第3話 会食という「学習」、それはコミュニケーションの楽しさにつながった


アァァ〜〜



しあわせぇのぉーーー




とんぼよぉぉぉぉっッ  どこぉぉへ〜〜





お前は、どこ〜えぇ〜   とぉんで行くぅ〜〜〜




「ははは!いいねー、荒井くん。
今日は、長渕剛をひたすら歌おうじゃないか!」





・・・・・・・・・



その日



長渕剛の名曲・「とんぼ」を

僕は力のかぎり、本人になりきってモノマネをしながら熱唱していたのであった。




遡ること8年前

ーーーーーーーーーーーーーーーーー2010年2月


山口県宇部市


山口県南西部の瀬戸内海側に位置するこの土地は、
県内拠点都市の一つであり、下関市、山口市に次ぎ3番目となる約17万人の人口を擁している。また、ユニクロ(株式会社ファーストリテイリング)の創業の地でもある。



山口県に赴任してから、半年ほどが経過したとある日。


当時、「長門総合病院」
の臨床工学技士(ME=Medical Engineer)としてご活躍され、
現在は「臨床工学技士連盟」の理事長をされている肥田さんと、

宇部市内のカラオケ付きバーにて、「長渕剛縛り」で交互に歌を披露しあっていた。(肥田さんは鳥居薬品退職後には連盟行事の合間を縫って勉強カフェにも来てくださった)



一次会は、宇部新川駅から徒歩30秒の2階にある小料理屋「くらよし」で、前任者の建村さんも同席してくださっていた。

が、、、

泥酔してしまい、ろれつが回らなくなりだんだん性格が変わり始め、


「このヒヨッコが!!」


となぜかこのタイミングで僕に対し説教を始めてしまった(御年60歳)


のを、僕と肥田さんでなだめながらタクシーにお乗せし、見送った。
※後日、建村さんが無事帰宅されたことは確認している


その後、時間の限られた院内では普段できない深い話の続きとして、肥田さん馴染みのお店に連れて来ていただいたのだった。


MRとして初めての二次会であり、また初の建村さんがいない状態=単独での会食でもあった。
※医療用医薬品製造販売業公正取引協議会(以下、公取協)が定める規約では、2012年4月以降から「MRと医療関係者との二次会は禁止」とされている。当時は特に明記はなく、容認されていた。



お酒を飲んだり、食事を共にしたり、歌い合っていくうちに、
普段、病院内では話せないようなことも話せて、MRという立場を少しこえて、心がなんとなく通い合っていくような、そんな気がして、人間的な触れ合いができていることに気づいた。



(会食をすると、普段では見えてこない、こんな一面を見ることができるんだな。どんなものかわからないから不安だったけど、これなら自分の良さも発揮できるかもしれない。それに思っていたよりも楽しい。もっと会食の機会をたくさん作っていただこう。)



恐れないで会食に積極的に取り組んでいこうと決めた日だった。



・・・・「恐れないで」というのはどういうわけか。

そう、紛れもなく、僕は会食を恐れていたのである。

一対一、というのは、いろんなことがバレる。

まして、お酒を飲めば、その素性はどれだけ気をつけていても、発揮されてしまう。

現在ある、自分の素性やポテンシャルが、さらけ出されたことによって
いらぬ誤解や悪印象へのきっかけになる可能性もあった。

よって、この未熟すぎる自分が、
果たして、医療を支えてきた百戦錬磨のドクター・医療従事者の方に、
会食を通じて、どれだけのことを持ち帰ってもらえるというのか。

自分が得られるものはあれど、ドクター方は、食事をともにする時間を「楽しい」「良かった」とお思いになるのだろうか。


未知数すぎた。


僕は、「会食」をとても重大に捉えていた。
日頃、忙しい診療や医療行為の合間を縫って、話すために時間を割いてくださる感謝を込めて、
「おもてなし」をするわけである。
さらに、お金をもらう=給料が発生し、食事代も全て経費、なのである。


