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妻が倒れた日

2024年5月15日の夕方、妻が痙攣を起こして倒れました。
5月31に退院し、現在は自宅療養中です。
突然の出来事は一体何だったのか?
主には自分の心の整理の為ですが、前触れなど参考になることがあるかも知れませんので、ここにまとめます。
※妻とは言え、病気に関わるプライベートな内容ですので、妻の了解を得た上で掲載します。

5月15日午前~午後 変わらぬ日常

この日妻は仕事が休みであった為、自身の歯のメンテナンスに歯科医に行きました。
歯科の終わりに合わせて、僕も近くまで出掛けて落ち合い、久しぶりにマクドナルドで昼ご飯を食べてからスーパーで買い物をし、二人で歩いて帰宅しました。
ここまで、いつもと全く変わらぬ日常でした。
帰宅して一休みした後、僕は庭の植木の手入れをする為に外に出ました。

5月15日夕方 異変

庭での作業が終わって家に入ると、妻が二階から下りてきたところでした。しかし、表情が変です。ぽやっとして、話し掛けてもしっかりした答えが返ってきません。何かを呟いているのですが、何を言っているのかが分かりません。僕はそれ程の長時間外にいた訳ではありませんから、昼寝で熟睡して目覚めたところと言うのも考え難く、「何かがおかしい」と感じました。
彼女は普段からこう言うふざけ方をする人ではありません。頭の中で強烈に「危険」を感じながら必死に話し掛け続けたのですが、数分後に妻は立って肘を上げた状態で硬直し、痙攣を始めました。首もそっぽを向き、小さく呻きながら眼も上を向いてしまっています。
正直に言えば、目の前で起こっていることに恐怖を感じ、まさか自分の妻にこんなことが起こる訳がないと、現実感を失いつつありました。
一方で「今何かできるのは自分しかいない」と無理矢理に正気を保ち続けました。
とにかくこのまま昏倒しては危険ですから、何とか姿勢を低くさせたところで、壁にもたれたまま横倒しになり、そのまま失神してしまいました。

5月15日夕方 救急搬送

すぐに119番通報をし、間もなく救急隊が駆け付けてくれました。救急搬送の間も間欠的に痙攣が起こり、救急隊員の方からかなり危険な状態である旨の説明を受けました。
みなと赤十字病院に搬送され、そのままICU入り。緊急処置が終わって呼ばれたICUでは、多くの管と検査器、人工呼吸器に繋がれた妻がベッドに寝かされていました。
救急医の説明では「痙攣が収まらず、その状態では脳にダメージを与える為に強い鎮静剤を入れている。しかしそうすると自発呼吸が弱まる為、人工呼吸器を使っている」とのことです。
搬送時の検査では、血糖値が800超(通常値100~150)、HbA1cが12(通常値5前後)、血圧が200超で、「医者であっても中々目にすることのない異常値」だと説明されました。幸いなことに、脳出血は見られませんでした。

5月15日~18日 ICU

妻はこのまま、丸二日間をICUで眠ったまま過ごすことになります。意識がなく、話し掛けても触れても反応をしない妻を見ると涙が流れました。
とにかく、あまりの異常値を示している血糖値と血圧を下げなくてはなりません。脳の検査も必要な状況とはいえ、優先順位を付けて対応しなくてはならないのはやむを得ないでしょう。しかし、血糖値の下がり方が急激過ぎると眼の血管が破れ失明の恐れがあるそうです。コントロールの難しい治療が必要でした。
17日に見舞いに行くと、人工呼吸器は外され、酸素マスクに変えられていました。
そして、うっすらと目を開けていました。
僕はベッドの脇で大泣きしました。
しかし、意識も記憶も不完全です。名前を聞くと旧姓を言い、「僕のこと分かる?」と聞くと首を傾げました。これは地味に(僕の)ダメージが大きかったです…
マスクの中で口を動かしているので、何を言っているのかと近付いて聞くと「車で来ましたよ」と繰り返していました(これは退院した今でも謎が解けていません)。

5月18日~21日 HCU

18日には記憶も戻り始め、僕のことも分かる様になり、ここでまた泣きました。泣いてばかりですね。
午後には監視レベルの低いHCUに移ることができました。
翌19日には「外が見たい」と言い出し、車いすに乗って看護師さんの補助で廊下の端まで行きました。みなとみらい方向の景色が良く見えましたが、本人はこのときのことは覚えていないそうです。まだ脳の活動が不安定だった為でしょう。

