見出し画像

noteを毎日書くとどうなるか

このnoteは文字を書く練習のために始めてみた。

私が行動を起こすとき、頭の中によぎるのは心配だ。
他人に変に思われないか、みっともなくないか、そんな考えが他のことよりも先行して頭の中を支配する。だからここまでの文章を書くのにも、20分以上かかったし5回は書き直した。

この性格を悪いとは思わない。心配といっても、他人がどう思うかは結局のところ他人次第であって自分がコントロールできることではない。みっともないかどうかも、自分がいいならそれでいいのだ。気にすることはない。

私の体を(内面的に)分解してみると、心は「心配だ、怖いな」と口にして、頭は「そうだよね、怖いよね、でも大丈夫」と励ます。そんなイメージだ。

ここまで言ってみて私は、心配性な自分のことを肯定している人間になるのだが、他に何が問題か。それは時間だ。時間をかけすぎてしまうことが一番嫌なのだ。
例えば、文章を練り直す過程で「この表現もっとわかりやすくしたい」は別にいい。だが「この表現で大丈夫かな、悪くみられないかな」はよくない。
(例として挙げてみたはいいものの思ったよりわかりにくかった。これ以上は思い浮かばないため良しとしよう)

バランスが大事である。時間をかけたほうがいいモノもあれば、短いほうがいいモノもある。その時間をコントロールできるようになりたいのだ。
私が思う「うまくいっている人」はバランスの取り方が上手な人が多い。
みな同じ割合ではなく、それぞれが自分に合った方法を理解していて「いい塩梅」を選んでいる。

だから私が本当に望むのは「心配性な部分を受け入れつつ、堂々と表現する大胆さも持ち合わせた自分」だ。
このnoteは文字を書く練習と初めに言ったが、練習の先にある自分の姿とは、以下のことである。

・メールのやりとりが早くなる
・自分の考えが言語化できる
・伝え上手になる

これができるとどうなるか

・人と交流する時間が増える
・人と繋がることが、不安<楽しみ
・自信がつく
・人生はもっと楽しくなる

こんな未来を思い描くのはワクワクする。そうであってほしい。

最近「結果と成果は違う」という言葉を教えてもらった。
そのあとに詳しい説明があったのだが忘れてしまったため、自分なりに解釈すると

「結果は自分の行動であらわれるもので、良いか悪いかはやってみないとわからない」
「成果は結果に伴ってくる良いもの」

私がnoteを書き続けることでどのような結果になるのかはわからない。自分にできることは結果を出すための行動だけ。

だからどんな内容でも、どんなに短くても、今日から毎日投稿してみる。
〇〇だったら毎日投稿できる。って考えると、高い確率で続かないため、
先にやると決めた。

まずは1日め。

(1,113文字/2時間)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?