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改めて自己紹介

私は東京生まれ。茨木、千葉に数年事に引越しし、小学校4年の時に父の会社が倒産、母方の祖母も脳卒中でなくなり、母の実家の近く、愛知県小牧市に移りました。小学校6年の時に父方の祖母、父と立て続けになくなり、母1人で私と妹を育ててくれました。 

母はそれから税理士の資格をとり、家を買い、自宅を事務所にしました。気がつけば母の手伝いをし、自分も会計事務所に就職。数年で結婚したのですが、突然全身の痛みで動けなくなり、ドクターの友人に相談しました。様々な検査を受けた上で、愛知から東京まで行き、29歳で線維筋痛症、慢性疲労症候群の診断を受けました。 

診断を受けたあと、愛知では見てくれる医師がおらず東京へ通院。家を新築で立てたところでしたが、通院が大変なので厚木に、ワンルームマンションを借りてもらい、友達に介護してもらい、1年後に三重に専門医が赴任するという情報を頂き、マンションを引き払い、自宅へ戻りました。

それから数年のうちに、新薬が認可され少しマシになったので仕事がしたいと就職。最初の会社はホテル業だったので、仕事がハード過ぎて1年で事務職に転職。最終的に会計事務所に勤めましたが頑張りすぎて病気が悪化。そのまま、身体障害者5級、障害年金を頂いて今があります。

長い間お世話になった専門医が今年の3月に年齢を理由に退任、今は岐阜の病院へ通っています。(愛知県内は重症過ぎて診察を断られました)

今思えば、仕事をしている間に何度も痛みで気絶しても、平気なメンタルになってました。今は療養生活を心穏やかに送れるようになりました。(1年半かかりました)

そうして今があります。でもまだやれることはあると思っていますし、働けなくとも家事を少しづつでもやって行きたい。猫が4にゃん、主人と暮らしています。

17年の療養生活の中で仕事に復帰したり、またドクターストップではたらけなくなったり、その中でも毎日何ができるか考えながら過ごしています。

赤裸々に書きましたが、ネガティブになる時も、ちゃんと朝は来ると信じています。線維筋痛症で痛いですし、慢性疲労症候群で普通の方より疲れやすい。

線維筋痛症について、悩んでいらっしゃる方、お話伺います。一緒に少しづつでも前向きに過ごしていきたい思います。

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