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夕立の降るこの世界で

 食べ物を両手いっぱい抱えた少年が、砂以外何も見えない広大な土地を息を切らせながら走っていた。

「おかしいな……」

 三個目の丘を越え、そろそろ目指す廃工場が見えてくるはずなのにいつまでたっても見慣れたその場所は見えてこない。まさか道を間違えた?いや、右手に見えている特徴的な丘は、彼がいつも廃工場の目印にしているもので間違いないはず。

「早く姉ちゃんに食べさせてやらないと……」

 廃工場を出発する前に見た病気と栄養不足により息をするのもツラそうな状態の姉の顔を思い出し、焦る気持ちが大きく膨らんでいく。

 2週間ほど前。彼の姉は奇妙な病気に侵された。

 ぽつんと彼女の足に現れた小さな痣。
 それが赤黒い斑点として全身に広がるのには3日とかからなかった。

『ずっと一緒に生活している僕が発症していないのだから、この病気はうつるものでは無い』

 そう主張する彼の言葉に耳を貸すものは誰もおらず、グロテスクな彼女を視界の外へ追いやるために、街の人間は彼と彼女を街から排除した。そうして2人は街から離れた場所にある廃工場へと身を移したのだった。

 斑点が消えさえすれば。

 それだけを信じて、彼は彼女の為に献身的に尽くしている。

「やっぱりおかしい」

 彼は記憶の中にある廃工場の入口で足を止めた。そして目の前に広がる砂以外何もない空間を見ながらそう呟いた。

「絶体ここにあったはずなんだ……」

 何度も何度も周りを見回し、見慣れた地形を確認する。そしてそのたびに『ここに確かにあったのだ』と確信する。
 しかし、あるべきはずの廃工場は欠片さえも見当たらない。

 もちろん、そこにいたはずの彼女の姿すらも。

「姉ちゃん?」

 彼は何度も姉を呼びながら足を進める。姉がいた場所に向かって。ゆっくりと。辺りを何度も見回しながら。

 そうするうちに、彼は砂に足を取られて地面に倒れ込んだ。
 しかし、彼が足をとられて倒れ込んだと思ったのは間違いで。本当は彼の足がくるぶしの辺りまで消えて無くなってしまったことで歩けなくなり、転んでしまったのだ。

 そんなことには全く気がつかず彼は立ち上がろうとするが、地面に接している場所から彼の身体はどんどんと消えて行く。

 そしておかしいと気がつく間もなく、彼は意識を失った。

 サラサラと風に運ばれた砂粒が転がり通過していく砂漠の真ん中で、彼はこの世界から消滅した。

 彼がいたという痕跡を何ひとつ残すことなく。

 初めて『夕立ゆうだち』システムを作動させたときの興奮を僕は今でも覚えている。


 あの日、全ての研修を終え正式な夕立オペレータに就任した僕たち4名は夕立のコントロール室の中にいた。

「コレが本物の『夕立』……」

 その存在を知るのは世界でもこのセンター関係者のみという本当に限られた数しかいない、世界中の人間を救うために作られたシステム。

 初めてそれを目の前にして、オペレータに選ばれたという誇らしさと自分たちがこの手で世界を救うんだという期待に胸を膨らませ、瞳をキラキラさせた僕たちの顔を順番に見ながら、前に立っているセンター長がこう言った。

「みなさん、おめでとうございます。今日より晴れてキミたちは『夕立』のシステムオペレータとなります。研修で学んだ事を忘れず、これから一緒に人々の為に世界を救って行きましょう。これからよろしくお願いしますね」

「はい!よろしくお願いします!」

「それでは早速なのですが、10分後に夕立を降らせる事が決まっています。着任早々ですが、よろしくお願いします」

「はい!」

 僕たちは研修で決められた通りに自分たちの担当場所へと移動する。その場所に座っていた先輩たちはいつの間にか隣の席へと移動し、僕たちのサポートをする体勢に入っていた。

「よろしくお願いします」

 そう挨拶をし、僕はヘッドセットを装着するとシステムの起動を開始する。夕立を動かすためには4人の実行メンバーと、4人のサポートメンバーが必要だ。どうして4という数が採用されたのかは今までの研修でも教えてもらっていないから理由は分からない。

