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サピエンス全史をかる〜い感じでまとめてみました(第15章)

こんにちはー(ノv`*) いやー、サピエンス全史。読めば読むほど理解が深まって面白いですね。

毎週1本まとめnote書くのが大変ではありますが(><)、ぜひ「スキ」ぽちお願いします。がんばります。



さてさて、今回も科学革命についてです!

第15章 科学と帝国の融合

今回は、どうして科学と帝国主義は切っても切れない関係になったのか、という話です。


11章の帝国主義の話はこちら

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そもそもなぜヨーロッパなのか?
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いまや世界中の暮らしのなかで「西洋風」の文化があふれています。インドやアジアの国々でも英語で話し、西洋のシステムを使って生活していますよね。


そもそもヨーロッパはあまり重要視されていない場所だったそう。近代以前の重要な帝国といえばローマ帝国ですが、その富は北アフリカやバルカン半島などから得ているほど貧しい辺境でした。

15世紀末にヨーロッパはアメリカ大陸と諸大洋を征服していきますが、それでも経済力はアジアの列強に及びませんでした。

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1750年〜1850年にかけてヨーロッパがアジアの領土を次々と征服し、世界の権力の中心がヨーロッパに移ります。

現在では、言わずもがなヨーロッパが世界の秩序として世界経済や文化を支配していますね。


このようにかつて世界の中心からほど遠かったヨーロッパが、なぜ全世界を征服できたのでしょうか?

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軍事・産業・科学のテクノロジーによるものだと考えられがちですが、実は1850年以前は、ヨーロッパとアジア、アフリカの技術力の格差はそれほど大きくありませんでした。

このテクノロジーがイギリスで飛躍した時、フランスやドイツ、アメリカなどの国々はそれに続いて発展し、アジアの国々は遅れを取ることになるのですが...ナゼ?

その原因は、神話と社会構造にあります。

つまり、中国やペルシアがテクノロジー競争に追いつけなかったのは、西洋の価値観や神話、司法の組織、社会政治的な構造と、考えかたや社会構造が違っていたからなのです。能力がなかったわけではありません。

一方、フランスやアメリカはそういった神話と社会構造をすでに取り入れていたので、いちはやくイギリスを見習うことができました。


ちなみにアジアの中でも日本は例外的に西洋に追いついて発展しましたが、これは明治時代の近代化政策で、社会と政治の多くの面を西洋を手本として作り直したからです。文明開化って学校で習ったなあ。


ヨーロッパは近代前期に科学的な方法や資本主義的な方法で考えたり行動していました。こうして独自の潜在能力を高めておくことで、近代後期に飛躍したテクノロジーをうまく使いこなして世界を支配することができたのです。

資本主義に関しては次章で説明されています。今回は科学のお話。


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クック船長の話がおもしろい。途中までは。。
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科学と帝国主義が結びついているエピソードをひとつ。


近代前期、ヨーロッパの科学界は太陽が地球からどれだけ離れているかデータを集めるため、天文学者たちをヨーロッパ各地に遠征させました。

遠征は多額の費用と労力がかかるので、天文観測だけでなく植物学者など他の学問分野の科学者たちや、発見したものを記録する画家も引き連れていきました。

金星の日面通過に合わせて、1768年に王立協会が派遣した遠征隊を指揮したのがクック船長です。

クック船長は当時水夫の中で流行していた謎の病気「壊血病(ビタミンC欠乏症)」を解決し、多くの水夫や乗客の命を救ったと言われています。


余談ですけど、日本も江戸期から明治時代にかけて「脚気」というものが流行しましたね。白米中心の食生活によって起こるビタミンB1欠乏症です。

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話を戻しますが、

「クック船長、海賊なのにすごいやん。」と思ってたらそれ「フック船長」でした。ピーターパンに出てくるひとでした。


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こっちですね。キャプテン・クックと呼ばれ親しまれた冒険家です。


さて、クック船長の業績は穏やかではないものもありました。

クック船長は海軍師官という一面もあったのです。

遠征の船はイギリス海軍が提供したもので、水兵と海兵も同行し大砲などの兵器も積まれていました。

遠征隊が入手した天文学や地理学などのデータや、壊血病の治療法はイギリスの軍事遠征にも大きく貢献することになるのです。確かにこいつぁ穏やかじゃなさそうです(・ε・`)


ちなみにクック船長はハワイを発見したヨーロッパ人としても有名です。


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クック船長が「発見」したオーストラリアをはじめとした島や陸地は、イギリスの領土になります。

それがオーストラリア、タスマニア、ニュージーランドの政府や、新たな植民地への何百万ものヨーロッパ人の入植、先住民の文化の根絶や先住民の大多数の殺戮の出発点となった。


大惨事の例としてタスマニアの先住民の絶滅が例として挙げられています。

イギリスの支配に耐えられず自ら死を選んだタスマニア人たちの遺体は、科学の名の下に人類学者や博物館に奪取され、解剖・分析・展示されました。


このように、科学と帝国主義は切っても切れない関係なのです。


というか、ホモ・サピエンスは昔っからこうですよね。

第4章で、ホモ・サピエンスは大型動物を大量絶滅させてきたという話がありますが、これの近世版と言っていいでしょう。

この分だとサピエンスは宇宙に行っても宇宙人絶滅させちゃうんだろうな...って思いました。

宇宙ではまさに、サピエンスがばらまいた「宇宙ゴミ」が問題になっているそうです...




