原則1「盗人にも五分の理を認める」|人を動かす
原則1から直感的にわかりづらいけど、ライトに言うと
「どんな人の言い分も半分は正しいと認めよう。批判は何も生み出さないよ。」って感じです。笑
早速、いってみましょう。
誰だって、自分は正しいと思っている
本書ではこんな例が挙げられていました。
1931年、ニューヨークでの前代未聞の立てこもり事件の主役、凶悪殺人犯でピストルの名手、"二丁ピストルのクローレー"がついに捕まった。
彼は事件当初、田舎道に自動車を停めて、ガールフレンドを相手に、怪しげな行為にふけっていた。そこに、一人の警官が自動車に近づき、「免許証を見せたまえ」と声をかけた途端、クローレーはピストルを取り出し警官に乱射。警官が崩れ落ちると、相手のピストルをひったくった後にさらにもう一発を撃ち、とどめを刺して逃走し、その後大量虐殺を行った。
クローレーが電気椅子に座った時、彼はなんと言ったか。
「自分の身を守っただけのことで、こんな目にあわされるんだ!」
この話の要点は、
極悪人ですら自分が悪いとは思っていなかったのに、まして一般人は自分のことをどう思っているのか?
ってことです。
自分を正しいと思っている人に対してそれを諭すのは、かなりの労力が必要ですよね。誰でも思い出せる経験が一つはあるのではないでしょうか?
そもそも、批判するメリットがない
批判をすると、自分が正しいと思っている相手はだいたい怒ります。
これに対してカーネギーは、
批判が呼び起こす怒りは、従業員や家族・友人の意欲を削ぐだけで、批判の対象とした状態は少しも改善されない。
と批判することの無意味さを語っています。
さらに、
死ぬまで他人に恨まれたい方は、人を辛辣に批評してさえいればよろしい。その批評が当たっていればいるほど、効果はてきめんだ。
要するに、「死ぬまで恨まれるぞ!!」と脅してます。笑
さすがに死ぬまでかはわかりませんが、当面の間、相手の心に残ることになることは頷けますよね。これも、誰しもが、過去に誰かから批判された経験を今でも1つは思い出せるのではないでしょうか?
「小言を言うな!」と強要しているわけではない
カーネギーは、対立した時や自分に被害を被った時、他人や子供の失敗にイラっとした時に、ぐっとこらえてがまんしろ!と言っているわけではないです。
まず、アメリカ・ジャーナリズムの古典の一つといわれている『父は忘れる』という一文を読むことを進めています。
これ、ぜひリンクから読んでみてください。ちなみに私は最初読んだ時に感情移入して泣いてしまいました...;;
子供まだいませんが。笑
...いかがでしたか?結構感動しませんか?
自分だって相手だって誰だって、忘れてしまうこともある。だからこそ、批判や非難する代わりに、相手を理解するように努めよう、と書かれています。
最後に、この章で私が感銘を受けた一文を載せて終わりたいと思います。
「神様でさえ、人を裁くには、その人の死後までお待ちになる」
ーイギリスの偉大な文学者 ドクター・ジョンソンー
原則1:批判も避難もしない。苦情も言わない。
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