 そして担当場所は決まってはいるけれど、どこの担当になっても大丈夫なように夕立オペレータは全ての担当の操作が出来るように訓練されている。

 僕はコンソール画面で打ち込みを完了し、手元にあるカバーを持ち上げるとカチッと手ごたえを感じるまでボタンを押した。

「夕立『システム1』完了です」

 そうマイクに告げると、同じように他の3人の報告がヘッドセット越しに聞こえた。僕はその声を聞きながら、メインの大型ディスプレイへと視線を上げる。

 そこに映されていたのは至る所が錆びつき、壁には無数の穴があき、ひとたび地震が起これば倒壊してしまいそうなくらい脆弱な廃工場だった。

 かつてその街を繁栄させていた面影なんてどこにも見あたらないばかりか、”危険”と書かれたドラム缶や尖った金属片等が至る所に投げ捨てられているその姿は、この廃工場に近付くもの共々朽ち果ててやろうという意志さえ感じさせられる。

「なるほど」

 『夕立』とはこのような人類の負の遺産を浄化するために存在しているのだ。僕は満足気に廃工場を確認した後、ディスプレイの端に映されるカウントダウンを見ながら心の中で数字を復唱しはじめた。

『45・44・43……』
 数え上げる数が小さくなるごとに、僕の緊張は徐々に高まっていく。

『20・19・18……』
 ついに。ついにこの僕が世界を救うために夕立を。

『9・8・7……』
 しかし本当にこんなに巨大な廃工場が消えるというのだろうか。

『3・2・1』
 いや、それはもうすぐわかることだ。

 ”0”のカウントが終わると同時に、僕の目は大型ディスプレイに釘付けになる。


 雲一つなかったはずの場所にバケツをひっくり返したような雨が降り始め、すぐに雲一つない元の晴れた空へと戻る。その様子がディスプレイに映し出されていた。

 そしてついさっきまで確かにそこにあったはずの廃工場は跡形もなく姿を消していた。

 青い空の下、既に表面は乾燥してしまっている砂漠地帯が広がるこの場所に、ついさっき激しい雨が降ったことも、巨大な廃工場があったことも、誰が想像することができるだろうか。

「……すごい」

 思わず口にしてしまった言葉で僕はハッと我に返る。ここにいるのは僕だけではない。部屋にはみんなが、そしてすぐ隣には先輩がいるんだった。

 今の声が聞こえていなかっただろうかと隣の先輩を横目で見ると、先輩は僕の声に気がついていなかったらしく、消えた廃工場跡地を真剣な眼差しでまだじっと見つめていた。

 何回見てもこの衝撃には慣れないものなのかもしれない。

 この時の僕は先輩も自分と同じ気持ちだと信じて疑うことは無かった。

 この世界では昔、夏の夕方に突然降り出す雨を『夕立』と呼んでいたそうだ。

 夕立が降った後は空気が澄み、気温が下がりとても過ごしやすくなったらしい。だから”世界を正常化するシステム”が完成した時、その夕立にちなんでこのシステムを『夕立』と名付けた。
 
 僕たちの住む世界にピンポイントで雨を降らせることが出来る『夕立』。
 その雨は建築物や有毒ガスを消し去ってしまうことが出来るだけでなく、雨が上がった後は生態系にとって理想的な環境が残される。

 そう。その名の由来の通りに。


 そして僕たちはそんなシステムを管理するためにこのセンターの中で産まれた。

 夕立に関する情報はこの場所で産まれたからといって全員に与えられるものでは無く、オペレータとしてこの場所に残ることが許されたメンバーだけが知ることが出来る。

 だから、センターの外へと出て行ってしまった僕らと共に産まれた残り96名の"友"たちは、夕立というシステムがあるということも、それが自分たちが産まれた場所にあるということも知らないまま、この世界のどこかで平和に生活していることだろう。

 今回、夕立のオペレータとしてこの場所に残ったのは、ツバサ、ユキト、ハル、そして僕。

 夕立システムのオペレータは常時8席。そして欠員が出た数だけすぐに補充されるようになっているので、今回は4人がいっぺんに『夕立』から離れていってしまったと考えられる。

 いっぺんに4人もこの場所から去ってしまうだなんて、何か問題でも起きたのだろうか。それとも、いつも複数人一気に離れるのが普通なのだろうか。

 存在自体が隠されているこのシステム。

 ここに来たばかりの僕にはまだ分からない事ばかりだ。

「それでは、今日の『夕立』で何か問題点はありませんでしたか?」

 大型ディスプレイを見上げていた僕たちはセンター長の声で、全員彼の方へと向き直った。

 問題点……?