5月21日~31日 一般病室

点滴類も外れ、21日に一般病室に移ることができました。
しかし、やはり記憶はまだ不完全で、スマホを渡したものの「使い方が思い出せない」とのことです。
しかし、翌22日には電話を掛けてきました。些細なことが、泣く程嬉しかった。因みに用件は「テレビに使う長めのイヤホンが欲しい」でした(笑)
結局11日間一般病室で過ごした訳ですけれども、意識がはっきりし、記憶が戻るに連れて「何で自分はこんなところにいるんだ」という思いが強くなり、毎日毎日「家に帰りたい」と聞かされ続けることになります。
この間の27日に脳波と心電図、28日にMRIを受け、脳梗塞の痕跡が見付かります。
こうして、一体何が起こったのか一連の流れが分かることになりました。

あの日、何が起こったのか

これまでの文面から分かると思いますが、病状の根幹にあるのは「糖尿病」です。
しかし、30代の頃の健康診断ではその傾向は出ておらず、この10~15年の間に発症していたものと思われます。ただ、自覚症状もなかった為、この期間に知らず知らずの間に悪化していたのでしょう。
体調の異常を感じ始めたのは今年の2月以降で、就寝後のトイレが次第に増えてきました。併せて足を何かに引っ掛けて躓くことが多くなり、その際にできた傷の治りが妙に遅いな、と感じ始めました。
あまりの頻尿の為に泌尿器科に行ったのが5月14日、検査で即日分かるのは「糖が出ているっぽい」と言った程度でしたが、その翌日に倒れてしまった訳です。更に翌日に泌尿器科の院長先生から朝いちで「あまりにも検査結果がおかしいから糖尿病検査が必要だ」と電話を頂いたのですが、その時は既にICUの中でした。
最も状況を説明する流れは次の様なものです。

糖尿病による血糖値の異常な上昇
血圧の上昇(これについては明確な原因は分かっていません)

脳梗塞の発症と意識の混濁

側頭葉癲癇の発症と痙攣

卒倒

区分では「2型糖尿病=生活習慣病」になるのですけれども、生活習慣が原因ということについては、自分達二人とも納得がいっていません。
食材は野菜、肉、魚、茸、炭水化物と満遍なく使い、できるだけ夜の揚げ物は避ける、アルコールも日常的には「のどごし500ml」を二人で半分こ、間食は多くない、と言う具合に、かなり食生活には気を使っていました。
正直なところ、一体何が原因だったのか、全く分かりません。

振り返る「前兆」

「今更」ではあるのですが、思い返せばこれは前兆だったのだな、と言うことが幾つかありました。ここまでに書いたこともありますが、まとめてみます。

  • 足がつる…昨年辺りから、やたらと夜中に「足がつって目が覚めた」と言うことが多くなりました。今年に入ってからはほぼ毎夜で、幾ら仕事と通勤で足が疲れると言っても、異常に気付くべきでした。

  • 足を何かに引っ掛けて躓く…自分が足を上げたつもりでいても、上がり切っていないと言うことなのだと思います。階段を踏み外す、段差に引っ掛かって転ぶ、(僕が)転がっていると蹴飛ばされる、等です。

  • 傷の治りが遅い…上記で足を怪我した時に、妙に治るのに時間が掛かるなと感じました。

  • 頻尿…布団に入ってから1時間もしない内にトイレに起きる、夜の間に5回6回とトイレに起きる、と言うのはやはり異常だと感じたので、泌尿器科に行かせたのですが、判断が遅すぎた様です。

  • 水をやたらと飲む…血糖値が高いと、浸透圧の関係で細胞から水が吸い出されてしまうそうです。それを補う為に喉が渇き、やたらと水を飲む様になります。

今後

糖尿病ですから内分泌内科の治療は欠かせず、血糖値と血圧の測定、インスリン注射は必須となってしまいました。脳神経内科の服薬も併せて、幾つかの経口薬も処方されています。
とは言え、食事に関しての制限はあまり強くなく、食事指導で注意されたのは各食事での「食べる順番」です。血糖値の上昇を引き起こす炭水化物をいきなり食べることを避け、野菜などの副菜、肉や魚などの主菜、それから主食を食べる様にする、と言うものです。
また、できる限り生活リズムを規則正しくすることも重要の様です。
まだまだ試行錯誤で神経も体力も使い疲れている状況ですが、これからも二人で歩き続ける為に頑張ります。

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