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考えながら書く:12月25日

 武漢の真っ只中で冷静に状況を見つめ続けた方方さんに刺激され、12月14日から、第3波に振り回される日々に流れる雑多な情報を、どのように捉えて、其の中から雑音を排除して意味のあるものをスクリーニングし、日常の中でどのように心がけるべきか、を自分なりに考えてきた。まだ感染拡大の状況は続くが、コロナ以外にも書きたいことがでてきたので、今までの記事とはタイトルを別にして書き始めることにする。

出生数の減少にどう対処するのか?

 今朝の日経で報じられたニュースの一つが、出生数、21年に80万人割れも コロナで少子化想定超え である。2016年に100万人を割り込んでから、わずか5年後の21年には80万人を割ることになるようだ。経済成長や社会保障制度への影響から、様々な対策が議論され、
・子育て世代への経済的支援
・男性の育休取得促進
・保育園など安心して出産できる環境の整備
など、どれもが重要なものばかりであり、どれか一つで解決というものはなく、出来ることは全て取り組まねばならないのだろう。

 ただ、制度的なものは勿論だが、人々の意識についても考える必要があるのではないだろうか。そのように思ったきっかけを記録しておく。

子供を持つことを周囲が心から祝福するか?

 数年前に、知り合いの日本人女性がイスラエル人の男性と結婚し、テルアビブで男の子を出産した。彼女自身もユダヤ教に改宗し、ヘブライ語を学んでイスラエルの社会に溶け込んできた。テルアビブの彼らの家へ出産のお祝いに行ったときに、彼女が真っ先に話してくれたのが、”イスラエルの人々は知り合いだろうがなかろうか、親になったことをものすごく祝福してくれて、感激した。大学の友人に報告したら、「おめでとう、よかったね」とは言ってくれたが、イスラエルの人々に比べると結構素っ気ない感じだった。」というエピソードである。

 イスラエルの人々は、過去の歴史からユダヤ民族を維持することにとても重きを置いていて、3人の子供を持つことは当たりまえである。乳幼児を抱える親になれば、それなりに仕事への影響もでてくるだろうが、社会や祖父母が親になった若者を皆で支援することが当たり前になっている。母親も当然仕事は維持するし、維持できるように会社も周囲も協力するのである。昨年まで日本に駐在したイスラエルの外交官も女性であり、二人の子供と生後半年の幼児を抱えて着任した。母親としての負荷を微塵も感じさせない活躍だった。彼らの歴史的背景もあるが、イスラエル社会は子供を生むと周囲は心から祝福するし、若者達も親になることが当然と考えているようだ。また、不妊治療は全て国が費用を持つと言われている。彼らの民族的背景と、日本の社会を単純に比べることはできないが、このような、周囲が祝福する、という気持ちが日本では少し薄くなってきていないだろうか?

 あらゆる動物・植物は種の保存をDNAに組み込まれているはずだ。人間だけが自然の摂理に逆らう行動をしているのではないだろうか?子供は社会保障制度を維持するために生むものではない。功利的な考え方や政治的利害とは無関係に、『子供は社会の宝である』という認識が普遍的になり、其の結果、親を祝福し、周囲が支える、のが当たり前になる社会、となれば、もう少し自然に親になる決断をする若者も増えそうな気がする。仕事を取るか、親になることを取るか、というような二者択一の議論を不要とするには、制度的な改善も必要ではあるが、私達の意識改革も必要だろうと思う。生涯現役という議論もよいが、若者を支えるのがシニアの役割り、という議論も有って良い。


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