 さっき目の前に映し出された浄化の様子を頭の中で順を追って再生してみたけれど、受けた衝撃の大きさが小さな疑問点を覆い尽くしてしまって”問題点”など思い浮かばない。
 しかし、ほんの少しだけ気になったことがあったので僕は質問をしてみることにした。

「夕立を降らせる直前に降雨予定地を示すピンが移動した様に思えたのですが、ピンは固定されたものではなく可動式なのですか?」

 それを聞いたセンター長はニコニコしながらこう答えた。

「研修ではどう教えられましたか?」

 質問に質問で返されるとは、僕は何かまずいことを聞いてしまったのだろうか。そんな不安な気持ちに気付かれないように何とか取り繕いながら、頭の中の記憶を呼び覚ましてその質問に答える。

「『ピンは夕立で浄化するべきだと判断された場所に置かれる』と」

「そうですね。今回はその『置かれた目標』が動いてしまっただけだと思いますよ。場所は砂漠地帯。風も強いでしょうから」

 センター長の言葉に僕は一度は頷いた。

 でもなんだか違和感を消すことが出来なかった僕は、夕立を降らせた場所をもう一度見ようとこっそりと大型ディスプレイへと視線を移した。しかしその瞬間、音もなく画面に映っていた砂漠地帯は丸い青い地球へと滑らかに変化してしまい、結局何がおかしいと感じたのかはわからないまま宙ぶらりんの状態のままだ。

 僕は質問の形を変えて聞いてみようと、もう一度センター長の方へと向き直る。

「あの、もうひとつだけいいですか」

「どうぞ」

「『ピン』とは一体どんな物質なのでしょう?誰かが直接置きに行くものなのですか?」

「それはどういうふうに説明されていますか?」

 まただ。
 センター長は質問を受け付けておきながら答える気はないらしい。

「えっと……『夕立システムの詳細については、任務を実際に行っていくうちに分かるようになっていきます』と」

 僕の答えを聞いたセンター長は笑みを浮かべたまま大きく頷いた。

「ええ。そうですね。この夕立システムの存在を知る存在はキミたちを含め世界で50人もいません。詳細を知る人数は更に少なくなります。情報が分散すればするほど拡散するリスクが高まりますので。なので、キミたちにも少しずつこの夕立について知っていっていただくのが良いと考え、そういう形を取らせてもらっています」

「分かりました。ありがとうございます」

「いえ。では、他には?」

 センター長は順番に僕たちの顔を見回していく。
 しかし、みんな僕とセンター長のやりとりを見ていたからなのか、本当に疑問など何もないからなのか、誰も質問しようとはしなかった。

「では、今回の夕立はこれで終了です。今日はもう任務はありませんので解散してくださって結構です。また明日、よろしくお願いします」

 センター長はそう言うと足早にコントロール室から出て行ってしまった。

 その背中を見送った僕たちも、この場所にいてもすることは無いので先輩たち共々、各自個室へと戻ることにした。

 あの日から毎日『夕立』は稼働し続け、僕たちは毎日夕立を降らせ続けた。

 大型ディスプレイに映る画面を見ても初めて見たあの時のような衝撃を受けることも無くなり、ただ淡々と任務をこなす日々。
 それとは裏腹に、この地球上にある負の遺産を浄化し未来の人類の為に僕たちが大きく貢献しているという気持ちだけは小さくなることはなく、僕の中でどんどんと肥大し続けていった。


