【アーティストトレース】文化を変えたシャネルの人生。拠り所は「怒り」
アーティストのトレースを通して、自分の仕事などへのインスピレーションに活かそう!
というアーティストトレースのイベントに参加しました^^
今回はココ・シャネルです。
シャネルといえば言わずと知れたハイブランドファッションですね。ど庶民の私には縁遠い存在なので、その創設者のことなんて考えたこともありませんでしたが、彼女もれっきとしたアーティストです。
そんなシャネルのトレースをしたら、ブランドから社会へのメッセージがビシビシ伝わってきましたが、彼女自身、かなり波乱な人生を歩んでいたのが印象的でした。
自ら発信して文化を変えてきた人物なので、ある程度ドラマチックな生き様なんだろーな〜('A`)くらいには思ってましたけど、まー波乱万丈でしたね。
シャネルの人生を描いた映画や書籍はたくさん出ているので、そこから彼女の人生を味わうのもおすすめです!
シャネルの作品を対話型鑑賞してみる
さてさて、今回は以下の写真をみながらメンバー同士で感じたことを話しあいました。
ちなみにくわえタバコの女性はシャネル本人だそうです。
予備知識ナシで感じたことをシェアしたのですが、いろいろ意見がでました!
シャネルは帽子屋さんだったみたいですね。
写真当時の年代やトレンドなどの状況がわからなかったのですが、どうやら女性を開放・自由にするような斬新なファッションだったと思われます。
シャネルの発明したファッションスタイル
シャネルは『自立の象徴』と言われているそうですが、ナルホドたしかに、先ほどの写真のシャネルのスッとした立ち姿に、それが現れている気がします。
メッセージを服で伝えるってスゴいことですよね!これを読んでいるかたにもシャネルの偉大さを感じていただけたかと思います。
シャネルは独自のファッションスタイルを数多く生み出してきました。
今ではあたりまえのように浸透しているものですが、当時は反発もあったそうです。
『女性の社会進出』という、女性のありかたをシャネルはファッションから変えたのです。どんな方法で革命を起こしたのか気になりますよね。このあとご紹介していきます!
ちなみにシャネルは自分がモデルとなっている写真を多く残していますが、自分のブランドに身を包むシャネルは、自身を神格化しているように見えます。これも戦略だったのでしょうか。
これも余談ですが、ファッションブランドは創設者が亡くなっても精神は受け継がれるものです。日本で言うところの『世襲制』(○代目みたいな)感じですかね。
↑アーティストはゼロから作品を生み出しているわけではない。
4方向からーアーティストを紐解く
さて、アーティストトレースのワークシートを使って、シャネルのブランドを深堀りしていきました。
草間彌生のトレース⬇️
あれ!前回のワークシートって3方向でしたよね。ブラッシュアップされてるゥ(ノv`*)✨
「リフレクション」という項目が増えたことで、内面⇆外面の対比と尊敬⇆敵の対比が出来て、わかりやすくなりました。
シャネルの4方向ワークシートはこちら⬇️
今回のワークショップはちょうど4名いたので、1人1コマ選んで調査していきました。
ところで、2021年はシャネルの没後50年、そしてNo.5誕生から100年記念の年だとご存知ですか?
ということで、ちょうどいいタイミングにドキュメンタリー映画が上映されていたので観てきました!
いやはや。冒頭でも言いましたがシャネルって、想像以上に波乱万丈な人生を歩んでいたので驚きました。
シャネルの生い立ちなどの情報は、今まで伝記などで数多く残されていましたが、この映画ではそれを大胆に覆す真実が、当時の写真などを交えて描かれています。
ナチスとの関係など、なかなか衝撃的な内容もありましたが、彼女の行動力とエネルギーが伝わってきました。
Respect(尊敬する同業者)
シャネルには憧れたブランドや「師匠」的な人はいたのでしょうか?
・
・
・
私が調べた限りでは、ほとんどみつかりませんでした。
愛人であり出資者であるボーイ・カペルのファッションに影響された、というくらいですかね。
それだけシャネルが革新的なファッションを生み出してきたというパイオニア的存在だったということでしょう。
カッコええな(・ε・`)
こういった言葉や、修道院で育ったという自分の生い立ちを偽ってきたという事実からも、自身を神話化しようとしているのがわかります。
なんならシャネルは自身の香水「No.5」の改造品「スーパー5」を自ら造ったというのです!
