ミライノカイゴ
「おとうさん、おはようございます」
朝8時になると嫁の美津子が耳元で声をかけて起こしてくれる。私が寝た切り生活になってもう何年になるだろう。自分では動けない私の身の周りのことを、美津子は自分の体もしんどいだろうに、文句ひとつ言わずにやってくれている。本当に感謝の気持ちしかない。
「あぁ、おはよう。いつも悪いね」
いつもの通り挨拶を返すと美津子がカーテンを開けてくれたようで、視界が一気に明るくなった。
私は寝た切り生活になる前の入院生活中に視力が著しく低下してしまい、明るさと人の影を認識するくらいの視力しか持ち合わせていない。なので、朝一気に明るくなるのは「多分カーテンを開けてくれたのだろう」と推測しているだけなので、もしかすると自分の知らない物凄く明るい照明器具が点いただけなのかもしれない。そんなことを疑ったからといって、何が変わるわけでもないのだけど。
「おとうさん、体調はどうですか?」
美津子が手袋をはめた手で私の頭をなでながら、いつものように体調の確認をしてくれる。
「あぁ、いつも通りだよ。ありがとうね」
昔は介護といえば下の世話がメインの重労働であったが、今は下半身を覆う機械を付けることで、自動で吸引、洗浄、乾燥までしてくれる装置が一般的になっている。
トイレに行けない寝たきり生活になると、おむつを替えるのもかなり大変な作業になり、こちらとしても何度も呼んでおむつを変えてもらうのが心苦しい。だからと言って我慢していると蒸れからくるかぶれが出来てしまい、自分の不快さだけでなく、おむつ交換の頻度も上がり、薬を塗るという面倒な作業を増やしてしまうことにもなってしまう。気遣いが仇にならないようにするのがとても難しい。
その点、この装置を付けてしまえばそういった問題がすべて解決され、介護者にとっても被介護者にとってもストレスが無くなる。いい時代になったもんだ。私は排泄をするたびに、この装置のありがたみを感じる。
「おとうさん、きょうはおかゆですよ」
体温チェックが終わると美津子は朝ごはんを食べさせてくれる。昔のように「ふーふー」と熱いものを冷ましている音は聞こえないけど、いつもぬるめの食べやすい温度の食べ物を口へと運んでくれる。美津子には本当に感謝の気持ちしかない。
「あーん。はい、口をあけてくださいねー」
美津子に言われるがまま私は口を開け、おかゆを口の中へと入れてもらうと、もぐもぐと歯のない口で咀嚼する。
訪問介護の看護師さんに栄養の点滴を入れてもらっているので、私がご飯を食べるのは朝のこの1回だけ。本当はご飯を食べなくても全然大丈夫なだけの栄養を入れてもらっているのだが、私は食べることが昔から大好きだったので、朝ごはんだけ無理を言ってこうやっておかゆを作って食べさせてもらっている。
美津子に負担をかけてしまっているのは重々承知しているが、美津子も私が昔から食べることが大好きなことを知っているので「朝のおかゆくらいだったら負担になんかなりませんよ」と言ってくれた。本当は負担に思っているのかもしれない。でも、私は美津子の優しさに甘えている。
「美津子が負担だと思ったらすぐに言ってくれ。それまでは甘えてもいいかな?」と確認を取ることで、自分に対して「美津子がまだ負担だと思っていない」という免罪符を手に入れながら。我ながら卑怯だとは思う。
でも、自分の口で食べられる間は、私は何かを食べていたい。舌で食べ物の感触、味を確かめていたい。それだけが「生きている」ことを確認できる作業だと言っても過言ではない。
「おとうさん、私は向こうの部屋にいますからね。何かあったらすぐに呼んでくださいね」
ご飯が終わると、美津子は私の掛け布団の乱れている部分を直し、ラジオを小さめの音でつけるとそう言った。
「わかった。何かあったらすぐに声をかけるね。美津子もゆっくり休んで」
私はラジオの声に耳を傾ける。美津子と会話するのは朝のこの時間と、夜就寝前の時間。それ以外は美津子も大変だろうと、私も隣の部屋でくつろいでいる美津子を呼ぶことはしない。ラジオは見えなくても楽しめるし、ヘルパーさんや看護師さんなどの訪問もあるので、私には1日のうち「退屈だ」と感じる時間はそれほどない。たくさんの人に助けられて私は生きている。
人生の終わりの時間をこうやって過ごせるなんて、私はなんて幸せなんだろう。ウトウトしながら私は毎日、幸せな気持ちでお迎えが来るその日をのんびりと待っている。
‐‐‐
「美津子さん、旦那さんのお世話、終わりましたかー?」
「終わりましたよ」
ヘルパーさんにそう答えると、私のヘッドセットは取り外され、代わりにイヤホンを装着される。
私は寝た切り生活になる前の入院生活中に視力が著しく低下してしまい、普段は明るさと人の影を認識するくらいの視力しか持ち合わせていない。しかし、このヘッドセットを付けている間は、おとうさんの顔が見えるし、おとうさんの介護だってできる。
ヘッドセットの中に見えているボタンを視線で操作するだけで、おとうさんのベッドの周りを取り囲むように沢山設置してある、多種多様なアームを自由自在に動かすことが可能だ。それを使うことで、おとうさんの頭に手を添えてなでることも、用意してもらっているご飯を口に運ぶことだってできてしまう。文明の利器とは凄いものだ。
私たちには子供がおらず、ちょっとした理由があって私はおとうさんの介護をするきっかけがあった事で、施設の中で自分がどういった状況下で管理されているかを理解しているが、そういったきっかけが無かった人たちはみんな、自分の家でたくさんの人の助けをかりながら生活していると思っているに違いない。寝たきりになる直前の入院で視力が大幅に下がるのも仕組まれている事だとも気付いていないだろう。
おとうさんだって自分の家で私が介護していると思っているはずだ。おとうさんにとってその方が幸せだと思うので、あえて私はおとうさんに教えたりはしない。
イヤホンからおとうさんの鼻歌が聞こえてきた。
人生の終わりの時間をこうやって過ごせるなんて、私は多分幸せなんだろう。オンラインで誰かに24時間監視され、誰かが遠隔で操作するたくさんの機械により、介護されながらも苦痛をひとつも感じることなく生きている。ウトウトしながら私は毎日、少しだけ複雑な気持ちの混ざった幸せな気持ちでお迎えが来るその日をのんびりと待っている。
この「老人施設」と呼ばれ、すべてが機械により管理されている巨大高層ビルの一室。数千万床の中の1床で。
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