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占い師兼馬主・あらいちゅーの自己紹介

馬主で大家で占い師、大久保占い研究室の田中ことあらいちゅーです!

馬主と占い師と大家と経営者をやっているオッサンです。
大阪生まれの大阪育ちで、いまは新大久保に住んでいます。
Twitterは @araichuu でやっています。
恥多き人生で恐縮ですが、ちょっとだけ自分語りをさせてくださいね。

すべては徳川埋蔵金からはじまった

すべてのはじまりは中学生のときです。糸井重里さんがやっていた徳川埋蔵金の番組で「奇門遁甲」という中国占術が紹介されており、それで興味をもったのがきっかけです。

高校時代は体が弱く頻繁に入院しており、病室に占いの本を持ち込んではずっと読んでいました。看護師さんや見舞いに来てくれた人を占っていたら、なんとなく四柱推命の基礎がわかるようになっていました。

大学は大阪芸術大学に進学。ぶっちゃけ偏差値が低すぎて、他に行けるところがありませんでした。ここの入試は「松井とイチローの背番号を答えよ」とかそういう内容だったので、クイズ番組をずっと見ていたオタクな高校生の私には楽勝でした。

学生時代は夜のバイトで月40万稼いでいた

大学には入れたもののロクに勉強はせず(芸大生の大半はそうです)、バイトに明け暮れる毎日でした。

割の良いお色気系のバイトをいくつか掛け持ちしており、最盛期には月40万円近く稼いでいたのですが、お金は本とオーディオとゲームと航空券ですべて蒸発していました。あのころが一番豊かに暮らせていたと思います。

バイトのおかげで色々な人に会いました。ミナミのキャバレーで一緒に働いていた大阪のオッサンオバハン、芸能ビザで来日していたフィリピン人ダンサー軍団、店に踏み込んできた入管の役人、フィリピン人に入れあげてお金を渡し続ける日本の若いサラリーマン。同級生たちとは比べものにならないくらい、濃ゆい人たちと濃ゆい時間を過ごしていました。

また、当時は東京在住の女性と付き合っていたので、月の半分くらいはその子の家に転がり込んで、秋葉原に高円寺に神保町に新宿に、オタク三昧&サブカル三昧をぶっこいて遊びほうけていました。

まあ健康な大学生男子が女の家に転がり込んで、東京の街を夜な夜な遊びまわるわけです。毎日が怠惰でエキサイティング。そりゃ勉強なんかしてられませんわな~!

そんなわけで大学の勉強はさっぱりでしたが、ふしぎと占いの勉強は続けていました。上京するたびに神保町の原書房で、ワゴンセールになっている占いの本を片っ端から買い込んでいました。1000円の値札が貼られた透派中国占術の本がまだ自宅にいっぱいあります。

ちょっとだけ脱線しますが、当時はまだ透派が相当な勢力を保っており、そのせいで古本も大量に市場にありました。いまでは(当時の指導者たちが皆亡くなって)占い業界から忘れ去られ、功罪の罪のほうを取り上げられることのほうが多いのですが、個人的にはとても感謝しています。

男はやっぱり正社員と思ったが一週間で辞めた

大学卒業後は「アートも占いも飯の種にはならん。男はやっぱり正社員や!」と決意して一部上場の某アミューズメント企業に就職したのですが、新入社員研修で研修担当の社長室長と揉めに揉めて一週間で退職。その後半年間のフリーライターという名のニート生活を経て、ひょんなことから東京に出てきて、フリーランスのデザイナーをはじめました。

当時はクソ不景気とリストラブームと就職氷河期のど真ん中で「もうこれで俺の人生おしまいや。一生フリーターやわ」と暗澹たる思いでしたが、あのパワハラ室長のおかげでブラックきわまる会社を辞めることができ、思い切って上京して馬主にまでなれたので、今では感謝してもしきれません。いつか再会したら、きちんと月の見えない夜にお礼参りをしたいと思っています。

余談ですが、そのブラック企業の社長は私と同じ年に中央競馬の馬主資格を取得し、その後千葉のサラブレッドセールでバッタリ出くわすことになります(挨拶とかはしませんでしたが)。元従業員から同期への華麗なジョブチェンジ~!