大学生まで、のほほんと生きてきた自分は、お金をもらって人様に自信を持って行えるほどの
「おもてなし」なんて、今までしたことがない。


ましてや、年齢は倍以上離れている大先輩たちであり、新卒1年目の若造が披露して関心を持ってもらえるほどの経験は皆無である。


よって、当時考え抜いて、今の自分でできる限りできる「おもてなし」として心がけたこと。

今でもその真髄はぶれていないが


「全力で目の前のただ一人」に集中し、「全力で素になる」


であった。


人は、自分に集中してくれる人に、話をしたくなる。
スマホばっかり見ている人に、大事なことを話したくはならない。

また、「素」であれば、相手も「素」になる。
こちらが構えすぎ、作り過ぎれば、相手も緊張感やいらぬ気遣いを発生させ、堅苦しい。

「素」は、心地いい。


これが、当時「気を使う、ということがどういうことなのか」の疑問に対する回答であった。


この「学び」は、のちの勉強カフェでも活かされていくことになる、生涯の「学び」となるのであった。


——————————

同時に、社内の先輩方が、なぜ「挨拶」「飲み会の動き方」にまでも細かいところまで厳しかったのか、きちんとした理由が存在していることがわかった瞬間でもあった。




2009年11月




できたばかりの「マツダスタジアム」が訪れると必ず話題になった
広島駅からタクシーで5分ほどにある本通り近くの広島の中心街にある会議室。


山口・島根・鳥取・岡山、そして広島の5チームが集う
支店会議が行われていた。



そして、新人であった僕ら4人は、会議前に、座席に座っている先輩方とは初対面の方も多いので、

「一人一人に対して」、「一人一人それぞれ挨拶する」

という伝統があるということを、先輩から教えてもらいそれに従い、順番に挨拶を行った。


これについては、

(そういうものか。)

と理解していたのだが、これを筆頭に、覚えなければいけない様々な「広島支店の伝統」(鳥居薬品の伝統ではなく、当時の広島支店の独自の伝統。)
をたくさん「勉強」していくのであった。


支店会議の後に、行われた飲み会での一場面は例えばこのようなものだった。



「おい、先輩のグラスあいてんぞ!!

注文聞きに行け!!下の役目だろッ!!」



(は?)



「荒井!!!お前らで会計まとめろよ!!福岡、稲冨!!(2年目の先輩)
指導、どうなってんねや!?」



(は?)



「エレベーターのボタン押さんかい!もっと細かい気配りを行うことに気づけッッ!」



(は?)



・・・・・・終始、こんな感じだった。


「は?」とは、どういう心情か。



< 今までの人生の辞書に載ってない動き方 >に戸惑った、ということだ。




後輩だからといって、何かをする、というのが、
人生初だった。論理がわからずに苦労した。



しかし、これは論理で理解するものではなく、< そういうもの >として
理解する必要があるジャンルだった。


部活やサークルでも、上下関係というものを意識したことがなく、
先輩・後輩が関係してくる動き方、を覚えてこなかったために、びっくりしたのである。


新人は大変だ。


製品知識だけでなく、「社内の動き方」もマスターする必要がある。


『郷に入れば郷に従え』という言葉があるが、まさにその言葉通り、
論理はわからなくても、素直にそのまま教えを守る。



僕は、「社内の動き方」リストアップし、動きながらどんどん取得していった。



当時のリストは、一例を挙げると以下のようなものである。

< 上司・先輩と飲み会の場合 >
・参加者の好みを聞き、アレルギーや食べられないものも把握し、喫煙/禁煙なども考慮しながら当日までに人数分座席を予約しておく。支店長以上が来る場合は座席も把握しておく。

・前日には確認のTELを行う
・当日は先輩が全員座るまで座らない。
・先輩がいらしたら、冬場はコートをお預かりし、ハンガーにかける。
・初回注文を聞きに行く。注文を暗記。暗記しきれなければメモする。
・最初の注文時、呼び鈴がない場合の店員を呼ぶときの「すみませーん」は先輩にさせてはいけない。先輩に言われる前に「すみませーん」を一発で呼べるように大きめの声で言う。
・先ほど、暗記した(メモした)注文をミスなく店員に伝える
・正座を崩していい、と言われたら正座を崩す。
・ビールを注ぐ場合は、ラベルが上になるよう向け、手の温度で熱が伝わらないように持ち方を工夫して注ぐ。
・焼酎をボトルで頼んだ場合は、作る。お湯割はお湯が先、焼酎が後。水割りは焼酎が先、水が後。
・日本酒は手酌させてはいけない。必ずつぎにいく。
・会話中もグラスが残り少なくなってないか、確認する。
少なくなっていれば、次の注文をメニュー表を持ち、それを先輩側が読めるように向けて次は何をお飲みになりますか?の言葉を添えてお渡しする。先輩に自ら注文を取らせてはいけない。注文を聞いたら、店員を呼び、伝える。
・会計時は一人当たりの金額を算出し、集めて回る。
・完了後は先輩が出るまで待ち、最後に忘れ物がないか、座布団やテーブルの下などもチェックする。
・エレベーターのボタンは先輩に押させてはいけない。必ず押し、開いたら一番に入り「開く」ボタンを押しておく。出る時も「開く」を押しておき、最後まで待つ。ボタンを押せず先輩が「開く」を押してしまう状況になった場合は、その先輩が出るまで、閉じないように外から手で扉を押さえて先輩が出るまで待つ。
・おごりだった場合は外で待機し、ごちそうさまでした、を言う。
・翌日お会いした時は、こちらから、昨日お疲れ様でした(ごちそうさまでした)を再度こちらから言って回る。お会いしない場合は、メールを入れる。