もーいちいちカッコいいのよ(・ε・`)
彼女がリスペクトしていたのは常に自分自身だったんですね。
Rival(敵対する同業者)
では一方で、ライバルはいたのでしょうか?
・エルザ スキャパレリ(1890-1973)イタリア
ショッキングピンクの生みの親として有名なデザイナーです。
その斬新な色使いと前衛的なデザインはイタリアやフランスだけではなくアメリカでも人気となり、一躍ファッションの中心人物となりました。
その大胆なデザインにはファンが多く、芸術家のダリやコクトーともコラボしています。
シャネルの服といえば、「女性が服を着るのであって、服は主役ではない」という考えのもと、体の動きに合わせて伸縮するジャージ素材を取り入れたシンプルで活動的なスタイルでした。
一方、幾何学模様やグラフィカルな表現、ビビッドなカラーを取り入れるなど、スキャパレリにとっての服は芸術であり、シャネルとはスタイルが真逆でした。
そしてシャネルは貧乏育ちで、スキャパレリ裕福な家庭に育という生い立ちも真逆。
もちろん「良きライバル」というよりバッチバチに敵対していたもようです。
ワークショップでは、「理想の『女性のありかた』への価値観が違ったのでは」という意見がありました。
Reflection(内面の葛藤)
自身のブランドを成功に導びいたシャネルは、女性起業家の先駆けとしてファッション業界の歴史に残る功績をあげましたが、当時の女性軽視の社会風潮からしてもそう簡単なことではなかったはずです。
シャネルの内面の強さや原動力は、どこから来ているのでしょうか?
3つあげてみました。
①恵まれなかった幼い頃の暮らし(原体験)
映画『ココ・シャネル 時代と戦った女』では、母親が亡くなった後父親に捨てられたシャネルは、望まない相手との結婚を嫌がり逃げ出します。
②男性依存せずあくまで自立したい
シャネルは男性から支援を受けながら、男性に依存しない生き方をしてきました。バルサンやカペルのような大富豪から支援を受けながらも全ての金額を返済します。
④自分(女性)の生き方をつくりたい
シャネルは乗馬が好きだったそうで、ショートカットで男性のようなスタイルで乗馬を楽しむ姿が残っています。
このスタイルは批判もあったようですが、結果として世の中の注目を浴び、のちのファッション業界に大きな影響を与えました。
世の中の慣習や常識に囚われない自分らしい自由な生き方を追求したシャネルですが、それを表現する方法として彼女はファッションを選んだわけですね。
クロスボーダー(社会に対する意志)
◆働く女性もエレガントに
シャネルが生きたのは1883年-1971年。列強国の戦争真っ只中の時代です。
第一次世界大戦が始まると、戦場へと動員された男性の代わりに、女性は乗り物の運転や工場での作業などの社会の様々な役割を担うようになりました。
コルセットやロングスカートなど当時の女性の服装は、仕事をするには動きにくいものでした。そこでシャネルはおしゃれで機能的な洋服をつくるべく伸縮性のあるジャージー素材に目を付けます。
社交会だけで優雅に装うのではなく、仕事場や路上を歩くときにも女性たちはエレガントでいるべき。
自らも働く女性であるシャネルは、自分の着たい服を着るべきだと、「機能的でエレガント」というコンセプトのもと女性のファッションに革命を起こしたのでした。
アメリカの雑誌でも「ジャージーの独裁者」と称されるほどヒットしたそうです。
洋服だけでなく、ショルダーバッグ、バイカラーパンプスもシャネルの発明です。
仕事中に両手を塞がないようにするためショルダーバックが生まれ、バイカラーパンプスはつま先が黒だから沢山歩いても汚れが目立たないという発想で生まれました。
「エレガンスの真骨頂」とセレブから絶賛されたこれらは、すべて働くシャネル自身のニーズから生まれたものなのです。
◆シャネルが発信する強い言葉
シャネルは「歯に衣着せぬ物言い」が何かと話題になりました。
ど正論ですけど、気の強さが滲み出てます。
