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忘れっぽい私(や誰か)のための短い読書 24

 幣原には忘れられぬ光景があった。終戦の日、家に帰る電車のなかで三十代くらいの威勢のいい男が他の乗客相手にわめいている。
 一たい君は、こうまで、日本が追いつめられたのを知っていたのか。……おれは政府の発表したものを熱心に読んだが、なぜこんな大きな戦争をしなければならなかったのか、ちっとも判らない。戦争は勝った勝ったで、敵をひどく叩きつけたとばかり思っていると、何だ、無条件降伏じゃないか。足も腰も立たぬほど負けたんじゃないか。おれたちは知らん間に戦争に引入れられて、知らん間に降参する。自分は目隠しをされて屠殺場に追込まれる牛のような目に逢わされたのである。怪しからんのはわれわれを騙し討ちにした当局の連中だ。(「外交五十年」)
 男はこう怒鳴ったかと思うと、しまいにはオイオイと泣き崩れた。他の乗客たちもみなそれに呼応するように、そうだそうだと騒ぎ出した。幣原は、この野に叫ぶ国民の意思をなんとしても実現しなくてはならないと確信した。

 「幣原喜重郎」 英語達人列伝より 斎藤兆史 著

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