大切な命を守るために
2023年初のnote更新です。今年もよろしくお願いします。
さて、2022年末にわたしにとって大きな出来事がありました。それは待望の第二子出産!!長女のひなあられの時から9年空いての出産でした。
ずっと2人目は欲しかったのだけれど、わたしのプロラクチン値(母乳が出るホルモン。9年間母乳が出続けていました。)が高かったこと、前回の妊娠中のつわりと産後の孤独感が辛かったことで、なかなか2人目への第一歩が踏み出せずにいました。
この9年間に、大阪から和歌山の古民家へ引っ越し、念願のスタイリストデビューが叶い、SNSを通じ全国のたくさんの方と繋がれました。こうした変化の中で、わたしの自己肯定感が上がり、妊娠・出産・産後のトラウマを克服でき、第二子を出産することができました。
つわりは前回と同じくらい重かったのですが、前回と違ったのは、辛い時に家族に「辛い」と素直に伝え、お客さまにも素直に「つわりが辛いから休ませてもらってもいいですか?」と伝えられるようになったことです。みなさん、優しく対応してくれました。
おかげで、トラウマにならずに、つわり期を乗り越えることができました。
前回の出産は、助産院で産みました。
その時のコラムはこちら(No.13-34)💁♀️
助産院では、妊娠中の体調管理は厳しくもあったけれど、呼吸で宇宙とひとつになれるような幸せなお産でした。なので『また助産院で産みたい』という気持ちもありました。けれど、残念ながらわたしの住む和歌山県の有田圏内でお産ができるのは有田市立病院のみ。違う経験をするのもいいかな、と有田市立病院に決めました。
おかげで助産院と病院の出産の違い、またコロナ禍という前回との状況の違いも体感することができました。
助産院(左)と病院(右)の違いは…
・ベッドで産む⇆分娩台で産む
・柔らかい照明の中で産む⇆手術室みたいな光々とした照明の中で産む
・母乳のみ⇆ミルク混合
・会陰切開なし⇆会陰切開(溶ける糸で縫合。抜糸はなし)
・入院なし(これはわたしだけかも(^◇^;)⇆経産婦の入院は4日(初日は0日と数える)
コロナ禍での出産で気づいた前回との違いは…
・PCR検査をしてから分娩(有田市立病院は陽性でも出産可能)
・出産や入院中の家族の面会禁止
・病院内はマスク着用(分娩中はマスクなしOK)
選択肢が少ない中で選んだ産院でしたが、有田市立病院はドクターや助産師さんの雰囲気が柔らかく、アットホームな雰囲気でした。1番良かったところは、その時々でいくつかの提案をした上で、わたしの意見に耳を傾けてくれたこと。内容もよく覚えていてくれていて、その都度対応してくれたこと。
こだわりのあるわたしの意見も聞いてくれたんですよね。健診に行ったら、前回の質問に丁寧に答えてくれたことも何度もありました。なので、とても信頼できる環境でした。市立病院ってことで、病院のルール上、変えられないところもあっただろうけど、産婦人科でできることは対応してくれました。
赤ちゃんが大きくて仰向けがしんどかったわたしの『フリースタイル出産』もOKしてくれました。
また、マスクなし出産をOKしてくれたのも、呼吸を大切にしているわたしにとってはとても嬉しいことでした。「マスク外していいよ。苦しいでしょ。」とドクターがあっさりOKしてくれた時は肩の力が抜けて、ホッとしました。
今の時代、分娩中もマスク着用を強制する病院もあるんです。酸素マスクの下にマスクを着用している写真も見たことがあります。尋常ではない痛みや苦しみの中にいる妊婦さんに、呼吸のしにくさまで強要するドクターがいるのかと悲しくなったことがあります…。
そして、1番大事に思っていた「カンガルーケア(産後すぐ30分間、ママが赤ちゃんを抱っこすること)がしたい。」というわたしの意見にも賛同してくれました。
わたしは天外伺朗さんの『「生きる力」の強い子を育てる』を愛読していて
「もし、世界中の母親が、医療の介入を受けることなく自然に分娩し、すぐに赤ちゃんを抱いて初乳を与え、母乳と愛情をたっぷり与えて育てることができたとしたら…おそらく…この地球の上から戦争はなくなるでしょう(オダン)」
という一文に感銘を受け、絶対にカンガルーケアはしたいと思っていたのです。
コミュニケーションが取れるドクターと助産師さと出会え、出産が近づくにつれ、どんどんリラックスしていきました。
赤ちゃんが大きい予想だったため(推定では3900g!!)早めに産みたいな〜、と三陰交にお灸を据えたり、会陰に刺激を与えてもらったり、手を尽くしてもらいました。陣痛促進剤を使う提案もあったのだけれど、自然な陣痛で産みたかったので、それは断りました。