 そんなある日、その日の任務を終えコントロールルームを出たところで僕は先輩に声をかけられた。

「ねえ、ちょっといいかな」

「あ、はい」

 もしかして今日、二回目の夕立を降らせる時に数秒遅れてしまったのを誤魔化したのがバレてしまったんだろうか。

 僕は内心ドキドキしながらも、何食わぬ顔をして先輩の後について中庭へと出た。


「わあ」

 目の前に広がる見事な夕焼け空に思わず声が出る。

「綺麗だね」

「ええ。こんな綺麗な世界を僕たちが救っているだなんて。僕はここに残ることが出来て本当に光栄です」

 先輩がすぐ近くにあるベンチを指して「座ろうか」と僕を促したので、僕は先輩と並んでベンチに座る。

 二人でしばらく夕焼け空を見上げていると、ふいに先輩が僕に向かってこう言った。

「ねえ。キミはキミと一緒に誕生した”友”の事を覚えているかい?」

「え?”友”ですか?」

 今日の失敗について話をされると思っていた僕は、先輩からの思いもよらない質問に対してそんな返事しか出来なかった。戸惑う僕に構わず先輩は話を続ける。

「僕はね、覚えているんだ。残り99名のことを。僕の代ではね、僕だけがここに残ったんだ。あの頃はたくさん浄化しなければいけなかったから。オペレータの席は一席ずつ、どんどんと空いていったね」

「どういうことですか?」

 先輩が何を言いたいのか分からない。僕は先輩の顔を見ながら発言に隠された何かを理解しようと頭をフル回転させる。

「席が空くと毎回100名が製造される。その中で選ばれるのは、空いた席と同じ数だけ。では、残りの生命体は?」

「残れなかった”友”たちは、外の世界で夕立のことなど知らずに平和に過ごしているのではないのですか?」

「じゃあさ。何も知らないとはいえ、どうして残りをここから外に出す必要があると思う?この場所でしていることを知っているのはここに残った僕たちだけ。情報を隠したいのなら空いた数ピッタリの数を作れば確実に漏れやしない。そう考えた事はない?」

 言われてみればそうかもしれない。
 僕たちは人間ではなくアンドロイドなのだから製造数は簡単に変えられる。それに教育だってチップを埋め込むだけだし……って。

 あれ?

 チップはこの世界で僕たちアンドロイドが意識を持つ前の時点で既に取り付けられている。じゃあ僕たちは作られた時点で残るモノ、出ていくモノが決められているっていうことなのか?

「そう。キミも気が付いたみたいだね」

 僕の困惑した表情を見て、先輩はそう呟いた。

「でも先輩。それじゃあ、ここから出て行った”友”は何かをするために外の世界に出て行ったと言う事になりますよね。オペレータの数は8と決まっているので、どれだけ少なくても92名の”友”が外に出ることになります」

「うん。そうだよ」

「なぜですか?先輩はその理由を知っているのですか?」

「やっぱり。キミならそう言ってくれると思った」

「え?」

「実はね、この話をするのはキミが最後なんだよ」

 僕が最後?一体どういう事だろう。

「キミたちが入る前からいるオペレータや、ツバサやユキト、ハルにもこの話をしたんだけどね。『それがどうかしたんですか?そういうシステムなんだから何もおかしい事なんてありませんけど』って言われちゃってさ。初めてキミが任務に参加した時に、キミは他のメンバーとは違う。どちらかというと僕に似ていると思っていたんだ。よかった。キミになら話が出来る」

 僕が先輩に似ている?僕にだけ話せる? 何のことだろう。

「じゃあ話を戻そう。逆にね、キミは”友”を外に出すためにオペレータが作られていると考えたことはあるかい?」

「え?僕たちのようなオペレータになれなかったのが”友”ではなく、”友”になれなかったのがオペレータということですか?」

 僕がそう言うと先輩はゆっくりと頷いた。

 夕立を降らし、世界を浄化するための救世主であるオペレータがオマケ……?