このようなことを、一つづつ、教育担当の福岡さんや稲冨さんに方法を聞きながら完成させ、徐々に感覚で出来るようになっていくのであった。


覚えたことは、応用可能な事柄であり、
実際、ドクターとの会食も、この先輩に叩き込まれた「伝統」を使って、スムーズに進めることが出来るようになった。


「は?」「不合理だ」と、当時は思いながらも、会食多きMRという仕事の特性上、接遇を日常から癖付けておくことは
大変合理的であり、給料をもらって食事をするためのいい準備運動だったと今更になって思う。


また、これらを後天的にリストアップして「学習」した自分は、
他の人の飲み会や立ち回りの仕方などでの動き方を見ていると、


(ああ、この人も同じようにどこかで「学習」したんだろーな。)


と、妙な親近感が芽生えることがあった。
さらに、学生などでも、注文を率先して聞いたり、コートかけたり同じような動きが出来る子がいたりすることに気づくようになって

(その年齢でよくその立ち回りを覚えたな)


と感心する場面も多くなった。


ただ、MR退職以降はこれらの作法を求められる場面も減ったため、行うことはなくなった。むしろ、これらの動きを今度は、

「そんな気を使わないで、もっとラフに過ごしてほしい」

と、うっとおしがられそうな場面もあったため、今は自然体でいるようにしている。


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「学び」が、コミュニケーションにつながり、
コミュニケーションがまた「学び」になる


ということに気づいたのは、
上記のような方法をマスターし、少しづつ会食を行うようになり、
ドクターとたくさんお話をさせてもらう機会が増えていったからだった。


学生時代は、似たような年齢の、似たような価値観の人たちとほとんどの時間を過ごした。

社会に放り出され、急に世代もバラバラ、価値観も異なる人たちの中に入り、今までの学生同士の会話には存在しないワードや見解が目の前を飛び交うようになった。


それは、今までになく新鮮であり、
コミュニケーションのレベルが上がっていることを実感した。


<「学び」が、コミュニケーションにつながり、
コミュニケーションがまた「学び」になる、>


とはどういうことか。


勉強する< インプトット >
→誰かにその知識を共有したり、会話の中に折り込む< アウトプット+コミュニケーション >
→新たな視点でのアイデアや見解がかえってくる< インプット+コミュニケーション >


という、主に会話の中で生じる出来事である。


これは、まさに「学びの連鎖」である。


インプットしたものは、誰かにそれをアウトプットをすると
その人から角度の違うインプットを得ることができる。

「学び」が、新たな「学び」を産んで、終わりがないのだ。

つまり、コミュニケーションのバリエーションが、
増え続けることを意味する。

コミュニケーションを楽しみたくて、生きているのであれば、
つまり勉強は、それを楽しくする最大の源泉だと言い換えられた。


(コミュニケーションを楽しむための「学び」は楽しい。もっと「学び」を大切にする場所があってもいいんじゃないか。
人々が集い、「学び」からコミュニケートし、互いが発展していく場所。

誰か作ってくれないか?

いや、自分でお店を作る方が、楽しいだろう。

起業するっていうのは、前から楽しそうだなと思っていた。

そして、それは新たな世界を自ら切り開いていき、自分を成長させることにつながる。

MRをこのまま続けるでなく、いろんな未来が、あるのかもしれない。)


仕事の中で得た様々な「学び」が僕に
ふと、「起業」という言葉を、想起させていくのであった。



第4話に続く・・・

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作者 : 荒井浩介 株式会社ARIA代表取締役
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