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モナコに永住⁈<僕のささやかな夢(だった)②>

若手派遣制度に則ってパリで2年、当然帰国すると思っていた1986年春に「ジュネーブに行かないか」と上司から打診され、その前の年にグリンデルワルトにバカンスに行っていたことが奏功したのかその日のうちに家族の同意も取れたので、一気にスイス転勤モードに。ところが就労VISAがなかなか取れないとのことで、僕は一旦出張扱いでロンドン支店に。一方、出張に家族はついて行けないので自費で日本に帰ることになった。(なんで「自費」やねんと思いながらも、奥様が最安値のフライトを探しイリューシンに乗ることに。「ペラペラの紙かと思うような飛行機で2歳の子供と二人きりで日本に帰されたー」といまだに責められる…)

ロンドンで2か月ほど滞在した後、スタートしたばかりの個人富裕層向けのプライベートバンキングを軌道に乗せるべくジュネーブに。1年後に1日で22.6%米国株式が暴落したブラックマンデーに見舞われることになるのだが、その話はまた別の機会に。

欧州から中近東・アジアまでいろいろな国に行った。その中でも忘れられないのがモナコ公国。グレース・ケリーやF1そしてカジノで有名だが、実はファミリートラスト(相続税のかからない家族信託)やファウンデーション(様々な財団)がかなり設立されており、観光に来ただけのひとにはわからない超富裕層のための奥の院がある。「モナコにプライベート・バンキング拠点を」と企画を出したら、上司も後押ししてくれた。モナコ公国の財務省とのアポも取れ、日系銀行として進出の可能性を確認すべく独りで交渉に赴いた。

先方から指定されたランチの場所が新規会員にはまずなれないと言われているYacht Club de Monaco(モナコヨットクラブ)の二階のテラス席。10分ほど前に到着したところまだ顧客は誰もおらず、僕はヨットハーバーに係留されている見たこともない豪華なクルーズ船を眺めていた。J.F.ケネディの未亡人ジャクリーヌと結婚をした海運王オナシスの大型クルーザーの横にそれより更に大きな船。ヨットクラブの人に持ち主を尋ねると「ニアルコスですよ」と答える。世界の海運王オナシスと伍したこれまたギリシャの海運王の持ち物だ。すごい世界に来てしまっているなと余計な感慨に浸っていると、その人はいきなり現れた。

⦅アンタは映画俳優か!僕はモナコの財務大臣に会いに来たんやけど!⦆

クラブの決まりでジャケットは一応羽織ってはいるもののボタンを三つぐらい外した超高級そうなシャツにラフなパンツといういでたちで、ランチョンミーティングのあいだずっとRay-Ban(レイバンのティアドロップは当時カッコ良さの象徴)のサングラスはしたまま。ジャンパンで乾杯して、ワインを片手に僕のプレゼンを聴いて、最後に一言「問題ない」と。

「オフィスを紹介しよう」とカジノの向かい側にある瀟洒な建物に案内される。そこは「オナシス財団」が所有するビルで「丁度2階が空いているのでここにすればいい。話はしてある」「じゃ(君の銀行の意思決定ができ次第)また連絡してきて」と、嬉しいというか、こんなことって本当にあるんだ、と舞い上がってしまった。これって当然僕がモナコに赴任して、ヨーロッパのプライベートバンキング業務だから人は替えちゃいけないから、僕は永住になるのではないか、ともはや妄想が止まらない。おそらく日本人として初めてモナコの奥深くに入り込み、世界の成功者たちとの抜き差しならなぬ関係を取り結び、この地で果てるまでに普通の人生では経験できない人のありようを目撃しつづけ、そして巻き込まれるのだと。

しかし、本部にはどうも一笑に付されたらしい。そんなことより大事なことがあるんだから、さっさと異動させろと。そして僕は1990年に東京の本店企画室に帰任し銀行の新しいスタンダードたるBIS自己資本比率規制を行内に浸透させることと格付け対策に忙殺されることとなる。

それから5年経ち、新しくコンサルファームを友人たちと立ち上げ、初仕事でアメリカからスイスに回ってきた後に、創業メンバーと思い出のモナコに夢を語りに向かった。相変わらずヨットハーバーには豪華クルーザーが係留されており、「いつかこんな船を僕らも持てるのかな」と愚にもつかない話をしていたら、そこにものすごいスピードでやってきた黄色いフェラーリが音を立てて急停車し、中から、またもや映画俳優のような、でも今度はスタイルの良すぎる女性が降り立った。そして、ひときわ目立つ最もカッコイイ濃紺のクルーザーのタラップをタイトなパンツに超高いヒールで登り始めた。それまでたばこを吸ったりしていた船員たちもいっせいに左右に散って敬礼で迎える。確か船名はPrincess Kremlin。そのLadyが誰かはついにわからなかったが、僕たちのモチベーションは無駄に上がった。

もしモナコに住んでいたらどうなっていたのだろうか、とあの時もらったYacht Club de Monacoのクラブメンバー用のネクタイを見て思うことがある。映画の主人公のような人たちと面白おかしくやっていけたのだろうか、と。

(絶対うまくやって行けたに決まっている!と思うところが僕のいいところでダメなところだということは最近になって漸くわかるようになった。)


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