キャプテン・クックの偉業をもっと知りたいかたはこちらもどうぞ👇




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ヨーロッパの知識欲たるやw
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ではなぜ、近代科学とヨーロッパの帝国主義は固く結びついていたのでしょうか?

科学者と征服者の考え方が同じだったからです。

どっちも好奇心旺盛だったんですね。


まず、ヨーロッパ以外の帝国主義は、征服によって富と権力を求めて新天地を征服していて、すでにこの世界を理解していると考えていました。

ですがヨーロッパの帝国主義者は、新たな領土とともに新たな知識を獲得することを目的としていたのです。


そういった発想はクック船長だけでなく、15世紀にはすでに根付いており、18世紀くらいになると、ヨーロッパからの軍事遠征のほとんどは、戦うというより科学的な発見を重視していたようです。

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世界地図の歴史って面白いのね!
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近代以前の帝国が「自分の支配している世界が全て」だと思っている傾向があるといいましたが、

中世はアメリカ大陸もまだ発見されていない、ましてや自分の住む世界以外のことなど知る由もない時代でした。

その当時の世界地図は、知らない地域は省略したり、模様とか空想の怪物やらを書いてびっちり埋めてたそうです。実用性はなさそうですね。


ですが近代において、ヨーロッパ人は空白の多い地図を描くようになります。これはもちろん植民地支配への意欲だけではなく、「無知を認める」マインドを持つ彼らの未知なる世界への好奇心の現れでもあったのでしょう。

空白のある地図は、心理とイデオロギーの上での躍進であり、ヨーロッパ人が世界の多くの部分について無知であることをはっきり認めるものだった。


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イタリア人のコロンブスはアメリカ海域へ到達した最初の人として有名ですが、実は彼、中世の空白のない地図が正しいと信じているタイプの人でした。


「大西洋を西へ航海すればアジアに達する」とコロンブスは思い込み、アメリカ大陸に来てもインド諸島にたどりついたと勘違いして、そこにいた原住民を「インディアン」と呼んでしまいます。

無知を自覚せず、自身が新大陸を発見したとは思いもよらなかったコロンブス(つω-`)


その一方で、無知を自覚したのは同じくイタリア人のアメリゴ・ヴェスプッチです。

アメリゴはコロンブスによって発見された新大陸の探検に参加し、この土地は当時のヨーロッパ人が知らない全く新しい土地だと主張したのです。

アメリゴの栄誉を称えて、新大陸の名前はアメリカ大陸になったわけですが、、、

本当はコロンブスの手柄だったのに、無知を認めたアメリゴがその栄誉を手にするとは。コロンブスかわいそうですね(*ノε` )σ


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さてさて、ヨーロッパ人はアメリカ大陸の発見後、地図上の空白の部分を埋めたいという欲求に取り憑かれ、せっせと遠征に出始めました。

それまでは遠方の土地を探索して征服するという発想がなかったので、これは異例のことでした。

大抵の帝国は近隣国を取り込んで拡大したようなものだったのです。


いちおう非ヨーロッパの遠征も例外があって、中国の鄭和は巨大な艦隊を率いてインド洋を航海したようです。

とはいえ鄭和は訪れた国を征服しようとはしませんでした。その後中国の政権が変わると遠征もさっさと中止し、近隣の地域に対しての興味や野心をい抱くにとどまります。


なんならコロンブスの艦隊より何倍も大きい規模で航海した鄭和。それを見ると、やはりヨーロッパがテクノロジーで優位だったわけではないとわかります。

探検して征服したいo(`・ω´・+o)」という野心が、ヨーロッパを優位にさせたというわけです。


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ヨーロッパ人、征服したがり
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ヨーロッパ人ときたら、新しい土地にきた途端「この土地は俺らのモンだ」と言いたくなるようです。


スペイン人の征服欲もやばいです。

まずメキシコのアステカ帝国の噂を聞いた4年後に征服します。そんですぐ10年後に南アメリカでインカ帝国を見つけて征服します。

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アステカ帝国もインカ帝国も、周りの世界にもう少しアンテナをはっていたら、もう少しうまくやれたのにね...