ソワソワした中、出産予定日の12月29日を迎えました。その日は旦那さんの仕事が休みだったので、家族3人で久しぶりにゆっくり晩ご飯を食べることができました。そして、布団に入り、AM2時頃、目が覚めました。お手洗いへ行き、布団に再度もぐったけれど、全然眠気が起きず『いつものことだな〜。』と呑気にネットサーフィンしていました。(妊娠後期になると24時間の子育てに対応するため、夜中も目を覚ましやすくなるのです。)
少しお腹が痛かったけれど、それもよくあることなので呑気に構えていると…
『あれ!?腹痛が規則的に来ている!?』
20分間隔の陣痛が来ている気がして、AM3時8分にとりあえず病院に電話しました。
こんな時間でもドクターはすぐに電話に出てくれました。産婦人科医ってすごいお仕事ですね。本当にリスペクトします。
そして、旦那さんとひなあられを起こして、夜中に病院へ。
いつもの道にほかの車が全然なくて、違う世界にいるような気持ちになりました。
陣痛中はすごく痛いけれど、陣痛がない時間は平気。陣痛がない間に「今のうちにエネルギーを蓄えなきゃ!」とリッツを頬張っていました。母親の変化にひなあられはかなり動揺していたみたいです(笑)
そうこうしているうちに病院に到着。そこで家族とは泣く泣くお別れしました。その時には陣痛が強くなっていて、車椅子に乗り、夜警の方に押してもらって、病棟へ。
そこからさらに陣痛が強くなり、モニターを付けてもらった時には5分間隔の陣痛になっていました。そして、あっという間に分娩室へ行きました。陣痛がかなり強く、光々と光る電気に照らされ、痛みが増すような気分でした。
細く長く吐く、メディカル呼吸®︎の先に、痛みが和らぐ瞬間があり、そのコンマ数秒にどれだけ助けられたことか…。
立ち会い出産ができなくて寂しかったけれど、痛みが強くなる度に、旦那さんの「晶子なら大丈夫」という言葉を思い出してました。そして、ひなあられの愛くるしさも思い出し、『あんなかわいい子にまた会える』という気持ちにも助けられました。それでもどうしても力が出なくて、助産師さんのひとりに「手を握らせてください。」とお願いしました。人肌を感じることで、また力が湧いてきました。
初めは横向きの方が楽だったのですが、イキみにくかったので、途中から仰向けに体制を変えました。
出産で大切なのは“呼吸”。最終局面ではドクターと助産師さんに、大きく吸って吐く深呼吸を2回して、また大きく吸って、息を止めていきむ、という呼吸を誘導してもらいました。
痛みが強すぎて朦朧としていた時、
部屋の空気が緊迫したものに変わりました。
朦朧としていて、ドラマの1シーンを見ているような不思議な感じでその場面を見ていたのは覚えています。
後から聞いたら、産道に赤ちゃんの頭が引っかかり、赤ちゃんが仮死状態になったとのこと。
最後は吸引され、産声を上げて、赤ちゃんは無事に産まれてくれました。
12月30日AM6時8分。3400gの女の子。病院に電話してから、ちょうど3時間後でした。
念のため、赤ちゃんの健康状態の確認を小児科ドクターにしてもらう必要があったので、残念ながらカンガルーケアの願いは叶いませんでした。
『赤ちゃんを早く抱っこしたいな』と思っていたところ、産科医ドクターが「カンガルーケアはできなかったけれど…。」と言いながら、臍の緒を切らしてくれ、その後、胎盤を触らせてくれました。
胎盤は、温かくて、水風船を1000倍くらい気持ちよくしたみたいな感じでした。あまりの気持ちよさに「わあ〜!気持ちいい!」ととても軽やかな明るい声が出て、自分でも笑っちゃいました。女って強いですね(笑)産んだ瞬間、痛みを忘れましたね。
その後、30分とはいかなかったけれど、赤ちゃんを抱っこし、授乳もしました。上手におっぱいを吸う子でした。どこで吸い方を覚えたんやろう。
カンガルーケアができなかった分、
これからいっぱいいっぱい抱きしめて子育てしていきます。
そして、この世界が信頼していい場所だということを伝えていきます。
155cmのわたしにしては大きめの赤ちゃんではありました。けれど、もう少し体重管理ができていたら、産道に脂肪がつかず、赤ちゃんを苦しませずにすんだかな、とも思います。臨月まではプラス9kgとまあまあいいペースではあったのです。臨月に入り、貧血があって、寝込んでしまった1週間に1.5kg増加してしまいました。それがちょっと心残りです。
体調管理をしっかりしないと、大切な命を守れないこともあるんだと実感しました。
『貧血を治すこと』
これを2023年の目標にします。
おかげさまで赤ちゃんの成長も産後の体の戻りも順調です。
産後6〜8週間くらいの産褥期はしっかり休んで
またスタイリスト活動に備えますね。
今年もよろしくお願いいたします。
ファッションの力で人も地球もHAPPYに
『アポルテコーデ マルシェ』
主催・スタイリストあられ
※カバーイラストは長女ひなあられの作品
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