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爆発とは?生きるとは? 岡本太郎の「アーティストトレース」イベントに参加しました。

いちおう学生時代に美術学部だったarataです。専攻は工芸でした。


芸術作品を観賞する時はいつも、

「オッシャ!なんか感じたぜ!o(`・ω´・+o)」

程度の感想にとどまり、「そんぐらいの粒度でも、何かしら感じてもらえたら作者も本望だろ」と思って今日まで生きてきました。お恥ずかしいかぎりです。

そんな私が、#アーティストトレース のミートアップに参加しました。

テーマは岡本太郎です。


アーティストトレースとは?


#アーティストトレースは、#マーケティングトレース の派生企画(?)ですが、 この企画に興味をもったのは、アーティストが「今日のマーケティングさながら戦略的に作品を世に出してきた」という発想が面白いと思ったからです。

そんな背景も踏まえて作品を見れば、またアートに対する見方や感じ方も変わるだろう。もっと深く芸術を味わいたい。。。そんな崇高な気持ちで参加しました。

アーティストトレースも、成功しているアーティストの活動戦略を学び、自身のプロジェクトなどのヒントにするという考え方なので、マーケティングトレースと基本的には同じですね。

基本情報
STEP分析(外部環境とインスピレーション)
マーケティング戦略(4P分析・ポジショニングマップ)

ワークショップでは上記のフレームワークのシートを使って岡本太郎の分析を行いました。


今回のnoteでは、フレームワークを、ワークショップでの参加者の意見なども参考にしながら私なりにもう一度やってみました。


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岡本太郎はこんなひと!基本情報

アーティストトレースのミートアップでは、主にWikipediaを参照しながら、ワークシートを埋めて行きました。

時代   | 明治44年 〜 平成8年(1911〜1996)
カテゴリー| 現代美術 民俗学
代表作品
 | 傷ましき腕(1936/1949)、森の掟(1950)、明日の神話  (1969)、太陽の塔(1970)

岡本太郎といえば、『太陽の塔』は言わずと知れた大阪のシンボルですね。

あとは、「芸術は爆発だ!」とデカイ声で言っている、やたら圧のあるオジさん‥(あくまで私の子供の頃に抱いていたイメージです。)ですかね。

岡本太郎=変わったオジサン

こんなイメージは、今回のトレースで変化するのでしょうか。


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岡本太郎のインスピレーションはどこからきたのか?

岡本太郎が生きていた時代環境
・1923年昭和金融恐慌、1930年昭和恐慌(世界恐慌と重なる)
・1923年関東大震災
・第二次世界大戦後の経済混迷・戦後インフレ・デフレ
・1950年朝鮮戦争による特需景気
・1956~1973年 高度経済成長

太郎が生きた時代は戦争があり、世界の産業構造と共に日本の政治・経済も大きく揺れ動いた時代でした。

そんな時代を生きた太郎の、原体験や作品の根源となるものをみていきます。


特殊な家庭環境が岡本太郎の独自の発想のルーツだった?

太郎は、漫画家の父と歌人で小説家の母がいる芸術一家に生まれました。大学まで通わせてもらえる、裕福な家庭だったようですね。

ですが、けっこう家庭環境が特殊で(愛人が同居していた)、幼少期は小学校に馴染めず入退学を繰り返します。

既成概念にとらわれず育ち、権威を振りかざすような者には徹底的に反抗した太郎。彼のアイデアの原泉は子供の頃からの「反逆精神」でした。


10年間のパリ修学時代に得た芸術観

18歳の時、親の仕事の関係でパリに行った太郎は、パリ大学で美学を学んでいます。

ですが、その後絵とは関係のない民族学を学んでいます。中学に入った頃から「何のために描くのか」という疑問に苛まれていた太郎は、その疑問に対する答えを得るためだったそうです。

このときの体験が「芸術は商品ではない」「芸術は無償、無条件であるべきもの」「芸術とは全人間的に生きること」という太郎の芸術観を醸成したと言われています。


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ピカソとの出会いで抽象画に目覚める

太郎と同時期に活躍した芸術家にパブロ・ピカソがいます。

21歳の時に偶然立ち寄ったパリの画廊でピカソの作品『水差しと果物鉢』に出会い、衝撃を受けた太郎は、「ピカソ超えんぞo(`・ω´・+o)」とばっちばちにライバル視して、せっせと作品を作ったそうです。

この時の感動を著書『青春ピカソ』で、「私は抽象画から絵の道を求めた。(中略)この様式こそ伝統や民族、国境の障壁を突破できる真に世界的な二十世紀の芸術様式だったのだ」と述べています。

