自覚ワークと中心帰納

無元塾に辿り着いて最近に至るまで、頭の中で「自分はあの人によく思われてる、だってあの時ああ言ったのだから」というオチのストーリー紡ぐための思考でいっぱいだった。これをこうやって頑張ればストーリーが上手く繋がるはず、と激しく仕事の成功に駆り立てられたりしていた。仕事がうまくいきそうな時にはそういうストーリーが割と簡単にできたり、逆にうまく行ってない時には、そんなストーリーがうまくできずに、代わりにだからお前はダメなんだどういうストーリーができて延々と自分をいたぶるような展開のストーリーに苦しんでいた。

自分の思考にいじめを受ける時、休みがない。24時間、毎日毎日ひどい言葉を浴びせ続けられることになる。そこからなんとか抜け出そうとストーリーを作り直し続ける、その思考に生活のほとんどのエネルギーを消費してしまい、ヘトヘトだった。肩こりも酷かった。ストーリーを紡ぐためにと目的がはっきりとして思考しているのだが、この思考を止めることはできなかった。後で知ったのだが、こういうのを自動思考というらしい。

この自動思考をなんとかしようとネットを検索するうちに、はじめに出会ったのが自覚ワークだった。https://blog.goo.ne.jp/suiku2013

自分の意識を自分に向けることで、自分の思考を自分で客観的に捉える、というワークなのだが、私にはうまくできなかった。無元塾の意識の使い方で巡り合ったのと同じ問題だった。思考してる自分が自分の思考を見れるわけがないんじゃないか?というのが私の疑問だった。

それでも自覚ワークのインストラクションに従い、思考の意識を自分の顔辺りににむけると、思考をやっている意識は顔に釘付けになり、自動思考は止まる。しかし気がつくと自分の顔にむけていた意識はいつのまにかどこかを彷徨い始めており自分をいたぶるストーリーを紡いでいる。そのことに気づくまで随分時間が経っている、そのようなことの繰り返しだった。

毎日痛ぶられる苦しみにいても立ってもいられず、自覚ワークの管理人さんに相談をした。管理人さんはとても親切に教えてくださった。自覚ワークの目的の一つが、自分の思考を見る、思考とは別の意識ユニットを見つけることだと教えてくれた。

最近、そのユニットを見つけたんじゃないかと思う。いつものように思考の意識ユニットを自分の顔あたりに向けていると、意識を向けたまま自分が何かを思考していることに気づいた。明らかに思考ユニットとは別の機能ユニットが自分の思考を捉えている。なぜならカメラは自身の姿を写せないのだから。

この過程で、無元塾の中心帰納が大きな助けになった。鍵は相手フラフラ現象だった。相手フラフラ現象が起きる時と起きない時の違いは現象として歴然としていた。自分は同じようにやっているつもりなのになぜこの違いが生まれるのか全然わからなかった。でも今ではわかる。練習のはじめでは、ギンギンに活動している思考の意識ユニットをお腹に向けることになって、相手フラフラ現象は起こらない。練習時間の後半になってやっと相手フラフラ現象が起こる。その時私の思考は休んでおり、身体の意識が活性化している。相手フラフラ現象を頼りに練習を進め、これまでに、体の表面の意識とお腹の意識の関係が明らかになった。こんなことが明らかになる前から、無元塾の練習の帰りには、自動思考に占拠された私の頭は少し楽になるのははっきり感じられた。合気道の技はさておき、セラピーとして週に一度の練習が楽しみだった。相手フラフラ現象を手掛かりにして自分の意識の構成が明らかになり始めた。

考えてみると、現象世界の対象物にはちゃんと名前がついており、「右手の手のひらを頭頂部に当てる」というようなことは簡単にできる。しかし、自覚ワークにしても合気道にしても、意識の機能ユニットに名前がついていなかったり、ついていても実際に見ることもその存在すらも知らないユニットを自分でどうこうすることはできない。ここが新入門の人には大きな問題になる。大抵、できる人は自然にできるようになっているため、できる人は名前をつける必要性すら認識していなかったりする。私は、このような天才たちと普通の人の差にいつも苦しんでいた。勉強でもスポーツでも武道でも。できる人はできるができない人はずっとできない。

私はこの溝を埋めたい。


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