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祖母の思い出

ユースキンクリームを見かけて、買った。今は可愛いミッフィーの描かれたチューブで売っているのか、と実家の仏壇の隣に置かれた記憶の中のボトルと比べる。
手に塗ると、変わらないなんとも言えない香りと共に祖母のことを思い出す。
息子の手にも塗るが、無抵抗で受け入れる。
俺はこのベタベタした感じや匂いが嫌で、朝小学校に行く前に祖母から「ユースキン塗りなさい」と言われるのも鬱陶しく思っていた。
今ならそれが愛情だったとよくわかる。

俺の手にクリームを塗る白い手。
祖母はきちんとした人だった。家の中は整理整頓し、暇があれば庭の草むしりをしていた。
髪も多かったし、しゃべりもはっきりしていて、年齢より若く見える人だったと思う。
小学校低学年の頃、授業参観に来た後に「あれはお母さん?おばあちゃんなの!若いね」と友達に言われたと伝えたらとても喜んでいた。

ほうきの掃き方、カーテンとレースは束ねたあと留め具を少し下に引くと見栄えがいいこと、カタバミはすぐ増えるから見つけたら抜くこと。祖母から習ったことを挙げていけばきりがない。

味噌、梅干し、紫蘇ジュース。祖母が作った保存の効くものは大抵私の好物だった。
梅エキスは、異様に酸っぱくて得意ではなかったが、お腹が痛いと言うとスプーンの先に少し付けて「これを舐めておきなさい」と出された。舐めているうちにケロリと治るあの梅エキスは一体何だったのだろう。
母がいないときは昼食を作ってくれていた。
昔カレーという味の薄いカレー。ソースをかけるとちょうどいい。
炒めて醤油と砂糖で味付けしたネギだけを乗せたネギ丼。あれは美味しかったから今も自分で作る。

祖母が亡くなった。
その報せを聞いた時、ショックはあったが深い悲しみはなかった。
それは俺の結婚式で並んで歩いた時の嬉しそうな顔と、曾孫を見せた時に涙を流している姿を見られて、祖母への孝行ができたと心で理解したからだろう。

葬式に向かう新幹線の中で。
2022/12/7

レペゼン群馬、新井将司。世界一になる日まで走り続けます。支えてくださる皆さんに感謝。