私が物書きになったわけ
私が物書きになったのは、今に始まった事ではありません。
文章はずっと書いて来たし、それが割と好きだということもあって、もう二十年以上書いて来ましたが、文章を書くことで収入を得るかどうかが、プロとアマチュアの分水領になるのでしょう。
これまでは自分の文章で稼ぐということはしてこなかったのですが、それは他に厄介で大変な仕事をしていたので、物を書くことに対して、プロとして取り組むことができなかったからなのだと思います。実際には少しだけランサーズで文章を書いて、いくらか収入にしたことがありましたが、その時の自分の本業と比べると、時間単価が著しく低かったので、バカバカしくてそれ以上は書きませんでした。あれも結局は文章書きの内職であって、誰かが儲けるための手間仕事でしかないことがわかったのも面白くありませんでした。
今回プロの物書きになったのは、単純にこれまで苦しんで来た仕事と責任から解放されて、やりたいことをやれる立場になったからです。これが文章を書くことが苦痛であれば当然選択しませんが、やりたい仕事の一つとして、かなり以前から文章を書くという事も考えていたので、自分の中では自然な成り行きです。
しかしいきなり物書きってなれるのか? という疑問を持つ方もいると思います。
それは私が二十三歳になってすぐの年の暮れ、バイクの宅配便の仕事をしていた弟の事故の報せが入りました。
慌てて千葉の幕張にある病院に行くと、弟は集中治療室のベッドで昏睡状態。その時、私は生まれて初めて失神しました。
弟は、右折して来たトラックに、バイクで正面から突っ込み、頭を強く打っていたので脳が腫れて、今のような低体温療法もなかったので、弟はその後数日でこの世を去りました。享年十九歳。
慌ただしく葬儀を終え、その後形容しがたい喪失感に見舞われました。しかしそれ以上に母の悲しみはどれほどなのか、あまりにも痛みが強すぎてそばにいるのも辛かった。
私は、その頃勤めていたある会社の流通センターの仕事を辞め、いくつかの仕事を転々としたあとで、ある日ふと思いました。
「これが仕事だと自分が思えば仕事だよな。」
その頃、好きな車を弄るのに解体屋を回っては部品を漁って、だんだんどこに何があるかなど詳しくなっていたので、友人の車の部品なども頼まれるようになっていました。それなら中古の自動車部品を商うことを仕事にしようと決めて、その瞬間から自営の自動車部品商になりました。
やがて中古車屋からも引き合いが来るようになり、中古車を扱うようになるまで、時間はかかりませんでした。
これが中古車ブローカーになった経緯です。
その後、個人営業からすべての手続きを自分でやって、株式会社に法人化して、損害保険代理店の試験を受けて資格をとり、保険業務もやるようになって、十数年それで食べていました。先日当時扱った車両の車検証のコピーや、保険契約書のコピーなどを処分しましたが、こんなに売り買いしたのかと自分で思うほど、かなりの台数を売買しました。
やがて義理の両親の会社を手伝うことになり、それまでの中古車ブローカーの仕事から遠ざかりました。そして破産。
正直なところ、人を使うのも人に使われるのも、できればもうやりたくないのですね。もともと十数年一人でやれたのですから、それができるということはわかっているのです。問題は何をするか?
そして私は私にとって、最初の本を書きました。
「どこか出版してくれるところはないかな?」そういう発想は最初からありませんでした。Amazonあるし。
「どこかで宣伝して売り出してくれないかな?」売れるかどうかわからないようなものを金かけて宣伝してくれる営利企業なんかどこにもありません。なら自分でやればいい。
必要な情報は、ほとんどインターネットで手に入る。自分が取りに行きさえすれば。そして、物書きとしてだけではなく、それを総合的なパッケージとして売り出すためのシステムまで自分で構築してしまえばいい。自分のための出版エージェント。そして一度そのシステムを構築してしまえば、あとは自分がレールから外れて走って来た人生で、経験したことや知ったことを書いていけばいい。
ですから、単純に物書きになったわけではありません。執筆して出版するということに仕事として取り組んで、それを継続していこうと考えて行動しているのです。
これが一般的に簡単にできることなのか、人様にお勧めできることなのかはわかりません。ただ、私は二十代のあの頃と同じ。
「これが仕事だと自分が思えば仕事だよな。」
だから私は物書きであり、プロデューサーであり、自分専属のWEBデザイナーであり、広告屋でもあるのです。
その過程で一番自分にとって大切なことは、自分がやると決めてやり切ること。
その意思があれば、他のたいていの事は割と瑣末な問題です。どうしてもできない部分は外注だってあるのですから。けれど、自分が書いて出版すると決めなければ、何一つ形にはならない。
私が物書きになったのは、私自身が物書きだと決めたからです。
人が私を物書きとして認めてくれるには、少し時間がかかるかもしれませんけどね。
サポートする代わりに、こんな本を書いたり、こんなことをしている奴がいるよーって触れ回っていただけると助かります。