王室の要求すら突っぱねるシャネル。「なぜ私が無償で何かあげないといけないの?私には、誰も何もくれなかったわ」と、無償でデザインすることを拒否したそうです。
現代だと炎上しそうな発言もありますね。
「歯に衣着せぬ発言が話題になる」といえばホリエモン。
私がホリエモンを見ていて思うのは、批判されても声に出すという「力強さのある発信」です。
きっとシャネルの発言を聞いた当時の人達にも、批判するのと同じくらいその力強さに魅了され支持する人がいたのではないでしょうか。
こういうタイトルのビジネス本売れそう。
シャネルの名言から見える反骨精神
それにしてもこのnoteを書くにあたって、いろいろネットで検索しているとシャネルの名言をたくさん目にしました。
これから仕事をしたり生きていくなかで辛いことがあったら、この言葉を思い出せば勇気をもらえる気がします。
シャネルは恵まれない少女生活を送ったという原体験があったと書きましたが、他にも逆境を克服した経験が何度かあります。
逆境①従業員のストライキ&引退
第一次世界大戦4000人を超える企業になったシャネル・モードですが、過酷な労働条件によりお針子たちにストライキを起こされてしまいます。
気が強く冷徹なシャネルの人柄や経営方針に反発したという理由もあります。
それから彼女はファッション業界から一時は引退してしまいます。
その間にナチスのスパイ活動をしていたと言われているから衝撃なのですが、ドイツの諜報員と交際し、諜報活動にも参加していたそうです。
ドイツの敗戦後にシャネルは逮捕されますが、チャーチルの協力により釈放され、スイスに亡命します。
逆境②カムバック失敗
シャネルが70歳の時にファッション界に復帰します。
引退から15年経ち、彼女が発表したコレクションは、世の中には受け入れてもらえませんでした。
当時はシャネルのスタイルとは正反対のクリスチャン・ディオールが大流行していたのです。
ディオールが打ち出したのは「ニュールック」というゆったりなだらかな肩に細く絞ったウエスト、長くてフルなフレアスカートが特徴のスタイルでした。
皮肉にも、シャネルが第一次世界大戦中に打ち負かした「女性らしさ」を強調したスタイルがむしろ新しい「平和の象徴」として受け入れられたのです。
シャネルのことですから、相当悔しかったでしょうね…
ここでシャネルの反骨精神が
パリではシャネルのスタイルは酷評される結果となりますが、めげずにシャネルが考案した合理的でシックな「シャネル・スーツ」が女性の社会進出がめざましかったアメリカで受け入れられます。
「彼女は七十一歳にしてモード以上のものをもたらした。それはもはや革命である」と称されるほど。
時代遅れと言われても自分のスタイルを貫いたシャネルは、再び時代を掴むことになったわけです。
1971年、ホテルリッツでのコレクションの準備中に死去したシャネル。
なんつーかこう、「怒り」が原動力になってた人だったというのがよくよく伝わってくる言葉ですね。
怒りといえば、岡本太郎もアイデアの原泉は子供の頃からの「反逆精神」でした。
歴史を変えてきたのって、怒りとか、生き辛さなどの苦しみに対抗する強い想いなんだなと、改めて考えました。
まとめ
シャネルは自分らしく自由に生きるという欲求をファッションで解決しようとしてきました。
自立し働く女性としての彼女自身のニーズを満たした数多くのファッションが周りから受け入れられ、大ヒット。女性のあり方を変えてしまう現象となりました。
自分をモデルにしたり、自身のブランドの香水の模倣品をプロデュースしてしまうなど、自分を神格化したような取り組みが印象的でした。そこから彼女の発信に対する強い意志や信念が伝わってきます。
一時は引退しますが、人脈を活かしながらまた再起動を目指します。カムバック後もフランスでは受け入れらけなという逆境がありましたが、女性の社会進出が進んでいたアメリカでヒットします。
自分のスタイルを貫き通し、再度時代を掴んだシャネル。
「こうしたい!こうありたい!」という強い想いは世界を変えるんですね。
サポートしていただけるととても嬉しいです! サポート金額は、しばらく眺めます。