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【虹の苔寺】京都・東福寺塔頭・光明院(こうみょういん)「吉野窓」で『好色一代男』のモデルを知る

作庭家の重森三玲が東福寺の方丈庭園と同じ時期に作庭、三尊石が3つある珍しい枯山水庭園である「波心庭(波心の庭)」のある、京都・東福寺塔頭(たっちゅう)の光明院(こうみょういん)。

サムネにもありますが「吉野窓」と呼ばれる丸窓があります。
この「吉野窓」、なぜその名前なのかすこしクグってみました。

外から見ると丸(円)ですが、部屋の中から見ると下側が欠けた窓を「吉野窓」と呼び、町家や茶室に使われています。仏教で円は完璧なもの。芸事に完成はないとして、吉野太夫が好んだことからこの呼び名がついたそうです。

https://intojapanwaraku.com/culture/93484/

(光明院の「吉野窓」は部屋の中からみてもかけていなかった気がしましたが…)さらにこちらの引用元のコラムを読んでいくと、吉野太夫を見受けしたのが、あの井原西鶴の『好色一代男』のになったとも言われる京都の豪商・灰屋紹益(はいやじょうえき)だということを知りました。

裏千家には、13代宗室圓能斎が考案した「吉野棚」があります。灰屋紹益が寄進した「遺芳庵」(いほうあん)と「鬼瓦席」が1922年、京都高台寺に移築されました。その折の献茶式の記念として、遺芳庵にある吉野窓から意匠された棚であり、今でもよく使われています。

https://intojapanwaraku.com/culture/93484

光明院にはこんな障子の丸窓もあります。こちらの方が「悟りの窓」っぽいですが、人間らしいエピソード満載の「吉野窓」に心奪われた晩秋の1日でした。

こちらの記事もどうぞ>>
悟りの窓、迷いの窓。京都・東山 雲龍院
https://note.com/arai0903/n/n73fe65e653d6

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