有限は、夕日みたいにオレンジ色をしていた――君を、愛している(596文字)
むかしシルク・ドゥ・ソレイユのサーカスを見た。肉体を駆使したその表現に心が震えた。
躍動、ということを思った。
老いて今、例えばsingerの歌に耳を傾けながら思ったりするのだけれど、誰かの表現にひどく心を揺さぶられるのはひとえに、その誰かがいつかは死んでしまう――という無意識ではあるのかもしれないけれど実に鮮烈なる現実認識に基づいているのではなかろうか?
僕もあたなも、アイツも彼女も、誰も彼もみんなみんな死んでしまう。
土塊(つちくれ)に還る。
消える。
永久(とわ)に。
それが現実。
虚しい事実。
けれども。だからこそ。その虚しさに立脚した有限の今を謳歌する躍動に――、そのいたいけなありさまに僕らは愛しさを覚えるのかもしれない。
遠からず消え去る命の懸命なる今。
幼い頃、亀に、アリに、クワガタ虫に、命の躍動を見た。そして知性もないがゆえに感性で知覚した。有限を。
ボクラハミンナイキテイル。
そして。
ボクラハミンナキエテシマウ。
だからこそ。
命のありさまを凝視し、命の響きに耳を傾け、命の一つひとつに想いを凝らすのだった。
今思う。僕も君も、彼も彼女もここにいる。今を生きている。いつかは消えてしまうけど今はいる。しゃにむにいる。哀しんだり怒ったり、楽しんだり喜んだりしている。存在している。
だから、ただひたすらに愛しいのだ。
みんな虚しい。がゆえに愛しい。
夕日みたいなオレンジ色で僕は――、僕らを愛している。
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