見出し画像

方方(Fang Fang)さんの武漢日記に触発されて :12月16日

「自分を守ることが協力になる」という方方さんの言葉を噛み締めながら、自身や周囲が具体的な行動変容ができているかどうか、を改めて考えている。

 今日は、連れ合いと共に Photo Wedding というものの見学をした。次男が5月に結婚したのだが、時節柄結婚式もなく、親としては何かけじめのつかないような気持ちでいた。本人たちも、何もしなくても写真だけは撮ろう、ということになったのだろう。本人たちは着付け含めて半日がかりの大イベントだったが、当方は見ているだけの楽しい時間だった。今年はそのようなニーズが多いようで、写真館は忙しいらしい。お陰様で、やっと区切りのついたような、ホッとした気分になった。

 その写真館で聞いたのが、大企業などでは社員が結婚式や忘年会のような多人数の集まる場に参加することそのものを禁じている、ということである。その気持ちは分からないでもない。確率論からすれば、大勢が集まれば感染リスクは増える、とは言える。しかし、感染を直接誘発するのは、対面での会話とか飲食にあるのであり、集まること自体ではない。大声での会話や飲食を自制すればリスクは抑えられるはずであり、それ以前の”集まること”そのものを企業が社員のプライベート行動に対しても抑制指示をするというのには違和感も感じた。安全サイドに倒す施策としては理解はできるが、そのために「何が良くて何が悪いか」を個々人が自分の頭で考えなくなるのではないだろうか? 

 危険なので子供にはマッチやナイフは触らせない、ことにしてしまうと、マッチやナイフを安全に使うやりかたを子供は覚えることができない。一生誰かがコントロールしてくれれば良いのだろうが、いずれは自分でリスクに対処するときがやってくる。最初は転んで怪我をしても、そのうちうまく自転車に乗れるようになるのと同じだ。こう言うと、マッチや自転車とコロナウイルスとは危険度が異なる、というお叱りを得るかもしれない。しかし、自分の頭でどうすれば自分を守れるか、を考えて行動すれば、冒頭の方方氏の言葉のように、それが結果として社会に(他者に)協力することになるはずである。自分の頭で考えて対処することをせずに、単に指示者の言うことに従い、指示者に責任を転嫁するような、幼稚な人間であってはならないと思う。

 昨日GoToTravelが全国で一時停止となった。それまでのマスコミ・野党は、GoToを続けることはアクセルとブレーキを同時に踏むことだ、という非難一色だったが、停止した後は一転してどのマスコミ・野党も、GoToの一時中止により飲食店や旅行業界が困っている、というメッセージ一色となる。他者を批判することが自己目的化している典型例だ。こんな工夫をして対処している人がいる、という成功例の知恵を共有して成功者を増やすことこそ、難局時のメディアの役割だろう。

 マスク・手洗いの基本を守る。規則正しい生活を維持し、不要不急の外出を避ける。十分な睡眠をとる。自分が遂行している「自分を守る行動」はこれくらいしかないが、社会に協力し、迷惑をかけないことだけは心がけたい。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?