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うちのお天気屋さん

 午前7時
 台所で朝食の準備をしていると、なんだか雲行きが怪しくなってきた。

 さっきまでキラキラと眩しいくらいに輝きを放っていた机や椅子たちも、もやもやとした薄い雲が部屋全体を覆っていくにしたがい、どんよりとした空気の層を貼り付けられていくように輝きが失われていく。そして天井から少しずつ湧き出してきた雲は、時間と共に黒く分厚い雲の層へと変化していった。

「おはよう」
 不機嫌そうな顔でリビングに入ってきた彼は、私の方をチラリとも見ずに朝の挨拶を口にすると、定位置であるリビングのソファーへと向かう。

 彼は私の息子。
 そして先天性の「お天気屋さん」だ。

 先天性と言っても、赤ん坊や幼児の頃は、ほぼ全員がお天気屋さんなのだけど。そんなお天気屋さんたちの中でも、我が家の息子は昔から少し毛色の違うお天気屋さんだった。

 赤ん坊の彼が感情をコロコロと変える度に、彼の周り(必然的に私の周りにもなるのだけど)の空気の質が変わったように感じたのが始まりだった。
 「質」。もっと詳しく言うなら「湿度」。彼が笑うとカラリと乾燥した心地よい空気に触れられているような。機嫌が悪いと髪の毛のクセが強く出てしまうような。そんな「気のせい」で片付けられる程度のうちはまだよかった。

 彼が大きくなるにつれて彼の感情が周りに及ぼす影響は、どんどんと大きくなる。言葉を理解しはじめた頃から、彼が泣くと周囲には雨が降るように。彼が起こると強い風が吹くように。もう「気のせい」ではなく、実際に影響が出てきている。このまま放っておけば、この先困ったことになってしまうことは明らかだ。

 彼の感情に振り回される周りはもちろんのこと、彼自身にとっても(研究施設などに収容されてしまうなどの)望まないような大きな困難が待ち構えることになるだろう。

 そこで私は小さな彼を幼稚園に預けることはせず、義務教育までは手元で育てて周囲への影響が最小限になるように家庭学習をすることにした。

 主に教えるのは「感情の抑え方」

 感情があるのは悪い事ではない。しかし、思う事・考えることと周りに出すことは別問題である。ましてや、彼の大きな感情の爆発は周囲にくっきりとした爪痕を残してしまうので、普通の人以上に外に出さないようにする必要がある。
 私は彼がはっきりとこちらの言う事を理解しているとは思えない頃から、繰り返し繰り返し何度も呪文を唱えるように彼に向かって話し続けた。

「悲しいね。その気持ちを少し離れたところに移動させて、遠くから見てみたらどんなふうに見えるかな?」
「嬉しいね。嬉しい自分の気持ちを言葉にするとしたら、どんな言葉になるかな?」
「悔しいね。その怒っている気持ちを遠くの遠くの見えない場所まで投げ飛ばしてみようか」

 その結果、小学校へ上がる頃には彼も感情との距離の置き方をかなりマスターして、教室やよそのお宅で雨を降らせたりという怪奇現象のような室内の天気変化などは起こさないようになっていた。
 でも、遠足などの彼が好ましいと感じる行事の日は物凄くいいお天気で、マラソン大会など彼が好ましくないと感じる行事の日にはじっとりとした雨が降っていたけど。まあ室内のお天気までは影響が出ていなかったし、これくらいは仕方のない事だと私も何も考えないようにした。


 とはいえ、私には感情と彼との距離が、お天気と彼との距離だということははじめからわかっていた。彼の感情が彼に近ければ近いほど、天気の変化が起こる範囲も彼から近くなる。
 今のように、室内の天気にまで変化が出ていると言う事は、彼の不穏な気持ちは彼にぴったりと張り付いているということだ。

 最近、彼は思春期なのか、家の中で不穏な天気を作り出すことが多くなってきた。夕方、疲れて気分が悪いのも、朝、目覚が冷めた瞬間からだるくて気分が悪いというのも理解できる。
 
 しかし、今日のこの天気はなんだ!

 どんよりしているだけでなく、私に対してムカついているのか、私に向かって雷とまでは行かない大きさのパチパチとした静電気のような放電を放ってきている。それに竜巻の様な空気の渦を私のすぐそばで作り出しているので埃が巻き上がり、ホコリアレルギーの私はくしゃみが止まらなくなってしまった。

「暖かいものでも飲んで気分変えたら?」
「感情が近すぎるよ?」
「客観視してみなよ」

 なるべく波風を立てないよう、キツイ口調で叱責したい気持ちをぐっと押し殺しながら言葉をかけてみる。

 すべてスルー

「ちょっと、今日のコレはひどいんじゃない?」

 イライラした気持ちを少しだけ乗せて彼に問いかけると、放電も竜巻も少し成長して大きくなった。

「そろそろいい加減にしなよ?」

 ぐっとこらえながら、私はフライパンを右手に構えた。しかし、彼は感情を手放そうとはしない。ますますひどくなる竜巻と放電に私は我慢が出来なくなる。もう限界だ。

「いい加減にしろ!」

 そう叫ぶのと同時に、彼の頭の上に大きな雷が落ちた。

 雷の直撃を受け、漫画やアニメのように頭やボロボロになった服からぷすぷすと黒い煙を上げた彼は、無言でお風呂場へと消えていく。
 今頃、浴室で悔し涙の雨を降らせながらシャワーを浴びているに違いない。

 ざまあみろだ。


 「お天気屋さん」は遺伝する。
 普段この社会で生活していて出会ったことは無いけれど、私の育った、親族しかいないあの町ではみんながお天気屋さんだった。昔は「雨ごい」などの儀式を行える神聖な一族としてあがめられていたそうだが、今は村にいるみんなも、村を出た私のような人間も、皆ひっそりと身を隠しながら生きている。


 あんな目にあうのは もうごめんだ


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