうやら我々のイベントを楽しんでくれたようだ。そんな静かな満足感と共に学校を後にした。

みんなと同じことをするのがイヤ

少年のこの訴えに対して、私はなんて答えてあげれば良かったのだろうか?

時を経た今も、それがず〜っと心に残っている。

彼以外の多くの子どもたちに葛藤はない。「次は音楽の授業だ」と言われれば、なんの疑問を抱くこともなく、教科書を持って音楽室に移動するだけだ。

みんな「そういうもんだ」と思っているから。

あの少年の気持ちに、私には少なからず共感できる部分がある。私自身、いちいち疑問を持ってしまう、厄介な性質のある子どもだったから。

たとえば、「殺人は犯罪になるのはわかるけど、本当にそれがいけないことだと誰が決めたの?」とか、「お金を理由に人々が争うなら、いっそお金をなくせば世の中が平和になるんじゃないか?」とか、そんな疑問や考えを親にぶつけて煙たがられた記憶がある(笑)それでも中学生になるくらいまでは、わりと社会に順応していたと思う。好きな科目や学校行事を、素直に楽しみにしている子どもだった。

手に負えなくなってきたのは、たぶん大学生くらいから。たとえば、就職活動が始まった頃。なぜ黒光りするほど髪を撫でつけて、リクルートスーツを着なければいけないのか?面接にピンクのシャツを着ていったら落とされるのか?…とか(笑)社会人になってからも、自分自身が納得できないもの、価値を感じられない取り組みには、たとえ会社から強いられたとしても素直に従うのが辛い。多くの大人のように、「そういうもんだから」と割り切れない。

結婚する意味なんかも、
いちいち考えてしまうくらいだからね(笑)

あの少年はこれから先、人生のいろんな場面で「生きにくさ」を感じることになるんだろうな。

みんなと同じことをするのがイヤ

そうだよね、そう感じちゃうんだから仕方がない。

じゃあ、君が将来みんなと同じことをしなくても済むように、自分らしい生き方をクリエイトしていかなければいけないよ。なんとかして、自分が選択肢を持てる状態を創る必要がある。それは、社会から求められる具体的なスキルを身につけることかもしれないし、特定の分野において強い影響力を持つことかもしれない。

葛藤しながら自分の頭で考えよ、少年!
ぜひとも自由な大人に出逢いたまえ、少年!

子どもに触れると、すぐに答えの出ないような本質的な問いに遭遇するものだ。

サビかけていた胸の奥に、
新鮮な引っかき傷をつくってくれる。

素敵な宿題をくれてありがとう、少年よ。

やっぱり、教育分野って面白いなぁ〜♡

子どもより子どもな大人たち♡




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