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忘れっぽい私のための(適当な)短い読書 30

 どうも近頃身体がだるい。なんとなくだるい。身体の節々が痛んだりする。身体だけでなく、気分もうっとうしい。季節のせいかもしれないとも思う。
(中略)
胃が痛ければセンブリ、腸が悪ければゲンノショーコ、そんな具合にもっぱら漢方薬にたよっているが、漢方薬は効能が緩慢なせいか、まだはっきりした効果はあらわれないようだ。しかしこれらの漢方薬のにおいを私は近頃好きになってきた。あのにおいは私をしっとりと落着かせ、かつ心情を古風にさせる。私小説でも書きたいな、という気分を起させる。今書きつつあるこの文章も、漢方薬のにおいの影響が充分にあるようだ。
 そんなある日、年少の友人の秋山画伯が訪ねて来た。そして私の顔を見ていきなり言った。
「顔色があまり良くないじゃありませんか」
「うん。どうも身体がだるいんだ」
 そこで私は私の症状をくわしく説明した。その間秋山君は黙ってじろじろと私の顔を観察していた。
「漢方薬なんかじゃ全然ダメです!」私が説明し終わると、秋山君は断乎として宣言した。
「あんた近頃雨に濡れたことがあるでしょう」
「うん。そう言えば一箇月ばかり前、新宿で俄か雨にあって、濡れ鼠になったことがあるよ」
「そうでしょう。きっとそうだと思った」秋山君は腹立たしげに指をパチリと鳴らした。
「新宿なんかで濡れ鼠になるなんて、そんなバカな話がありますか。そんな時にはパチンコ屋に入るんですよ。そうすれば雨に濡れずにすむし、暇はつぶせるし、それに煙草が沢山稼げるしー」
「うん。でも僕はパチンコにあまり趣味を持たないもんだから」
秋山君は大へんなパチンコ好きで、そしてこの私をもパチンコ党に引き込もうとの魂胆で、ある日一台の古パチンコ台を私の家にえっさえっさとかつぎ込んできた。店仕舞のパチンコ屋から三百八十円で買って来たものだと言う。同好者を殖やそうというところは、パチンコもヒロポンに似ているようだ。私はそのパチンコ台を縁側に置き、一週間ばかり毎日ガチャンコガチャンコとやってみたが、一向に面白くない。秋山君の期待に反して、むしろパチンコに嫌悪を感じるようになったほどである。(略)私はおそるおそる言った。
「やっぱりあの時の雨に濡れて、潜在性の風邪でもひいたのかな」
「そうじゃありませんよ。そんな暢気なことを言ってる」秋山君はあわれみの表情で私を見た。「放射能ですよ」
「放射能?」
「ええ、そうですよ。ビキニの灰が雨に含まれて、それがあんたの身体にしみこんだんですよ」
「本当かい、それは」
 私は少々狼狽を感じてそう言った。

猫と蟻と犬 梅崎春生

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