手段と目的

気がついたら、水星が順行に転じました。しばらく全天体順行なので、生きやすい社会を願ってる今日この頃。こんばんは、きらりんです。
唐突にスピリチュアルな枕から話を始めたものの、本題は手段と目的を見誤らないことです。最近よく思うことなので、少しかいておきます。ふわっとしてますが、よければどうぞ。あえて要点を述べるとするならば、「目先の利益を追いすぎて、目的を忘れないことの重要だ」ということ。

お金を稼ぐ目的はなんだろうか?お金を稼ぐことは手段である。例えば、お金を稼いで、よりよい生活をする。趣味に費やす。お金を得る以外の別の目的を達成することを目指して、お金を稼ぐのが本来の姿だろう。しかし、お金を稼ぐことを目的にお金を稼ぐことは、手段と目的を逆転している。今一度お金を稼いで何をしたいのか思い出すのが必要であるかもしれない。明日への心配がお金を稼ぐモチベーションであったとしても、その心配がなくなるのがいつかと問うと困惑するだろう。金の亡者は金の奴隷とは言い当て妙だ。

手段と目的を逆転させないことは、お金に限った話ではない。どの世界でも共通して言えることである。写真を撮るためのカメラ、仕事をするためのパソコン、楽しむための趣味。手段と目的が逆転しにくいと思われるものが多いが、気づけば逆転することもあろう。特に、「手段として使用する道具をアップグレードすることに満足していないか」は耳が痛い話である。

手段と目的を違えることも、新たな目的を見つけることもその根底には何らかの選択があるだろう。選択した「道」はどこかに繋がっている。選択が正しいかどうかは誰にもわからない。どうしてそれを選んだのかを説明できることが、選択した自分と真摯に向き合う一つのきっかけでなかろうか。

実際の日常ではここまで考えて行動することは稀だ。目先の利益を追いすぎて、目的を忘れないことの重要性は肝に銘じておく。あの名探偵コナンで登場する赤井秀一も似たようなことを降谷零に言っていた。肝に銘じるべきことだろう。大事なことなので、何度でも言いますが、これは肝に銘じておきましょう。

目的と手段の関係をピラミッドのような形で表していることも多い。目的と手段の因果関係を反芻しているうちに、交わったり分岐したりすると線路の分岐が頭にふと浮かんだ。線路の分岐も場所によってはピラミッドのような形で複雑である。その例が、大和西大寺駅だ。たくさん並ぶ大和西大寺駅付近の写真を置いておきます。本筋とはほぼ関係ないが、この風景が幾何学的な模様に見えてきて、ずっと眺められる写真。

ではまた。

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