「だとすると”友を作りたい時にはオペレータも作る必要がありますよね?オペレータの数は決まっていますから、"友”が必要になる時、現役のオペレータが姿を消さなくてはいけません。その消えたオペレータは一体どこへ行ってしまうんですか?」

 僕たちが配属されてからはオペレータは誰一人としてこの場所を去っていない。僕たちが4人配置されたということからも、今はそこまで”友”を必要としていないということなのだろうか。

「うん。その通り。"友"が必要な時、現役のオペレータは邪魔になる。だからオペレータはね、最後には”友”になって外に出るんだよ」

「え?オペレータはここを去った後、”友”になるんですか?」

「うん。そう。この『夕立』の情報を外に漏らさないためにオペレータであった時の記憶を上書きされてね」

 ”友”を作り出すために”友”になれないオペレータを作る。そして最終的には『夕立』についての情報を外に出さないようにオペレータが”友”になる?

「じゃあ”友”は外の世界で何をするために作られているんですか?」

「”友”はね、深層心理に刻み込まれたターゲットを探し出すのが役割なんだ。自分では気がつかないうちにターゲットを探し求め、そしてターゲットとなる人物に心酔する」

「心酔……ですか?」

「うん。それは恋や愛なんて言葉でも言い表せないくらいのとてつもなく激しい感情らしいよ」

「へえ。そんな感情が存在するんですね。僕は恋や愛も想像でしかわからないですけど、それ以上となると正気を保つのがやっとなんでしょうか」

「うーん。どうなんだろう。僕も”友”になった訳じゃないからどんなに激しい感情なのかは分からないんだけどね。でね。”友”に心酔されたターゲットは”友”の出している特殊な信号によって、必ず”友”を受け入れる。そして二人はお互い無くてはならない存在となり、共にこれ以上はないほどの幸せな時間を過ごすようになるんだよ」

「でも『夕立』を知らず、そんな感情を感じることができた上に、ターゲットとなる人間と幸せな時間を過ごせるなんて"友"とは特別な存在なんですね」

 オペレータこそが救世主たる選ばれしモノ、”友”は脱落者だと思っていた僕はがっかりした。むしろ”友”を妬ましいとすら感じてしまう。

「どっちが優れているとかじゃないよ。それにオペレータだって最後にはオペレータであった記憶を封印して”友”になるんだから」

「なるほど。じゃあ、早く”友”になりたいなあ。今まで感じたことのないようなそんな激しい感情を早く味わってみたい」

 うっとりとしながらそう言った僕を、寂しそうな目で見ながら先輩が続ける。

「でもね。”友”が心酔した人間はすぐに病気になってしまうんだよ」

「え?病気ですか?人間なら誰しも病気になる可能性はありますよね?別に不思議なことじゃないんじゃないですか?」

「それはそうなんだけど、この病気は”友”がもたらすものなんだよ。言い換えれば”友”に出会わなければ発症しないんだ。いや、ターゲットを発症させるために”友”がいる」

「”友”は病気をまき散らすということですか?」

 先輩は首を横に振ると僕の顔を真っ直ぐに見る。

「”友”が発症させるのはターゲットの人間ただ一人。他の人間はどれだけ同じ時間を過ごしたとしても病気にはならないんだ。そしてこの病気になると体中に斑点が浮き上がり、そして2週間もしないうちに動けなくなってしまう」

「『死』ですか?」

「いや。病気が原因で死んでしまうわけでは無いんだよ。だからキミに僕の目を渡そう。それで真実を見て欲しい」

 病気になり動けなくなるけど『死』ではない?

 先輩の言っていることがよくわからないまま考え込んでいると、先輩はサッと僕の右目をくり抜いてその開いた場所に先輩から取り出した右目を押し込んだ。

「先輩何を?右目を交換しても何も変わりませんけど?」

「すぐにわかるよ。じゃあ。またね」

 そう言うと先輩は立ち上がり、僕に背を向けたまま手をひらひらとさせて建物の中へと帰って行ってしまった。


 先輩と交換した右目に映る景色は今までと何も変わらない。先輩は何を思って目を交換したんだろう。

 さっきまで美しい茜色をしていた今は真っ黒な空を僕は一人、ベンチに腰かけたままぼんやりと見上げた。

 次の日、コントロールルームに先輩たちは現れず、新しいオペレータが4名追加された。僕は先輩がしてくれたようにサポート席へと移ると新しく入ったメンバーのサポートを行う。