抽象芸術運動を代表する芸術家集団「アプストラクシオン・クレアシオン協会」に22歳で最年少メンバーとして参加した太郎は、「空間」「コントルポアン」などの連作を発表しました。

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クレアシオンの活動は、夢や非合理を標榜するシュルレアリスムに対抗したとされていますが、心理学的な影響を受けた作品が多かったこともあり、近年では「潜在的イメージ」を活用した芸術表現を探求したグループとして紹介されてもいます。

太郎のモチーフには、全体が顔となるように構成されたダブル・イメージによる作品が多くありますが、この表現は、この時の活動が影響しているようです。


ちなみに代表作『痛ましき腕』はこのあと25歳の時につくられた作品で、サロン・デ・シュールアンデパンダンに出品したのですが、これによって純粋抽象と決別し、アクレシオン協会を脱退します。

その後はシュールレアリストとの親交が深まっていきます。

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シュルレアリスムへ!ジョルジュとの出会いが人生観を変えた!

シュルレアリズム・ムーブメントの開拓者であるエルンストに誘われた政治集会「コントルアタック」で、ジョルジュ・バタイユの演説に深く共感した太郎は「社会学研究会」に参加します。この出会いが太郎の人生の転機だと言われています。

それと同時期に秘密結社「アセファル」にも加わったそうです。結社のありかたが「権力の意志」だとして、その後決別したようですが、戦後の作品「夜」「電撃」はこのときのサンジェルマンの森での秘儀体験がモチーフとのこと。

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パリに滞在中、太郎は多くの芸術家と交流していました。その中で抽象からシュールレアリスムへ。芸術から哲学へ。抽象論理の世界から人間学のフィールドへ。さらには呪術的な秘密結社へ。芸術の最先端であるパリで、太郎は様々な思想や価値観をアップデートしていきました。




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岡本太郎のマーケティング戦略 inJAPAN

パリから日本に帰国した太郎。
戦時中は徴兵制度がありましたが、太郎は親の都合で海外にいたので、30歳ごろ入隊しました。

戦争が終わって35歳で東京に戻った時には、自宅や作品はすべて焼失していましたが、太郎はアトリエを作って再び作品作成を始めます。

翌年、太郎は新聞に「絵画の石器時代は終わった。新しい芸術は岡本太郎から始まる」と大胆に宣言して、日本の美術業界にカチコミをかけています。


さて、ここから太郎の作品はどのように届いていったのか、紐解いていきましょう。

・作品の特徴は?(Product)
・作品の届き方のポイントは?(place)
・作品が知られるようになった経緯は?(Promotion)
・作品の価格は?(Price)

このように、マーケティングの4Pの視点でみていきます。


Product - 作品の特徴は?

太郎は絵画や立体造形だけでなく、書や建築、写真など様々なジャンルの作品も発表しています。

前衛的で、抽象的な太郎の作品は、観る者を激しく引きつけ圧倒するパワーを持っているのが特徴といえますが、アバンギャルドな造形、過激な色彩は太郎自身のパワーが作品の中に溶け込んでいるかのようで、極めて個性的です。


place - 作品の届き方のポイントは?

太郎といえば、59歳の時に大阪万博のシンボル『太陽の塔』で一躍脚光を浴びましたが、メキシコのホテルの壁画として制作され、数奇な運命をたどった末、現在渋谷駅に設置されている大壁画『明日の神話』も有名ですね。

彫刻、壁画、レリーフ、記念碑、広場など、日本国内だけで140作品、70か所以上におよぶそうです。

また、太郎は自分の作品をガラス越しで展示されるのを嫌っており、「傷がつけば、俺が自ら直してやる」 と言ってありのままの状態で鑑賞するように勧めていました。

芸術は太陽と同様に、全ての人に与えられ、全ての人と共有するべきものだ」と言う太郎の信念のもと、太郎は作品が個人の所有物となることを拒み、誰もがいつでも見ることのできるパブリックな空間に作品をつくり続けました。


Promotion - 作品が知られるようになった経緯は?