新大久保で鮑黎明先生と出会った

上京して住み始めた街が新大久保です。はじめは中央線沿線に住もうと思っていたのですが、交通の便がよかったというのと、なんとなく雰囲気が大阪に似ていたので決めてしまいました。今でも住んでいますから、もうすぐ20年になっちゃいますね。

ありがたいことに、当時日本の中国占術界をリードしていた鮑黎明先生がすぐ近所にお住まいで、ニフティーサーブでお世話になっていた北斗柄先生にご縁をつないでいただくことができました。

鮑先生には本当に可愛がっていただいて、いろいろなところに連れて行ってもらい、いろいろな人を紹介してもらえました。

そのおかげで、若い頃から大石眞行先生や東海林秀樹先生、椎羅先生、黒門先生や林巨征先生など、当代一流の占術家のみなさんに親しくしていただけました。それが今に至るまで、とても大きな財産になっています。

大学院ふたつに進学して会社を設立する

デザイナーをやりながら鑑定の依頼も受けるという不思議な生活が20代終盤には軌道に乗り、「いつかは専業の占い師になろうかな」くらいのノリで生きていたのですが、さすがに「これだけで喰うていけるんやろうか」と将来のキャリアが心配になってきました。

キャリア形成と人脈づくりのためには学校だろうということで、まずデジタルハリウッド大学大学院でディレクションを学びました。その後、立教大学の大学院で経営管理学(MBA)を修め、ふたつめの修士号を獲得。創って売って管理できる三拍子揃ったおっさんになったところで、東日本大震災の直後に自分で小さな会社を作りました。

会社と言ってもほぼ私の個人企業で、デザイン業務から占いの仕事まで、なんでもここで受けています。初年度からよいクライアントにめぐまれ、いきなりの黒字決算となりました。この会社が今でも続いており、半分事業会社で、半分資産管理会社みたいな形になっています。

台湾の占い師に言われて不動産を購入

話が少し前後しますが、仕事が落ち着いてきた頃合いで、本場の占いを体験するべく台湾へと渡りました。

といっても向こうの占い師に知り合いなんかいません。鮑黎明先生にもらった台湾の占い雑誌に出ていた老師たちにメールでコンタクトを取り、鑑定と日本語通訳を手配してくれる老師を見つけました。それが私のブログに出てくる楊老師で、占験派という紫微斗数占いの最大流派で師範代をされている方でした。 

楊老師にも本当に可愛がっていただき、ことあるごとに鑑定をしていただいたり、2ケツとバイクで台北の夜の街を爆走したり、占験派の総帥である天乙上人老師を紹介していただいたりしました。

そして人生を変える一言をもらいます。

「いま、FXと株でだいぶヤラれてるんじゃないか? もうやめて、不動産を買いなさい」

当時、本当に数百万やられていたのでビックリしました。老師のアドバイスを受けて、まずは高利回りの海外リートを購入。それがうまくいったところで現金で新大久保のワンルームマンションを購入(当時は今の半値くらいの激安でした)。家賃収入を再投資に回して、順調に稼ぎが増えていきました。

そして馬主の道へ…!

そして気がついたら馬主資格を取れるだけの所得になっていました。2017年に地方競馬の馬主資格を取得、2018年に新馬を購入、2019年に初出走初勝利と、初年度から勝ち星をあげていっぱしの馬主となることができました。

馬主になるのは子供のころからの夢だったので、青年からおじさんになる大事なタイミングでそれが達成でき、今までの苦労は無駄じゃなかったなあ~と感動しました。

馬主業がトントン拍子にうまくいった背景には、もちろん占いが大きく関わっています。このあたりは、SPA!の連載でご覧くださいね。

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あちらは初心者向けの内容ですが、占いと馬とお金の話なんかを書いています。

オープンな占い鑑定をボチボチ再開します

このところ占いの仕事はコンテンツの制作やディレクションがメインで、鑑定は自分のサイトから細々と受けていたのですが、依頼が多くなりすぎて、あるときから鑑定料金を倍に値上げしました。

ところがそれでもまだ依頼がくるので、さすがに会社経営との両立がしんどくなり、現在はオープンな鑑定依頼の受付はお休みして、友人知人のご紹介がある方だけ占っています。

が、会社の方が2020年からだいぶ暇になるので、年の後半あたりにでもオープンな鑑定を再開しようと思います。その際は、ご興味があればお声がけくださいね。ご案内その他は私のサイト「大久保占い研究室」にて行う予定です。

2020年はコミュニティースペースを作りたい

最後に2020年の目標ですが、ちょっとした勉強会やYouTubeの収録に使える、宿泊機能とスタジオ機能のついたコミュニティースペースを作りたいと思っています。

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リフォームが難しくてシコりまくっている江戸川区駅徒歩6分の平屋戸建てと、ぜんぜん使っていない蓼科の山小屋を使う予定です。こちらも近日中にご紹介のエントリーを書きますから、ぜひ機会があれば利用してくださいね~。

(このプロフィールと近況報告は適当に加筆していきます)

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