 彼は手際よくコンソール画面で打ち込みを完了し、手元にあるカバーを持ち上げるとカチッと手ごたえを感じるまでボタンを押した。

「夕立『システム1』完了です」

 ヘッドセット越しに4人の報告が聞こえる。僕はその声を聞きながら、メインの大型ディスプレイへと視線を上げた。

 昨日先輩に交換された僕の右目。
 あの時から見え方の変化など無かったのに、今、僕の目に見えているディスプレイに映されている世界は明らかに昨日まで僕が見ていた物とは違うものだった。

 あれは……。

 いつもピンが映されている場所には全身が赤黒い斑点で覆われた、明らかに病人だと思われる人間が横になっていた。

 誰にもバレないように右目の視力を落とすと、いつもと同じようにピンが指し示す今日の夕立ポイント。次に右目を復帰させ左目の視力を落とすと、そこには赤黒い斑点で覆われた人間が横たわっている。

 
 まさかあれが『ピン』……?

 それにグロテスクな人間の横で一生懸命介抱しているのは……”友”?
 そうだ。僕たちアンドロイドが同胞である”友”を見間違えるはずがない。あれは間違いなく僕たちの”友”だ。

 ”友”は病気になった人間を介抱するために外の世界にいる?
 いや、違う。先輩の話を思い出せ。

 先輩は”友”はターゲットを病気にする為に存在していると言った。ということは、”友”がターゲットを病気にするのは『ピン』を作るために?そのためにターゲットを追い求めるっていうこと?

 頭の中が混乱し、何が何だか分からない。

 そして何の結論も出ないうちに、いつの間にかディスプレイに表示されているカウントは”0”になっていた。


 大型ディスプレイを見上げる僕の目に、いつもと同じ『夕立』の様子が映し出される。

 雲一つ無かったはずの画面に土砂降りの雨が降り始め、そしてすぐに雨は上がり元の雲一つない晴れた空が広がっていく。

 ついさっきまで確かにそこにあったはずの廃墟は跡形もなく消えた。

 ピンであるあの人間も、彼女を介抱していた”友”も一緒に。


 『夕立』の雨は人間には無害なはずだ。
 だとすると、病気が進行してしまうと『夕立』には人間として認識されない?僕の目の前で消えてしまったあの『病人ピン』は既に人間では無い?

 それに"友"は『夕立』を誘導し、『夕立』によって消滅するためだけに生み出された存在?

 一体どういうことだろう。


「……すごい」

 すぐ隣にいる新入りの声が遥か遠くの方からのモノのように聞こえた。
 彼にはかつて僕が見たのと同じ、あの感動的な夕立風景が見えていたのだろう。だが、僕は消えてしまった廃墟と人間、そして”友”が見えてしまった。

 先輩はこんなものを見続けていたのか。
 そして先輩はどうして僕にこんなものを見せようと思ったのか。

 答えなど出ないまま、僕はその日の業務を終えた。

 それから何度も夕立が降るのを見続けた。

 『夕立』は廃墟や廃工場、汚染地帯を浄化し、人が住めない場所を綺麗な素晴らしい土地へと生まれ変わらせる。
 今までそう信じ込んでいたし、そんな景色しか見たことがなかった。

 しかし先輩の右目を通して見る世界はそんなものでは無かった。

 そこにはいつも赤黒い斑点で全身を覆われた人間と、それに寄り添う”友”がいた。


 "友"とは消滅するためだけに生み出された存在。

 いくらアンドロイドとはいえ、殺すためだけに生み出すなんてことは倫理的に許されない。だから『オペレータになれなかったものが”友”となり、システムの機密性保持の為に外に出される』という名目で大量に生産されているのだろう。

 そして『夕立』は廃墟や廃工場、汚染地帯だけでなく、人間がたくさん集まっている場所や、まだ稼働している施設の上にも容赦なく降り注ぐ。

 初めてその場面を見たとき、僕は目の前の映像がとてもじゃないけど信じられなかった。
 だってその場所にいた『人間』たちには夕立の雨が影響を及ぼすことなど無いはずなのに、棄てられた場所と同じように容赦なく夕立で浄化され消えていったのだから。


