悪魔の言葉たち

こんばんは、きらりんです。「誰でもやればできる」「上には上がいる」はできるを特技とできない魔の言葉と考えていることは、過去の投稿の通りです。今回はそれに派生して、もう1つ恐ろしい言葉について、書き残します。それは「いてもいなくても変わらない」という言葉。

ブラック企業等で人格否定をする言葉のひとつとして、「あなたの代わりはいくらでもいる」という発言がある。確かに、教育というコストをかけたり、その業務の経験者をヘッドハンティングしたりすれば、確かに代わりは存在する。しかし、世の中は需要と供給のバランスで成り立っている。そこに需要があるから、あなたはそこにいる。求められている作業量を今ある力で分担して進めるのが、集合体に属する人々の役割だ。

例えば、需要がない、居場所がないと感じると、どういう思考になるだろうか。よい捉え方ができれば、新しい場所へ移動するときだと考えることができる。物質的、精神的問わず、執着するといいことがない。ならば、自分が居心地の良い場所へいくのが、精神衛生上最適だと思われる。逆に悪い捉え方をするとどうなるだろうか。おそらく孤独になり、ネガティブのスパイラルに入っていく可能性が高いだろう。「私なんていなくても良い」「私はいてもいなくてもマクロ的思考での人間社会は変わらない」という考えに至ってしまう。心配してくれる人がいない場合は、居なくなっても気づいてくれない。これは最悪の事態も考えられる。

Twitterで以下のツイートが拡散されていた。

恋人に限らず、周りのサポートがなかったり、自己肯定感を上げるきっかけがなければ、メンタルはなかなか回復できない。また、自己肯定感低い人は嫌われやすく、負のスパイラルに入る。完全な私見だが、人間社会を生きていく上では、孤立が1番怖い。孤立以外にも、依存、偽善等怖いものは多々あるが、本筋から遠ざかっていくため、今回は割愛する。

世界人口は2020年で78億人程度。パイの取り合いや適正等、多少ふるいにかけられるとはいえ、あなたがそのしんどい場所にいる必要はない。視野が狭くなっていたり、縋りつかないといけない状況だったり、仕事の関係だったり、しんどい場所からすぐには、遠ざかれない場合もある。そういう時は、一人でも良い、気にかけてくれる人を頼って欲しい。その人を手放してしまうと、いよいよ自己肯定感を上昇させるきっかけがなくなってしまう。

「いてもいなくても周囲に与える影響はない」は自分自身を完全否定する悪魔の言葉である。この状態に陥った時は、正直手をつけられない。せめて、自分だけでも、精一杯生きる自分を褒めて欲しい。他人と比べる必要はない。自分が精一杯生きているだけでも充分すごいことだから。

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