代表作『太陽の塔』が世間を騒がせた

1970年に大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会(EXPO'70・大阪万博)のテーマ館の一部として建造されたのが『太陽の塔』です。

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万博のテーマ展示のプロデューサーに就任していた太郎ですが、当テーマである「人類の進歩と調和」に反発、穴の空いた大屋根から顔を出す太陽の塔を設計したそうです。

その異様な風体は、西洋の美意識とも和のテイストとも無縁で、世界を見渡しても似たものがありません。(中略)
当時の反応を一言でいえば、大衆が好意的に受け入れたのに対して、知識人が否定するというもので、とりわけ美術界の反発は相当なものでした。馬鹿でかい張りボテ、アナクロ、おのぼりさん相手、牛乳瓶……などなど、識者たちは酷評しました。(岡本太郎記念館 館長 平野 暁臣)

世間を騒がせ、賛否両論が巻き起こした太陽の塔は、万博終了後取り壊しを免れ、引き続き万博記念公園に残されました。そして2020年には国の登録有形文化財に登録されました。


太郎の発言・思想はお茶の間だけでなく、日本美術史さえも塗り替えた

奇抜な太陽の塔しかり、既存概念に囚われない発言や思想はお茶の間に受け入れられ太郎は人気者でした。

「日立マクセルビデオカセット」のコマーシャルに出演。「芸術は爆発だ!」の言葉が流行語となります。※太郎のピアノの腕前はプロ級らしい

ちなみに「芸術は爆発だ」とは、「全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと」つまり人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきであり、それが人間の本来の生き方だと伝えていました。


太郎が影響を与えたのはお茶の間だけではありません。

美術品ではなく工芸品という扱いを受けていた縄文土器を、日本美術史の源流に位置付けたのは太郎なんです。

戦後、縄文土器のすさまじい生命力に大きな衝撃を受けた太郎は、縄文こそが「オリジナルの日本」なのだと考え、美術雑誌『みづゑ』に「四次元との対話―縄文土器論」を発表しました。


また、1954年に光文社より刊行され、ベストセラーとなった『今日の芸術』という名著があります。

「中学生でもわかるような芸術の啓蒙書」として執筆された本で、「今日の芸術は、うまくあってはならない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない」という文言が記載されており、話題となりました。今までの芸術を否定し、新しい芸術を生み出すことを説いた本書は多くの人に衝撃を与え、その上で受け入れられたのです。



Price - 作品の価格は?

太郎の作品はほとんど販売されませんでした。「芸術は大衆のもの」という考え方で、作品を個人に売る事をほとんどしなかったそうです。1枚しかない絵を誰かに売ってしまい、みんなに見てもらえなくなる事を嫌ったためです。太陽の塔などの依頼を受けて制作するパブリックアートで生計を立てていたといいます。

現在では油絵はオークションで高額で取引されているもようですが、シルクスクリーンなどの版画作品は流通量が多く、ヤフオクなどのオークションで150,000円~350,000円前後で取引されています。



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激ムズ!岡本太郎のポジショニングマップ

ポジショニングマップとは、市場で自社製品やブランドが競争優位性のある立ち位置を確立する際に活用できる手法です。

太郎の競争優位性ってなんだろう?

太郎自身は競争とか優位性とか考えてたのかなぁ。。

私としては、メディアに出てお茶の間の人気者になったことが一番の優位性だと思います。

今では芸術家も活動の合間にメディアにバンバンでる時代だと思うのですが、岡本太郎は割と先駆者だったのではないでしょうか。



というわけで作ってみたマップはこちら⬇️

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日本の芸術家(主に画家)でマッピングしてみました。

縦軸:メディアに多く出ている⇆メディアにほとんど出ていない
横軸:もともと芸術家⇆タレントから芸術家に転向


最近では、タレントや芸人が芸術活動を始めるケースも多いですよね。もともとタレントとしての知名度があるので、芸術家としての作品も話題になりやすいです。

ジミー大西は芸人から画家に転向して、最近メディアには出なくなってしまいましたね。
ちなみに近代画家ですが、黒田清輝は法律を学ぶためにフランスに渡りましたが、画家に転向しました。



アーティストトレースのミートアッップでも、各チームで太郎のポジショニングをしたのですが、これがまた難航していました。

もはや太郎を『枠に収める』こと自体がナンセンスなのではないか。

こんな意見もあり、改めて「太郎すげーな」と彼の特異な存在感にハッ('A`)としました。


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まとめ

太郎はメディアに露出したことで、「生き方や芸術のありかた」を広く世に広めることができたのではないかと思います。

子供から大人まで、「お茶の間から親しまれたアーティスト」ってだれか他にいたっけ‥?というくらい、作品もさることながら太郎の存在自体も強烈で印象に残ります。


さて、今回のトレースで、私が太郎の活動や生き様から得たものを一つあげるとしたら‥


自分をさらけだして世に放て。下手でもいいじゃないか。手段は絵でも彫刻でもnoteでもなんでもいい


トレースを通して、こんなメッセージを受け取ったような気がしました。

そんなわけで、今日も私はせっせとアウトプットに精を出していきます。



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