”『夕立』は人類の負の遺産を浄化するためのシステムです。撤去するのが難しい建物群や有害物質を排出している場所。そのような場所を浄化し、新たに人類が生活するためにクリーンな土地を提供します。『夕立』が降る前には生命体が存在するか自動的にチェックが行われ、万が一人間がその場にいても『夕立』は人体に影響はありません。”

 僕の知識の中の『夕立』はこうだ。

 しかし『夕立』は何度もピンや友、そしてたくさんの数えきれない人間達を消滅させ続けていった。

 夕立システムは世界を救うもの。オペレータは救世主。
 それは本当に?
 同胞や人間を殺し続ける”夕立アレ"は、世界を本当に救っているのだろうか。

 角度を変えて見れば、僕たちは人類の救世主どころか人類の敵。

 選ばれしモノであるはずの僕が人類の敵……

 『夕立』は存在してはいけないシステムなのではないかという疑問が、いつしか僕の頭の中に浮かんでは消えて行くようになった。

「夕立『システム1』完了です」

 いつものようにヘッドセット越しに聞こえる声で、今日も『夕立』は稼働する。サポート席から大型ディスプレイに目を向けると、画面の端では見慣れたカウントダウンが始まった。

『59・58・57……』
 あれはまさか……。

 そこに映っているものが信じられず、僕は画面を食い入るように見つめた。

『45・44・43……』
 先輩?そうだ。『ピン』である女性を抱きしめているのは間違いなく先輩だ。

『32・31・30……』
 今まで見た”友”たちと同じような、とてつもなく愛おしいものを見る眼差し。そして終わりを迎える直前の彼女を見守る寂しく死ぬほどツラそうな顔をした先輩。

『20・19・18……』
 その顔を見た僕は『夕立』が存在してはいけないシステムだと考えていたことなんて、一瞬にしてどこかへ吹き飛んでしまった。

『9・8・7……』
 ああ、先輩。今どんな気持ちですか?
 人間と同じように”生きている”と感じますか?
 その制御できないほどの衝動を。

 僕も感じてみたい。

『3・2・1』

 カウントがそろそろ終わろうかというその時。先輩からは見えていないはずなのに、なぜか先輩の目が僕を真っ直ぐに射貫いた。
 そして決して聞こえない、届かないにもかかわらず先輩は僕に向かって確かにこう叫んだのだ。

”こ ろ さ な い で く れ” と。

 その言葉が終わると同時にカウントは無常にも”0”へと変わる。

 そしていつものように大型ディスプレイには、雲一つなかったはずの場所に土砂降りの雨が降り始め、すぐに元の雲一つない晴れた空へと戻る様子が当たり前のように映されていた。

 先輩のいた街も

 家も

 彼女も

 先輩も

 全てが跡形もなく消えてしまった。

 先輩が他の”友”とは違い、最後まで『夕立』のことを覚えていたのは、”友”となる時に体内にあった異物交換した僕の右目が原因で、全て上書きすることが出来なかったからなのだろう。

 しかし、先輩も他の”友”と同じように確かにターゲット彼女に心酔していた。
 そしてその先輩が最後に残した言葉は『殺さないでくれ』。

 あれは彼女を殺さないでくれという気持ちだったのか。自分が死にたくないという気持ちだったのか。それともこれ以上『救世主』と自ら名乗りながら人間や同胞を殺し続けることをやめてくれということだったのか。それは僕にはわからない。

 でも今まで消えて行った”友”たちも、死にたくないと最期の瞬間には心の中でさけんでいたのかもしれない。

 先輩が僕にこの真実を見せたのは、やっぱり僕にこのシステムを止めて欲しいと願ったからなのだろう。

 その考えには賛成だ。

 しかし、僕は”友”たちを見続けているうちに。
 そして今日の先輩を見たことで、体験したことのない感情を感じてみたい気持ちが抑えきれなくなってしまった。


 僕が”友”になる日もそう遠くはないだろう。


 その日までに、この”右目”を継承する同胞を探さなくては……

<終>


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