「中心帰納」というなんだかわからないものを継承するお手伝い

合気道無元塾で中心帰納をならってもうすぐ三年になります。実は、私には中心帰納がなんなのかよくわかっていない。もちろん、いろんな約束事の上でのことだが、私でも中心帰納をすると相手がフラフラしたり、場合によってはポテっと倒れてくれたりするので合気道の文脈では確かに武術のテクニックの一つなんだとは身をもって理解している。確かに、格闘技の技術としては他ではあんまり聞かない話が多いので、無元塾白石先生に習いにきてる人には格闘技の一線で活躍している人がいるのもよく理解できる。

よくわからないのは、そもそもなんで中心帰納なる自分の姿勢や内面の状態が、相手が倒れる結果につながるのか。例えば、強い力で相手に突き飛ばされて転ぶっていうのはわかる。さらに、2人の力が均衡していて突然相手が力を抜いたから、もっと言うと、開くと思ってなかったドアが今まさに開けようとした時に開いてしまってツン込める、というような状況、、、どれとも全然違う。

そもそものところを考えると、超能力みたいじゃないかって、てなとこだって頭に浮かんだ。でも、白石先生は、「人間は、一般に考えられているより、相手の意識に反応してしまう動物なんですよ」と説明された。私もこの説明が一番しっくりくる。

白石先生の言う「意識」ってなんだろう。これをなんとなくでも想像するよい例がある。マラソンで集団ができて”心理戦”になったりするような現象。あまりによくあることなので当たり前に思えてしまう。でも、筋肉が単純に栄養を物理的な力に変換する装置なら、各人が持っている生理的なポテンシャルに依存して42kmを走る時間が決まるような気がする。でも現実はそうなってない。専門的にはいろいろあるのだと思うのだけど、人間は(トレーニングされたアスリートでさえ)、隣にいる人を気にして(意識して)しまうのを止めることはできず、自分だけの事情で何かをするのは難しいようにできている、のだと理解している。

もう一つ、個人的な例を挙げたい。私は、多くの人が事務作業をしている職場に「イライラしている人」がいると、その人が気になって困っていた。イライラしている人は、ちょっとした作業の物音が普段よりほんの少し大きかったり、たまにため息をついたりするだけなのに、私は自分の作業に集中できず、その人を気に(意識)してしまう。あまりに気になってしまうので、「あのさ、そこでイライラするのやめてくれる?」って言おうかと思ったが、それは流石に理解されないだろう、と思いやめた。悶々とする中、なぜこんなに他人に振り回されなくてはいけないのだろう?これが無元塾の中心帰納にたどり着く出発点だった。これについては次回書くことにしたい。

上の二つの例で説明したかったのは、白石先生のおっしゃる「意識」は、哲学的でも、スピリチュアル的でもない、普段の生活で使う「意識」という言葉から想像するものとなんら変わらない、ということです。

無元塾の稽古で、私がお手伝いができることがあるとしたらなんだろう。私にできるのは中心帰納なる格闘技術の粋だけ、逆説的だけれども格闘技としての要素を全部脇に置いて、中心帰納の心と体の状態だけをお伝えすることかと考えた。格闘技として相手を倒すという結果を脇に置いて、相対稽古で、相手を意識してしまっている自分の意識を自分の体に戻すと相手に影響する、という現象を繰り返し体験してもらう。この現象は、白石先生の入門講座だけでも体験できるかもしれない。もし、しっくりこない人はその後、私との稽古で体験できるのではないかと思う。なので、少なくとも無元塾の中心帰納の入門編の補助として役に立つだろう。

今のところ、どうして自分の意識を自分に戻すと相手に影響するのかよくわからないわけだけれど、このよくわからないものを、教えていただいた先生へのご恩返しの意味も含めて、継承するお手伝いできればいいなと思っている。

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