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方方(Fang Fang)さんの武漢日記に触発されて :12月14日

 NHKによれば、12月8日が ”武漢で最初に確認された新型コロナウイルスの感染者が発症したとされる日” から1年だそうだ。自分は特段仕事もしていないので、この1年間の社会変化が個人の生活へ与えた影響もさほど大きくはなく、幸いにして知人や近親者が感染したということも今の所ない。それでも日常への影響はあり、根拠を示さずに感情的に危機感を煽るTVや新聞メディアを避けながら、自分の判断で信頼できると思われる方々の意見に耳を傾けつつ生活を見直す1年だった。

書くことの意味

 遅ればせながら、方方さんの「武漢日記」を読み始めた。都市封鎖という極端な状況下で冷静に記録をつけ続けた作家の精神力に感動を覚えつつ、書くことの意味を改めて考えた。なぜなら、ノイズフィルタをかけているつもりでいても、なお自分自身が多くの大小の声に影響を受けて揺れているからである。

日頃見ているSNSの中には様々な意見がある。
・小出しの対策よりも、強力な規制を一時導入して封じ込めを狙うほうが効果的であると主張する人々
・感染拡大防止と経済の両立を志向する人々
・医療崩壊が近づくと警鐘を鳴らし、何らかの対策を求める人々  等々
どれもが一理あると感じる一方で、どれも何処かに納得出来ない点がある。なぜなら、たとえ他国で有効だったとしても、制度・文化の異なる環境で同じ手法が有効とは限らないから。また、ウイルス発生源も治療法も、いまだ科学的根拠が不確かであるため、どのような対策も対処療法でしかないからだ。

 できることはなんでもやってみるべきだ、という声も理解するが、既に政府の追加経済対策事業規模は73.6兆円。毎年約100兆円の一般予算のうち30%は国債発行で賄っている現状を見ると、その2年分以上の借金がコロナのためだけに積み上がったことになる。何処まで歳出が増えるのか、何処まで次世代に借金を残すのだろうか?

 感染症の知識があるわけでもなく、社会の一員としても極めて狭い世界に生きるだけだが、自分が見聞きしたこと、それをどのように捉えるか、を同時並行で記録しておくことは意味があると、武漢日記を読みながら考え始めた。それは、発信とか記録という意味よりも、書くことを通して答えの見えない問題を考えることだ、と思うからである。なので、自分のために、毎日書きながら考えることにする。

新規感染者数のグラフはどの国も似たようなもの

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 上記はYahooのまとめサイトからコピーした国内の発生状況のグラフである。ここ数日GoToが非難の的になり、先程東京都が一時停止を発表した。第3波の急増と何らかの因果関係があるかもしれないという懸念が、政府非難となってマスコミで喧伝されたからであろう。しかし、ジョンズ・ホプキンス大学が提供するダッシュボードを見ると、アメリカやヨーロッパの多くの国で10月頃から上昇傾向のカーブを見ることが出来る。国毎に規制の政策も異なるし、国民がどれだけ規制に従うか、もバラバラだろう。無論、縦軸の数字は国ごとに桁で異なるが、似たような傾向が見て取れるということは、少なくとも新規感染者については、各国の政策や規制が意味のある影響を与えていないことを示すのではないだろうか。乱暴かもしれないが、個人的には季節要因と捉えたほうが納得がゆく。

知恵を出し政府に全力で協力する武漢の人々

 方方氏のブログは、度々遮断されている。それは政府にとって都合の悪い内容の発信をしたからに他ならない。しかし、方方氏は”私達の敵は政府ではなくウイルスである。政府には全力で協力する”と度々述べている。都市封鎖の中にいる人にとって、協力しないという選択肢は無いが、でもなお、心からの本音の言葉だろう。人々は早期終息を願いつつ、自ら知恵を出して集団購買などの仕組みを作っている。極力外出しないで、新鮮な野菜を皆が入手できるような仕組みを自主的に作っているのだ。

 中国のような都市封鎖は全体主義国であるから出来るのであり、民主主義国家には出来ないという議論もある。それは其のとおりだろう。ただ、その枠組のなかで、自主的に集団購買の仕組みを作り、外出規制に従いながら生活を守るように知恵を出す中国の人々のたくましさは、共産主義/民主主義とは次元の異なる資質だ。

 朝晩の都内の地下鉄車内では、マスクなしで大声で話す人はほぼいない。人々が普通に心がける自主規制・協力が、国や自治体の目指す生活様式に合っている。ウイルスが敵だと思えば、同じレベルの心がけを、飲食時や旅行時にすれば良いだけのことだ。日本人にも中国人同様のたくましさと資質があることを信じたい。

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