アステカ帝国は自分たちが全世界を知っていて、そのほとんどを支配していると思い込んでいたので、スペイン人の侵入者が何者かわからず、

エイリアン来たーガタガタ(((゚Д゚)))ガタガタ


みたいな大混乱。

コルテス率いるたった500人の侵入者の規模感に油断もあって、ぐずぐずしているうちにスペイン人に征服されてしまいました。

対照的に、スペイン人は未知の状況に対応することに長けていたので、著しく有利でした。

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次にピサロがインカ帝国に到着したのはわずか168人でしたが、コルテスがアステカ帝国を侵略した方法をそっくりまねて、インカ帝国を征服します。

この時インカ帝国の人々はアステカ族のことなど知りませんでしたので、もちろんあっけなく侵略されてしまうわけです。



スペインの征服には黄金にまつわるエピソードもあります。


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20世紀になってようやく非ヨーロッパにもグローバルな視点が取り入れられ、ヨーロッパ諸国の覇権が崩壊します。

アルジェリアの独立戦争やヴェトナム戦争では、反植民地主義の世界的ネットワークや、支配国側の世論を見方につけることで非ヨーロッパ勢が勝利します。

(アステカ帝国の)モンステマ2世がスペインの世論を巧みに操り、スペインの競争相手であるポルトガル、フランス、オスマン帝国のいずれかから援助を受けていたならどうなっていたかと考えてみると興味深い。


2021年8月に、アステカ帝国の滅亡から500年の式典が行われました。モンステマ2世の子孫も出席したそうです。


未知のものに対する対応の仕方...

こういったエピソードで考えるのは、コロナが騒がれ始めた頃のことです。

「どうせ風邪みたいなもんだから、夏には終息してるでしょ」と(私も含めて)楽観視したり、徹底的に押さえ込みを行わなかった日本。

未知のものを見るとこういう思考になるんだなぁと、アステカ帝国と今の状況を重ね合わせてしみじみ思いました。


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科学的好奇心旺盛は古代を解き明かす
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「知りたい」という好奇心が同じだっただけでなく、帝国建設と科学の学問領域は深く結びついていました。

イギリス人がインドを征服したときに、学者が同行してインドの歴史や文化研究、土壌などを調査しました。

インドの希少なクモや蝶の目録も作ったというのですから、当時のインド人も「ナンデ(?A?)」と思ったかもしれません。

そしてイギリス人は忘れられたモヘンジョ・ダロの遺跡を発掘して、インド人も知らなくてびっくりな大文明を発見します。



同じように、イギリス人の科学的好奇心は楔形文字を解読します。

ペルシアのべヒストゥン碑文に書かれた楔形文字を、イギリスの士官であるローリンソンが危険をおかして模写したエピソードがありますが、これにより楔形文字解読の手がかりを得たとされています。

べヒストゥン碑文はエラム語、ペルシア語、アッカド語(新バビロニア語)で刻まれているんですって。

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帝国主義者がいなければ古代の文明を知ることはできなかった、ということです。

ヨーロッパの支配者は、言語学者に支援を惜しみませんでした。

それは、被征服者の言語を知っておいた方が効率が良いと考えていたからです。


また、「科学研究って先進的で良いことだよね」という正当化のためでもありました。それにより、支配された先住民の受難を哀れむより、帝国に功績をもたらした冒険家たちが称賛されることとなります。

少なくても倫理上は、被征服者に援助し、「進歩」に貢献していることにもなっているのです。


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なんて、「先住民に支援した」などという言葉はしばしばでまかせで、帝国は死や迫害などの犯した罪で「百科事典が一冊埋まる」とハラリ は言います。

とはいえ非支配民への境遇を改善した功績の数でも「別の百科事典が一冊埋まる」のも事実。

帝国が作った世界に住む私たちは、帝国を単純に善悪で分類することはできないのです。


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ヨーロッパ人の科学は人種差別を巻き起こす
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科学は、ヨーロッパ人がどの人種よりも優れているという科学的証拠を探し当てました。

インドやペルシア、ギリシア、ローマなどの文明を起こした祖先がアーリア人であると突き止め、それがヨーロッパ人と同じ人種だと断定したのです。

アーリア人は優秀な人種ですが、インドとペルシアに進入した際に先住民と結婚することにより、人種的純粋性がなくなったとしました。

そうして「劣等人種と混ざり合わないようにしよう」という人種差別に発展するのです。


現在ではこういった発想を表に出そうものなら、社会的地位をなくすくらいメッタメタに否定されますが、

現在の私たちは「文化」の差異で人間集団を批判したりしているのです。(ハラリ はこの現象を表現するのに「文化主義」という造語を使っています。)

そしてこの文化主義的な議論は人文学科や社会科学の研究によって助長され、それに費用が投下されているのが、なんとも皮肉な話です。


次回は、資本主義と科学の「ずぶずぶな関係」の話へと続きます。







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